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日々生きて。

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  ぼけぼけしている。前に向いて動き出そうとはしているが、こんな感じなのだなと今を思い動こうとはしているからいいか、と考えるようにしている。 絵を描けるようにと思っていたが、これは本当にそんな気分になった時に描くだけにしよう、と思った。ものにしよう、という考えはやめた。 今日いつもより早く起きてテレビをつけると、NHK 俳句の番組をやっていてプレバトについて、どうのこうのとテレビの前で言ってる私だが、NHK 俳句選書句のレベルの高さに結構驚いた。どうやって感じたらいいのか、も迷う句があって、分かりやすくノスタルジックな句は(もちろんレベルが高い。)あ、ノスタルジックだと感じることができたのだが、頭がフリーズしてしまったな。何と言えばいいのだろうか、と。 あと1か月もしないくらい経つと誕生日がやってくる。今回はマジでデパ地下でいい肉を買って焼き肉にして食べようかと目論んでいる。ちょっと贅沢だな、と思ったら直前でやめるかも。まだ、どこか引け目がある。飲みに行くのは、行くといいながらずっと行っていない。引け目というよりは、家で飲んで食べた方が落ち着くと思うようになっていたので。 今日の夕食は何にしようか。昨日は午前にモスバーガーへ行き朝モスを食べて、小説のことを考えて、もやもやして、何かなーと思って今治までドライブへ行き帰りにアイビーに行きカレーを食べた。夕食はさすがに日中食べ過ぎた、と思ったので野菜をフライパンでオリーブ油と水を入れて蒸すホットサラダを作りドレッシングをかけて食べた。トマト、オクラ、ニラの花、玉ねぎ。ホットサラダはアプリの作り方。その野菜を食べるだけで、夕食は十分お腹いっぱいになり満足をした。今日の夕食もたっぷりめの野菜のホットサラダでいいかなと思っている。 悩んだ時によくアイビーに行ってしまう。 今日の昼食はいつもの食堂で親子丼を食す。 ところで、作業をしていた時に朝モスが比較的に安いのでよく行っていたのだが、近くのモスバーガーの開店時間が朝10時で、なのでもうちょっと車を走らせた場所にあるモスバーガーが9時から開いているので、早めに行きたい時はそっちに行っていたのだが。久しぶりに近くのモスバーガーへ行くと開店時間が朝9時になっていて、閉店時間が深夜の0時になって。え、これ自分影響していないだろうな~、とまあまあ思って。そこのモスバーガーの店長...

生きている間に感じること。世界では苦しみばかり感じている人もいる。本気でそこに携わっている人もいる。偉いな、と心から思う。

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  私の声は大きい。 一時に燃えた憎しみや怒り、 そのようなことも声に出して。 初めて私の心が恐怖を感じた時、 あんな自分がいたんだと、今も思う。(変換で、痛んだと、それもありだな。) あの時、ひょっとして私は自分に嘘を付いて、 生きていたのだろうか。 そんなこともなく、私は私で、 あの19歳の電車を待っていた私は、 弱いけれど優しかった。 言葉にすると、あまり変わっていないかと思うことにして。 自分で優しい、と言う。 (優しいのは優しいけれど、変えて行こ。) (2週間とちょっと大したことをせずに久しぶりに何かを、小説のことだがただ考えていて、考えを出していてその時間が気持ち良かった。いつかに、父親にそうやってぶじぶじ考えるのがお前なんだ(や)、と言われて昔からそうだったなと思っている。 何でもないことを、考えながら歩くことは少なくなった。カメラを持って歩いているからだろうか。ぶじぶじ考えるのは家でやっているのでそれでいい。 私みたいな人間は組織に属さない方がいい、と思う。私は声が大きくそれを聞いた人間の中には怒りや気に入らないを感じる人間もいるだろう。多分、そういうことだ。問題は。 お父さんは心配性みたいな生き方というか、漫画のお父さんの感じ忘れてしまったが、気合入った生き方できなかったな。今からも変わっていくだろうが、基本はただの心配性のそれだろうな。 今日は夜に近くなって、カメラを持って歩いたが大分昔に夜に写真を撮りながら歩いていると、私服警官に呼び止められて職質をされた。写真を見せると、それはいいけれど自分の安全のためにもならない、と言われて夜に写真を撮るのをやめた。今日はまだ明るみがあった。昔は公園の灯りや、バス停の灯りを撮ったりしていたかな。 これはいかん、と思った時は苦しんだが、今日は小説のことを考えていると気持ちが良かった。暫く楽しんで行こう。小説の出来は置いておこう。できるものにしよう。)

