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デパ地下で美味しいハムでも買っちゃろか。

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  夏の冷えた日本酒の楽しみ。 涼音、という日本酒を今日は買った。 私の住む部屋は、夜は窓を開けると風が入る。 そして、そのまま風にあたって朝まで眠る。 涼寝である。 愛媛県西条市のお酒だね。今、少し飲んでみると甘めだけどまったく嫌な甘さではない。辛口を好むところがあるけれど、いつも辛口ではなくてもいい。涼音はどぶろくもどこかで感じさせてくれる。美味しい日本酒だと今飲んで感じる。 冷房をなるべく使わないようにしていたが、使うととても心身が楽だ。今は多分また暑さがぶり返してきているのだろうね。 作業など、と書いて作業はなにをしているのだ、というと、まあメモとか自分に落とし込んでどうしたらいいか、とか考えるくらいで。文章については、参考にしているのはまず大人向けの本や資料なので、これをどうもぐもぐ噛んで消化するかという、まだできていないが子どもや若者向けに何か伝える方法を、と思っているくらいでそこにまで行き着いていない。 1回だけ小学生さんに詩を書いてみようの時間に2人だけだったが、参加してもらったことがあるのだけれど、筆が進んでいなかったかと見受けられた。しかし、アレルギーみたいなものは感じていなく見え、どちらかというと不思議なことについて、どこかでは興味はあるのかなと私が感じるには思った。そんな全然わかんねーや、も感じたが、そこからどう興味として引き込むかという思いも私にはある。私が助けられたジャンルであるので、この不思議感を好きになってもらいたい。まあ、心を出す作業なので恥ずかしみもあるかな。 暫く、ギター以外のいつもすることをしていないと、ジムで週に1,2度軽い運動もしているとぐっすり眠ることができて、睡眠時間も長く取るとすっきりして眼も墓場鬼太郎にならないし、今現在、結構絶好調だ。中畑清だ。 暫く休んだら、掌編小説を書きたいのだが心持ちがどうなるのか、自分でも分からない。いつからか夏の時間で動いてみると決めて緩くして、でもまったく運動をしていなかったところに軽いでも運動を取り入れて、本を読むや作業もグーグルカレンダーで見返すには結構真面目にやっていて。そのまま、掌編小説も書くぜ、と8月中旬に取り掛かるとネガティブな自分が出した感情や言葉から良くない方向に心が行ってしまった。ほんとに。 そういう心を持っているので、気をつけて。夏風邪だ、とは思っていて。も...

どんな未来になるのだろうか。平和な、世界。生きやすい世界。多少のいざこざがあっても、それが良い。

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  作業や本を読むことをやめて、それでも1日の経つのは早いな、と思っているのだが。そうすると、長めに睡眠を取るようにしても墓場鬼太郎の眼にならない。よく眠ってすっきりしている。あわよくば、今の間に脳が整理されて、英語を聴きとる能力が上がっていてくれたら、と思っているのだが、そこまで普段負荷をかけていなかったのでそういうことにもならないだろう。 英語は兎に角、英語に触れることだがなかなか元気な時もそれをしないな。 自分は時間があるから、SNS も気分転換になるのだがまだ自分の時間を上手く使えない人には、有害なことも多いだろうなと感じている。学生さんとか。 時代が変わってきている。デジタルトランスフォーメーションも、殆どそれに頼る時代が来たら、インフラというのかなそれがその地域のデジタルのインフラがイカレたら、パニックになるだろうなと私は思う。車の運転をしながら思うには、予備のデジタルのインフラ設備にすぐ切り替えることができたらとも。日本酒をやっている。もうそういうことがあるかな。 デジタルトランスフォーメーションにおいて、人の都合でいいようにされることもあるかもしれない。イメージでは、防災用具を持っているようにそれなしでも動ける生活できる何かを用意出来たらと思う。ここまでが、酔った勢いの時々勝手に思っていること。 今日の夕食は長谷川あかりさんの、薬味たっぷり出汁カレーだ。改めて、レシピを見ると簡単なのだよな。すぐにできる。薬味がまた夏の風流を感じさせてくれる。夏ではなくてもある薬味ではあるのだが、でも夏の薬味だ。 また、普段思っていることを書くと電気自動車を普及させるためには、電池の交換式がいいと思う。中国がやっているように。電池の型が違うなら、小さいそれぞれの会社のスタンドを作って、ホンダのスタンド、トヨタのスタンド、など、のその車種にあった充電された電池がおいてあり、スタッフが交換する。費用がいくらか。 場所を借りてもいいよね。特定のコンビニに併設されていて、もちろんその費用はコンビニに会社が支払って、スタッフが交換する。コンビニであるとしたら、それぞれの会社がそれぞれの車種の電池を用意しておかないといけない。訓練されたそれ専用のコンビニスタッフが交換するでもいい。それなりのお金をコンビニに支払うとしたら、若干のウインウインになるのではないか。 それプラス...

