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しゃっきり生きよ。

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  優しい経験。 決して綺麗ではない私の、 心を、 包んでくれる。 あの出来事。 それはそれで、思い出にして、 生きないとな。 少し、手が汚れても、でも できるだけ、 人の心を汚さないように。

少年の心を。

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  様々に考えを持ち、 どのように生き、 色々生き方はある。 魂を震わせて、心はどのような性質で、 霊の存在があり。 今でも、力が欲しいと。 生きる力、 できるなら、美しく生きる力。 生きることに深く心を根ざす、 誇り。 頑張って生きるのもしんどいですが。 心のどこかに生きる誇りを。 希望を。 できるなら、力を。 清き涙の慰めを。

ちょう、かいかん。

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  デジタルトランスフォーメーション、に変革しそれに頼るのは昔の記事で見たと思うし、だれもが思うことだろうが危険だな、と思った。だが、もう社会はその利便性を感じて、そっちの方向に動き始めている。私もその中にいて、便利だなと思っている。 人に出会えるということ。SNS を通じて出会いがあり、良くない出会いもあるかも知れないが、運が良ければでもあるし、正式なネットの場所でいい人と出会えることもあるかな。 また、大本を人間が管理していることも、承知していないといけない。 さて、自分はこんな社会をどうやって生きて行くのだろうか。詩や小説を気持ちを込めて書けたら爽快である。やっぱりそれを評価してもらいたい。まず誰でも書き手はそうだろう。そして、それは人間っぽいなと思う。機械みたいな言葉や文章より、その人の内面や命の根源にあるものを書き現してくれていたら、それを感じ取れた時喜びだ。その時、感じ取れなくても年と共に感じることができるのかな。 聖書のことを読んでもそこまでは理解できないことも多く、しかし、聖書教育のテキストがあったことは理解を深めるきっかけにもなった。命を感じること、人の性質。神様とはどのような存在なのだろう。そんな中、私たちはおのれの生活を過ごして、生きて行かねばならない。私たちは私たちで生きて行かねば。それでもそれでも、偉大であると感じる。わたしはある。という。神様が、わたしはある。と旧約聖書で言っているのです。 人間は人間で生きていて、キリスト者でも考えが衝突したりする。私はキリスト者だが良い方向で何とか生きたい。未熟なものであるが、子供や若者のためになることがしたい。苦しんでいたり、哀しんでいればなおさらである。どこまでできるのか、何ができるのか。 文芸も才として持たせてもらったのだから、頑張りたい。気持ちが乗ると心地よい。 生活が乱れている、立て直したい。何かご褒美があるといい。ちゃんと今日もやりました、という。しかしながら、思い返すと気持ちもぎりぎりだが、世界に何かを投じる時にグッドサインが出るとちょう、かいかんである。ちょう、かいかん、と書いたが地味によし、と右手をぐー、に握る感じ。これも生きる快感、ご褒美であった。しかしながらしかしながら、表に出て、文筆を評価されるだけでも恐ろしく喜ばしく、お金は稼ぎたいのでもっとないかと思うが。表と裏の出来...