まさに、がっつを出さねえと。

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  薬も飲まずに眠っていて、目覚めて秋の虚しさを憶える。そういえば、嫌われる人間だったとか思い返し自覚して。明るいなーこの人は、と思いながら新聞以外の活字を読もうと思い少しだけ外出して読む。切り替えようと。 星野道夫さんの長い旅の途上をちらり、と読みやっぱり美しいと感じる。ふんふん、と思ったところ。 大人になって、私たちは子ども時代をとても懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になったさまざまな遊び、今は、もう消えてしまった原っぱ、幼なじみ・・・なのだろうか。きっとそれもあるかもしれない。が、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識にもっていた時間の感覚ではないだろうか。過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁である。過去とか未来とかは、私たちが勝手に作り上げた幻想で、本当はそんな時間など存在しないのかもしれない。そして人間という生きものは、その幻想から悲しいくらい離れることができない。それはきっと、ある種の素晴らしさと、それと同じくらいのつまらなさをも内包しているのだろう。まだ幼い子どもを見ている時、そしてあらゆる生きものたちを見ている時、どうしようもなく魅(ひ)きつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。 ノスタルジックなところ。 今日も、太陽は、わずかに地平線から顔をのぞかせただけだ。沈んでいった夕陽が、少しの間、凍てついた冬の空を赤く染めている。やがて闇が押し寄せてきて、長い夜が始まってゆく。陽の沈まぬ夏の白夜より、暗黒の冬に魅かれるのは、太陽を慈しむという、遠い記憶を呼び覚ましてくれるからかもしれない。忘れていた、私たちの脆さを、そっと教えてくれるのだ。 冒頭。 まだ一歳にもならぬ息子が、黄葉が散り始めたベランダに座り、九月の秋の風に吹かれている。コガラがスーッと木々の間を飛び抜け、アカリスがトウヒの枝の上で鋭い警戒音を発し、風がシラカバの葉をサラサラと揺らすたび、彼はサッと世界に目を向ける。そんな一瞬の子どもの瞳に、親の存在などと関係なく、一人の人間として生きてゆく力をすでに感じるのはなぜだろう。そんな時、ふと、カリール・ギブランの詩を思い出す。 あなたの子供は、あなたの子供ではない。彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。彼等はあ...

