暗くなり始めた、近くの石手寺にて。
生きる喜び。 そういうことを経験した。 夏の夜に蝉たちの声を聴いていると、 感傷的な気持ちが染みて現れ。 みんな命を灯していること。 蝉の声を聴いている。 (生きることは今、楽しい。そんなことの中で、ふっとその楽しさを取り除かれた時に自分には何が残るだろうか、と思った。文章の感覚を感じることはわくわくする。写真は楽しいがそういうところにはいない。たまに良いのが撮れると嬉しい。ギターは多少上手くなったが、YouTube を見ていると果てしない。とろい感じがする自分が弾く感じは。これらを取り去られたら、と思おうとしたが、それは冗談じゃない。本当に冗談じゃない。ただ、命について、いいことがあったらいいな、という思いだ。たまにのぞかせて貰っている写真には明るい笑顔があって、命の力を感じ、またそれを貰っている。未だに何ができるのだろうか、と思い。本当に何かがしたい。一番初めに思っていた、こんなことができるかもしれないのだよ、と言えるようなことが。私の夢。) (文章についての本を読んでいて、文学的すぎるというか、分かりにくいのは私は辛いな、と感じ。重厚だけれど読みよいものがいいと思うし、私もそういうものが書きたい。私が感じるちゃんとリサーチをアンテナ張ってはいないが、突出している一般的に残っている方たちはそういう人が多い気がしている。これはそんな気がしているくらいのものだが。) 少し違うな。やらしい纏わるような文章や、頭を抱えるようなでもどこかに美しさのある文章、総称して文学であるか。あくまでも私はそう思うだけだ。