偉くなったもんだ。

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  茂木健一郎さんのパクリでよく説明すること。モンテッソーリの本にも似たことが書いてあった。 われわれが、普段感じている意識(いしき)の世界。意識にある情報をもって、様々を判断していると自分では感じている。あれがきれいだ、とかこの言葉を言うと効き目がありそうだ、とか。 意識の下には無意識(むいしき)の世界が広がっていて、われわれは普通それを感じ取ることはできない。 無意識の土壌(どじょう)つまり無意識は簡単に説明すれば、土のように考えておくとする。 そこに沢山の知識(ちしき)や情報を木の葉のように落としていく。 つまりは、学校で勉強をしたことを無意識に木の葉のように落としていく。 一度自分で自覚している意識に記憶として残して、そして忘れていくことが多い。 しかし、無意識はおぼえている。その人が今まで学んで自分でも考えたことは、そのあとのその人が様々な体験をする時の、判断、考えの材料、栄養になっている。 ぼけーっとして学ぶはずだったことを聞かずに、すり抜けている場合は多分無意識にも残っていないのではないかと思う。 その知識の木の葉、という栄養たちは無意識の知識に落ちて、発酵して栄養になっていく。学校で習った木や土の話とよく似ている。 AI も様々な情報をインターネットなどから収集して、ぐるぐる考えてAI の答えとして示してくれる。 人も大切な知識、情報は一度おぼえておく方がいいのだろう。無意識の土に落ちて、栄養になってそれを使って何かクリエイティブなことができるかもしれない。クリエイティブは新しい何かを産みだしたりすることね。 6歳から12歳の子供は、ものごとの因果関係を知りたいという並外れて強い要求が出てくる。 この時期はあらゆるものの種子が蒔かれるとき。子供の精神はよく肥えた田畑のように、文化へと芽を出す種子を受け入れる用意ができている。 この時期を逃さず興味の種子をできる限り沢山、蒔いておく。 わたしが、おもったこと。 子供が興味を持つ動画のセレクト。年代に合わせた方がいい。地球上の問題や、水の浄化処理の話、人と言う生き物について、自然について、科学はここまできている、という話。 それらの問題提起。なにが、あなたにとっては問題だと思いますか。 様々な人の同じ情報についての考え方を知る。難しくないやつ。 様々な職種がある。給料がそれなりにあれば生きていける...

改めて感じると静かな生活だな、と思う。

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  本当に忘れっぽいので、 色々あったのだが、次第に忘れてゆき、生活に視線を戻し保っている。 今ある結果として、人と関わらないことに負担を持たず穏やかでいて。 やって来た良いことを思い、 しかしながら、ちやほやされることの危険を経験している。 評価、もやはり嬉しいが、 下世話になるのだが、お金が欲しい。 旅に出たいのだ。 色々な目にあったなと思う。結局何かが始まってから酷い目に会って来たのだが、穏やかに暮らしていると忘れていくことが多い。少なくとも普段は、今日の夕食何にしようとかレシピを選び天気がいいから写真でも撮るかと歩き、最近では頻繁に屁をこくのをやめよう、とか結構まじめに考えていたりしている。やって来た良いことは何だろうな、とふと思い返そうとして、あれってどうなんだろうな、くらいに思い。しかし、水素を使う社会への促しはやっただろうと頭の中にある。とっくに考えられていたことなのだが、促しはした、と。ふふふ。 詐欺にあったことはまだショックが残っているが、4月中何もせず苦しんだり、急に元気になったりして今になり。今までの取り組むことにまだ戻り切れていない。夜遅くにも起きていて、そろそろ朝をちゃんと起きる生活にしたい。 英語の力が伸びず、気分転換にもなるから対面での英会話に行きたいが、今あるお金ではちょっとそれはできない。確か2017年の秋から始めた英語だ。一人で人と比べずにちまちまやって来たから、続いたかな。 ロト6 は外れて、100円宝くじの抽選を待っている。当たってくれ。涙。 写真を撮りながら40分くらいは歩くのだが、全身を使った運動をしたほうがよいかな。 体重が2kg増えてリバウンドしている。ヘルシーな料理を心がけたい。今日、多めにスーパーで食材を買ったから、明日は買いに行かない。 SONY の詩を詠んでギターを弾く音を録しているアプリが今年の10月でサービスを終了するらしい。備えのために録音をエクスポートしてください、とあってどないにするんやろ。疎いのよね、デジタルのことに。AI に聞けば解決しそうね。思い出の詩吟。 人恋しい時もある。旅に出るとそれが解消される、のはずだ。だから、旅に出たい。旅に出ずともいい、もやもやの解消の仕方あるだろうか。歩いて写真を撮る、は気持ちがいい、近くのコンビニでアイスを食べて新聞を読むのもいい、美味しい料理を食べるの...