夏から秋へ。まだ暑いけれどね。

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  生きることを楽しんで。 昔もらっていた愛に気づき、包まれて。 だから、気持ち良く生きることを。 人生を、色々あって。 愛することに期待をして。 傷ついて、 でも期待があって。 そんな風が吹いて、知らせを受け。 希望を愛していたら。 そんなにほんとにいい人間とは言えなかったが、何度も言うが努力はしたい。 でも、随分人生勉強をしたものだ、と思うのだが。だがしかしだが、対面という現実世界でそんなにいい人間でいられるだろうか。いたい。 結局、その努力をして現実世界で生きるのだろう。 生きたい。そして、美味しいものが食べたい。 人はパンだけで生きるのではない。 なので、温かい生きられ方ができたら。今日も生きてて良かったな~、と思える。 やりたいことがあるのだけれど、そういう普通なら準備をしないといけない現実的なことに触れていない。 どうやって、そういうことってできるんだろう、くらいのレベルで。 ただ、こういうことがあるという情報を知るくらいで。 そういう制度のことを知る専門家くらいの人がぱぱっとやってくれそうだ、くらいに思っている。仕組み自体はその制度のことを聞きながら、理想に近いことができたらという思いで。 今書きながら思ったのは、魁(さきがけ)未来塾のようなことを急に思いついた。既存の場所にある子ども、若者を送迎付きで未来塾の場所に呼んで未来のプログラムを受ける。絵が描きたい、農家に弟子入りしよう、音楽を知りたい、シンプルに学校の成績を上げたい。などもろもろ。小さい子は遊びを通して何かを感じてもらう、とか。勉強っぽくならない。 教育、はすごく興味があるところだ。小さいうちは特に勉強みたいのではなく、体感や遊び、また勉強っぽくなってしまうかもしれないが、地球や世界についての問題提起。こんなことがある、やばいよね、というような。勉強ではなくても、教育、のような。こんなすごいアーティスト、芸術家がいるんだ、この人のことを知ろう、とか。 くらいの妄想が始まった。 現実ではどうなるのかな。 今週一杯大したことをせずに、来週からやっていたことを始めたい。小説書けるかなー、と思っているのだけれど癖みたいに、あ、やばいわとなるとすぐに今回は断念しておこう。書けて、どんな小説ができるものか、行けるなら気持ちをちゃんと込めて。ずこ、とすべっちゃう小説になったりして。大した事ねえな...

はしもとみお木彫展~いきものたちとの旅 尾道市立美術館にて。

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  尾道市立美術館にはしもとみおさんの展示を見に行った。 月くんがいる。! 絵が。! 絵の展示がすごく多くて、とても優しいのだ。最初の略歴を見ていたら、すごく動物が好きで小さい頃は獣医になりたかったのだと。 最初の展示を見ながら、音楽の効果にも誘われて泣きそうになった。やさしい。 肉球スタンプがある木彫りは触っていいのだ。なでなで。質感、が、が。いい。 絵をどれだけ描けば、こんな絵が描けるのだろうか。やはり、何度も言うがやさしい、と私は感じる。 マスキングテープやピンで留められている言葉の紙も心を打つ。はしもとさんの言葉だろうかというのと、他には哲学者などの言葉が貼られていた。 絵よ。 この感じ。 わんこよ。 この感じ。 にゃんこにゃんこよ。 ああ、にゃんこよ。どこか物憂げで。 お猿だって。 うまく撮らないと、おさるだわよ。 こにゃんこ、らしく。 われら、若くいきて。 かくれんぼ、にゃんこ。 バンビーノ。いや、ちがう。ヤギか。 すごく展示内容があって、やべえ、お腹いっぱいになってきている、と思うのだが、まだ食べられるという展示世界が変わっていく様子。 いやーん。やっぱ、そうよね。 ちゃんとふとっちょ、にゃんこで、癒されなきゃ。 最後の方に、最後だったかな。一つ一つの絵に一言、言葉があって。とても、好きだ。こころに入っていく。 中々、そうはいかない状況も経験したけれど、ほんとだ。楽しまないと。今日、ここに来たことだってそうだ。 ふしぎ、ふっしぎ、ふしぎよね。感じたいなー、そういうこと。 とても、楽しめた空間でした。

