自転車のギアも交換したい。
久しぶりにウォーキングをしてきた。図書館に本を返して、そしてまた借りて。高島屋でおにぎりを食して。借りた本は萩原朔太郎さんの詩集と三浦綾子さんの小説である。三浦綾子さんの氷点も読んだことがないので、確か実家にあったんでないかな、読んでみようと思っている。かなり昔にある人が貸してくれた三浦綾子さんの本にイエス・キリストはカナン人だったかもしれないと書いてあったのを憶えていて、かもしれないくらいなのだろうかと思うようにしている。何ていう題名の本か忘れてもう一度読んでみたいと思う。自分の拙い説明であると、イスラエルの民がモーセの先導により、エジプトの奴隷生活から逃れ、難民生活にいたのだが約束の地カナンに攻め込もうということになり、そこの偵察に行くと10人の人はカナン人は大きくとても勝てないというところ、ヨシアとカレブは行けまっせ、と言ってこの二人は約束の地に入れたという話があり、結局この二人はイスラエルの民をカナンの地に導いたのだよな。そのうち、神様はいけないと言っていた、カナン人との混血が産まれたり、人種が入り乱れていたようで。通常ではイエス様はユダヤ人ということになっているはずだ。ユダヤ人はイスラエルの民のことで、その中から救世主が現れると旧約聖書では預言されていた。ユダヤ人であるイエス様はユダヤ人によって、十字架に架けられたということになるが、カナン人だったかもしれない、という昔読んだ話だ。 自分のキリスト信仰は昔のようなものではないかもしれないが、亡くなった牧師さんが言っていた、イエス・キリストがこの世に現れた以上、神様がキリストを世に送り出してくれたのだと思っている、というのが私にはぴたっときている。イエス様にユダヤ人は強いキリスト像を期待していたが、イエス様は嫌われている罪人たちと食事を共にして、批判され、医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。と言うのだな。その時代ローマの支配下にあった、ユダヤ人は強い軍事力を持つキリストを期待していた。しかし、イエス様は柔和な存在としてのキリストだった。結構、厳しいことも言うのだが。 捉えきれない本当に大きな存在としての神様。私はクリスチャンなのでイエス様を通して、それを少しでも知って行こうということになる。あるんだろうな、と強くではないが...