縛りが緩くなってきたので、苦しみは少なくなってきたが開放的に暮らしたい。肩身せまく生きたくない。仕事はしたくない。ちょろっと、短い小説を書いてがぽがぽ稼ぎたい。正直な思い。しかし、もっと頑張れるが。

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  焦りはしていないが、このままだと嫌だなと思っている。 もっと自信を持って、 もっと大人らしく。 カメラを持って歩くと、 帽子を被った内に汗をかき、 季節が進んでいることを感じる。 もっと暑い日には、一杯飲みに行きたいね。 写真を撮って帰路についてた時に、後ろから小学生の男の子の声がして何か言われるのかな、と思っていたら自転車に乗ったすっごい小さい子で。自転車が凄い小さいから、アメリカのアニメのようなペダルの回転をしていて、ほっこりさせてもらった。お兄ちゃんと何処ぞに行くようだ。 平日に釣りに行ってみようかと考えている。ルアーではなく、サビキで。釣りと言うよりは漁のような感覚で。 30代くらいの時は、自意識として感じのいいお兄ちゃんと自分を思っていて、取り戻したいなー。優しい友達も欲しい。しかし、今は友達などそういうことも警戒してしまうな。 さてと、今日の夕飯はなんてことはないカレーだ。姉に持たせてもらったおつまみと、父にもらったエンドウ豆を刻んでスモークベーコンと玉ねぎのみじん切りを塩こしょうで炒めて、付け合わせにするかな。ビールをコンビニで買ってこよう。

それでも自由時間はありがたい。気ままにしている。

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  妄想の私は、 レシピを見ずとも美味しい料理が作れて。 子供を幾人か連れて、今釣れている様子のウルメイワシを沢山釣って、 極上のイワシハンバーグを作り、子供たちに振る舞っている。 現実の私は、 レシピを何度も見直し、あれが足りない、とか、 他の物で補えばいいのにせわせわしてる。 釣りにも行かず、行ったとしても釣れることは少ない。 余らせているしいたけパウダーをハンバーグに使うことを忘れ、 ハンバーグ自体、半年以上作っていない。 身体を覆う皮の粉が舞うのがなくなっている。 それはいいことであると生活を送っている。 補中益気湯がやっぱり効いたのかな。 私は大げさに思うことが多いのだが、補中益気湯を3か月使ってから身体のがざがざがかなりなくなったと感じている。腰の右側の辺りは少しがざがざがあるのだが、以前に比べると大分なくなっている。 ゴールデンウイークはだらだら過ごした。ずっと休日の私であるが、明日からはなんやかんや思ったことを行動したい。 20代中盤から30代前半はよく小説を読んでいて、そして今に至って思いつく綺麗だったり美しいと感じた書き手は誰か、と思い浮かべてみると小説家ではないのだが、星野道夫さんの文章は私は好きだし、そうだよな、と思っている。ただ、その初めに読んでいた小説を今読んでみるとどう思うのだろうなー、と思う。1か月に1冊は小説を読む、と考えていたこともすぐに中断していて。 この時間を、そこを過ごすのは無理をしない、ともかく継続できるように生活をするであり。1か月ちょっと前のそれなりにやっていた時を思い出すと休みながらやってはいたが、それでもうんざりしかけていたこともあるな、と思い。今から思うともっとやることを増やしたいと考えるのだが、無理だなと感じる。ともかくに続けることなのだ。 手書きの日記をつけていこうかしら、と考えたのだが字も汚いしと思ってやらないなー。 人のことをなにや、とか発信するのだが自分も書かないと感覚が分からなくなる、と思い年に4回は掌編小説を書こうと最近頭に浮かんでいる。これから何が自分の身に起きるのか、ほんとに分からんなと思いなのだが、できることをしていくしかないのだ。 寿司が食いたい、カメラのよっしゃなレンズが欲しい、旅がしたい、帝国ホテルのカレーが食べたい、デパ地下で色んなものを買いたい。