願うしかないのである。

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  人には必ず弱さがある、と言っていた。 私はネガティヴな人間だった。 たまに、それがぶり返し。 今もポジティヴの人ということでもない。 やり直しをしてからの出会い。 やはり、そこに居させてもらったこと。 流れて、知り感じたことも。 人を慮る(おもんぱかる)ことなしにでなら、経験だったと思っている。 一枚目の写真は空を強調したくて、下を削ったのだが不自然になっちゃったな。 自分のことしか考えていないんじゃ、と20代の時に父親に怒鳴られた時がある。記憶では姉もそれに、うん、と賛同していた印象の記憶だ。昔から、そういうところあったなと思う。というのは子供の頃から。 痛みを知ったが、それは自分に近い痛みを感じた時に感情が発動していて。やり直しからの道では未熟だったなと感じる。今もそこまで熟練とかそういうのではないが、もっと世界を広げるべきだなということを無職になってから感じていた。 今は子供には傷つくことを、それも少しは必要かもしれないがなるべくまだその経験を明るいものにして欲しいと希望している。これも人間関係で、とても難しいが結局これも自分が傷ついたことが、とても哀しかったからという自己の感情から来ているだろう。その自己感情からどう発展させていくか。大分、練られた気もするが私の体験は殆どがバーチャルなもので、でも向こうに現実がある。いつも言うが、ワンクッションが置かれている。 まあ、でもね。きゃわわ、をインターネットで覗いていると明るいね、と印象する。いいことがあれば、いいなー、と願うな。 ファンになろうかな、と思っているのだよね。少年少女、若者、その未来に。今で言うなら、推しに。未来推し。 というくらいでやめておこう。日本酒を1杯やっている。 自己を向上させること、もいいし、他者をその内面を何かキラキラ不思議を感じて希望することを向上させるという、それも希望。 難しいことであるけれど、現実を感じていない今はそれが、何度も希望。 よー、y-、ちぇけらっちょう。 心のひっかかり。ここは、許してもらうしかない。そこからだ。血筋として大切にすることを続けることをできるかというと、努力しないとと気合を入れるが。大切に共に生きることをしたい。今更だけれど、でも今からだ。上手く言った。 幸せにならないとな、一緒に。ほんとに。ほんとーに。

えびをがない野菜天ざるうどんが安くなるので、頼むことが多い。気合が入った時は、えびが入った天ざるうどんを、そうだな1回だけ頼んだ。行き始めてから何回行っただろうか。5回くらいか。

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  むふふ。 うふふ。 そんな幸せがありますように。 ふんふーん。 そんな気持ちを歌うことができますように。 鼻歌が幸せを告げる。 そんな道を歩み、生きる。 大した負荷ではないが、するようにしていることをしないようにしていたら、元気になってきて話題もないのにブログを書きたいようになっている。ギターはなるべく練習している。セコンドの端々の言葉が励みを与えてくれている。憧れなのよ、ギターは。ほんとに下手だったし。作曲とか言うことではなく、音楽っぽいことができるようになったらなと思っている。 英語は元気になってきたら、もっと触れる機会を多くした方がいいのだろうな。読むもそんなにできていないが、聴いて理解するも字幕がでないとちんぷんかんぷんが多い。初めて聴く内容だったら特にだ。字幕は英語字幕で理解できる時もあれば、日本語字幕でそう言っているのかと理解できる時もある。しかし、普段から負荷をそんなにかけていないので、大したことはない。 昔ホテルマンをしている人に留学していた時の話を聞いて、それは中国であったが違う言語を理解しようとするが毎日の洪水のような他言語にノイローゼのようになって、引きこもりのようになった、という話で。大変なのね、理解できていない言語を理解しようとするのは。2017年秋からだわよ、少しずつ英語を勉強し始めたのは。もうちょっと負荷をかけてもいいわね、英語にほぼ触れずにいる今なら思える。 本を読んだりとか他にもしていることがあると、続けていると鬱屈することがよくあることで、どうすればそれが軽くなるだろうか。大学受験なども長期というよりは短期で詰めて行くので大変なのだろうな。その負荷に耐えられる脳を鍛えて行くのも、大切なことかもしれないが私はそうではなかった。何かあったあとの私でもそうなんだな。 色々はしたと思っている。ただ、それをまともに受け止めるとそんなに強い人間ではないので偉そうな私が出てくる予感がする。何とか私感としてぎりぎりでしのいでいる、という感覚で生きていると挑戦者でいられる。もう暫く挑戦者でいたい。でも、うはうはの旅行とかはしたいわよ。東北の海産物を堪能したり。 急にうどん屋さんの瓢月の話にすると、ざるうどんが好きね。他の冷やしのうどんも食べたけれど、ざるうどんの方が好きだったわね。中盛りを頼むのが量もちょうどいいわ。でも、夏限定の冷や天...