確かなことは、私たちは生かされている。(と書いてみたのだが、そこに疑問を持っている人の気持ちを考えていないと思った。)

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  ペーソスが哀愁という意味だと知ったのはいつか。 人には色々な側面があって、 話を聞いていたら、芸術にも様々な視点がある。 どんな形でも、 心が美しくて、優しくて、 どこか哀しくて。綺麗で。 そういうことに、私は惹かれたい。 無職になってから、随分知識的なことも学んだことが多い。疑問、から始まったことや興味があったこと。時間があることはいいことだ、と苦しんだことを忘れるなら思う。前半は無駄にした時間も多かったが、それはそれでいい。ぐーすかよく眠っていた。 今も私の時間はゆっくり動いていて、もしこの時間を抜けたらそこに対応できるのだろうか、と思うこともある。 どこかで、終わるのじゃないかと思っている。この時間が。望ましいことだ。 どうやって生きるのか、できるなら自分の心にそぐわないことはしない生き方ができたら、と望む。それができたら、とても贅沢なことだ。 さて、でも今は今を生きている。頭を休ませて、ギターの練習は楽しんで。明日は何をしようか、というのんびりさ。少し遠めのドライブにでも行くか。夜中なら陽が当たらないから釣りにも行ける。そんなことを考えると、やはりそうとうな自由時間だ。 自分が変われば出会う人も変わる、という。今までもいい出会いはあったけれど、もっと表面的にも自分を強くしたいものだ。もっと自信を持って。 今日途中から見たハートネットTV は良かった。人が生きる意味を知るとしたら。

この憎しみは恐れから来ているのだろうか、など思った。

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  理想と現実は違う。 そういうことを経験してきて、 心構えとして所持している。 いちいち、落ち込まないように。 という程、強くはないのだが、 泥水を飲まされて、 という程、ではないのだが、 冷や水をかけられて、はいた気がする。 そうやって、強くなれるのかは私には分からないが、 ある時から、そう生きて。 それで良かった、と思っている。 生きることができた、と。 そういう実感がある。 上記のように書いてみたのですが、思い出すと憎しみが湧くという今それを体験しました。色々なことがあったのですね。今、強いかというと、前よりそういうところは、弱いんじゃないかなと感じます。パブロフの犬というか、バックフラッシュのようにそういう場面に出くわすと起こされて、どうなるんだろうな。だからこそ、今憎しみが湧きました。勝てないからですね。 正直、幾つか結果が出て良かったな、と思っています。私の場合ですが、結果が何も出なければ、馬鹿にされたままでいたでしょう。未だに悔しさを感じることが何かにはあります。 というくらいで、今出た憎しみの感情からのことを書くのはやめます。 昨日は夜に長谷川あかりさんが紹介していたレシピのサラダを作って冷蔵庫に置いていたので、それをもしゃもしゃと食べ、いつの間にか眠っていて、朝の4時くらいに目が覚めて今しっかり食べないのはいけない、と思ってずっと保温にしたままの炊飯器の米をお茶碗につぎ、安くなっていた牛肉を焼いて食べ。また眠った。午後12時に目が覚めて、いつもなら眠り過ぎると、瞼が墓場鬼太郎の眼になるのだが少し腫れただけで気分も良かった。ただ、いつもの薬を飲み忘れていた。 それから、残った白飯とレトルトカレーを温めて食べて、ぼーっとしたり、SNS を見るがあまり考えるようなのは避けて、またぼーっとしていると気持ちが楽だった。殆どぼーっとするだけで、午後の5時半までいられた。何かしようとは思わなかった。 無職になって、時間が沢山あってその間詰め込んだスケジュールではなく、むしろそのあり余る時間に苦しんだことも特に前半多かったのだが、色々な道を歩んできた感覚になっていて。 私を体験してほしい、と思う。いいよな、と思う人は。いいよな、は確かにいいよな、なのだが。 また感情が引っ張られてきた。ブログがあって良かったものだ。吐き出し口がある。 ショートネコステの気...

悔しさもある。

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  夏風邪を引いたんだなと思うことにしている。身体のしんどさと心のしんどさが始まっていて、どうにかできないものかと考えていたのだが、今日いつもの週1回の実家の手伝いをしてその際昼食をごちそうしてもらうことがいつものことで。そこで家族と話をして、自宅に戻って今年2度目の冷房を使って昼寝をしたら、随分楽になった。 焦らないこと、と冷静な自分からちょっとだけパニックくらいになっている自分に届けたい。 こういう苦しみを何度か10年の間に味わったのだが、そうなってしまうとその時その時で脱出方法が分からない。旅に出るはいい気分転換だった。今も愛媛県内なら、いや四国内なら旅に出ようと考える。 いつもやっていることは、本を読むとかそういうことは2週間くらいはやめておこうと思う。また、読みたくもなるかもだが、大したこともしていないのに、オーバーヒート状態だと感じる。何かやばいぞ、と。 まだある焦り。力を抜いて。

一歩手前で。

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  年に4回は掌編小説を書くと思っていて、夏の終わりが近づく今その時間を普段作業をしている時間と本をただ読んでいる時間の代わりに充てようと取り組んでいたら、段々アイデアの始まりみたいなのが出てきて、考えているとその日の夜に苦しみが生じた。よくあることだ、と思っていたがあなどれないもので苦しかった。 今日はジムに行って、ウォーキングをしている最中にばちん、と頭皮の辺りが痛んだ。頼むぞー、と思い帰宅してシャワーを浴びてまだ行けるかもと思い外で小説のアイデアを出そうとその場所に行くと席がなかった。 ふと、熱中症の話を思い出して、まだ大丈夫と思っていると症状が発症したという話を思い出してやめておこうと決めた。 どうするかはっきり決めていないが、暫く作業も本を読むことも中止しておこうと考えている。今日は新聞は読んだが。そして、小説を考えることも。アイデアが出始めたのだが。 どこかに焦りみたいなのがあって、何かをしていないとと思ってしまうのだが、するならまあ、遊ぶかなということだ。愛媛県内を車で散策するくらい。 ほんとに、みんな忙しいのだなというのを感じることが多いのだが、私はこの時間を使わせてもらおうと考え。これから、本当にどうなるのだろうなということを思い浮かべる。私にとって小さい女の子はぴちぴちギャルで、小さい男の子はぴちぴちボーイで。すでに酔っているのだが。 幸せであるといいなー、と何度も思う。 何かしたいなー、と何度も何度も思う。 脳に持病を確かに抱えているのだろうな、と少しなのだろうけれど感じること。 私は詩人である、と思うようにして。小説家の方は何で精神的な病を抱えた人が多いのだろう、と今更だが思う。 酔っているのだが、言葉は脳の無数にある鍵穴にその記号をぶっさす、アニサキスは胃壁に先端をぶっさして寄生(しようと)するのだが、アニサキスは浮かんだだけだが。 言葉には力があるな、と最近特に意識するようになった。詩であるとか小説であるとか抜きにするとしても。気づかないところで、その言葉の影響を受けていたりもするだろう。 良い言葉、力のある良い言葉。もちろん、それ以外の悪い言葉があることも経験して知って。 そして、気づくのは最後のプライドは持っているが私はしょぼいな、と感じる。 それでも、しゃっきり生きたい。地道に強く。 これからのことは、謎だ。思うことが結ばれ...

一歩一歩、足を出して踏むことを覚える。

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  生きることは好きだ。 楽しい会話が聞こえてきたり、 夏休みを元気に見受けたり。 鳥が飛んで、空に三日月が出ていた昨日の夕方、 月は雲に隠れてゆき。 そんなことを感じて、 結構、自由に生きている。 ただ、この苦しみが。 歩みを止めると感覚する。 だから、歩くことにしている。 やることをやっていたら前に向いているような気がして、だからするようにしている。ずっとこのままということは、ないだろうなと思っているが10年という月日が経っていることに容赦のなさを感じている。人と話す勇気、小さい女の子を今でも意識してしまう屈辱、絶対に変なことはないが。そんな人間じゃなかったんだけどな、と思う。人として普通で良かったこと、普通じゃなくて良かったこと。 もし、思ったようなことができなくても、少しずつ積んできたことがあってそれをどこかのお子さんに伝えることはできる。そう考えている。 自分が本当にやりたいことは、大きいからいいということではなく。始まりは小さくてももちろんよい。具体的なことも考えていなくて、自分なぞにできるのだろうか、とも思う。もしできる状況なら絶対にやるけれど。そう思うようにしている。 今、積んでいることはパーソナルなことで、ただ考えるとパーソナルでも今何がやれるんだ、というくらいのところで。それでも、パーソナルなことは積んでいきたい。そして、実質的に効き目のあることがしたい。心に響いたり、心に届くということは極めて難しいことだ。私自身の経験から言うと、子どもではなく私のことだが、少しずつの語りかけと実行でミルフィーユが重なって行くように徐々に変わっていったということ。ばしん、と心に響いて急に変わったということはなかった。 そうだ、そういうことを考えて本を読んで何かやっている気がして生活をしている。希望も持っている。あと、子ども時代の楽しかった経験は力になる。それも大切に思っていたい。 まだまだ生きて、色々なことを感じたいものだ。