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7月10日の夜に。

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  部屋の風通る夜。 少し前、夜を不気味さと静けさのコントラスト、と思ったことがある。 キリストが捕らえられる夜。 ここずっと、私の夜は静かな安堵の時で。 今日もまた、そこにいる。 やる気がある。妙にハイでもない。 今日の夕食は食べ過ぎた気がする。しかし、野菜が多かったかな。今日作った鶏皮のピーマン炒めは、ピーマンはヘタも種も取らずに縦半分に切って、それから斜めに千切りよりは厚く切っていく。コウケンテツさんの動画から学んだことだ。このレシピ自体はアプリにあるレシピだが。少しずつ自分の感覚で作ってもみたいが、料理家の方がこれが美味い、と言って出している作り方なのだからやっぱりレシピを追って作ると殆んどは美味しくなるのだ。 試すのも好きなのだよな、どんな味になるのだろうかと。それプラス、冷蔵庫にあるものでぱぱっと作れるようにもなれたらよい。少しはそういう感覚もついてきたと思うけれど。 明日の夕食は残り物と冷蔵庫にあるものにしよう。明日は、作業をする日だが午前中は自宅でするかな。集中できなかったら、喫茶店など利用しよう。 血圧が高めなのだが、夏はなるべく水分を取って汗もかくようにしているから血圧の数値が良かったりするのだよな。それが要因かは実際のところは分からないが。あとでAI に聞いてみよ。 ゴーグルファイブが出始めている。さっき1匹仕留めた。使っていなかった、撲滅用の餌をつまりコンバットを部屋の隅々に置いて行こう。ファイブどころでなかったりして。 明日は梅を干そうかな。3日3晩が基本で、1日1回紫蘇の梅酢に戻すと赤く染まるそうだ。今まで白梅の梅干ししか作っていなかったから、へー、と本を確認する。 インターネットで礼拝していて、メッセージでヨハネによる福音書13章30節のはずなのだけれど、礼拝の動画を確認せずにAI で調べると私の新改訳ではユダがパン切れを受け取ってまさに裏切りが始まるところで、30節は最後に、夜であった。とあるのだけれど、文語訳の聖書では(文語訳は昔の文章の表し方というイメージ。)時に夜なりき。と締められていて、この味わいから小説を書きたい、と言っていた信徒の方がいたとメッセージされていて。私がその時浮かんだのはコントラストだな、と思って、キリストが捕らえられる前のその夜の不気味さと、一方で夜という静けさの質の感じ。時に夜なりき、という文語体は...

早起きするといいなー。

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  言うだけのこともある。 でも、言ったんだからやってみようとも思う。 ひと時のことでもいいから、やってみるのも面白いなと考える。 感じる。 そして、感情。 そうして、思う。 一人でいると、自分なりに分析はできる。 しかし、人といると気持ちを乗りこなすことができない。 心は恐く震えることもあり、 手もまた震えることもある。 まれに、だが。 いや、ときどき。 私は何に向かっているのだろうかと、考えることがある。 学校では教えてくれない 自分を休ませる方法 という本を読んでいて、面白いなと思ったのは、つらいことに関して整理する段階で、何が自分に起こったかという事実、その次に起こったことに自分はどう感じたか、そしてその感情のせいで以前とはかわってしまったこと(行動や感情)、を見つけていく、というのがあって。その整理する段階とは、つらいことがあった前のもともとの自分を見つけていくヒントになるとあった。そうしてつらくなったあとの自分を観察するそうだ。それから、つらくなる前のもともとの自分に近づける工夫をするのだそうだ。何度読み返さないと頭に入らないな、とは思っているのだが面白いなと感じる。 私ももともとはネガティブ思考の人間で、とんでもないことはともかく大抵のことはそんなに悩んでもしょうがないことで。今も不安に囚われることが多いのだが、この本は自分に役に立ちそうだなと思っている。実際に私に実用することをしようと。分かりやすく絵や図を使っても書いてくれている本なのでネガティブ思考の人は試してみてもよいかも。 カラマーゾフの兄弟を午前中に少し読んだ。キリスト者の自分は面白いなー、と感じている。概要を全く知らないので、このままどうなるんだろうと読みたい。絶対に先を自分で読む以外知りたくない。午後も少し読むつもりだ。ぽつぽつと読んでいく。 子どものSOS の聴き方・受け止め方 という本も読んでいて、傾聴の章になって思ったのは、これケアマネの時に幾人の方かにはできていた、と思った。その話に自分も乗っていて物語を追っている自分も心が温まって感情がそこにある。 傾聴はなかなか難しいことではあるのだけれど、私は子供時代集合住宅に住んでいてそこに住む子供同士は基本仲が良く、そのおばちゃんやおじちゃんとも何処かに連れて行ってもらったり良くしてもらった思い出がある。その子供時代の思い出が、...

7月7日 七夕の日

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  肌がかゆくなっていて、 瞑想と祈りのことを思った。 脳が働くのだ、と想起し。 どんな風か、 どうしていたかと。 次第に心が落ち着いてきて、 かゆみが気にならなくなる。 負担のある感情も、どこか隅に置いている。 畏怖を持っている。 神様に感謝して。 10分の瞑想を一時期よくしてた。気持ちが纏っていくようになり物事に集中しやすくなる経験だった。酸素も脳によく巡らしているのではないか、と思っている。 キリスト者になった初めの教会では祈りが激しく(失礼なつもりではない。)私も本気で祈っていて教会を変わる前くらいに脳が反応したという出来事があった。組織の出来事以外のことでもあると思っている(組織のこともあった。)。形而上学的経験(けいじじょうがくてきけいけん)ということを知って、ちゃんと調べずに書くと宗教で時々起こる超自然的現象の経験、ということだろうか。その触りを経験した気がしている。 祈りは脳にいい、といつからか思うようになっていて、今は祈りが少ないので食事をする前になるべく祈りをするようにしている。 どこか、そんなことあらへんで、と思うようになることもあるのだが、ふとした時に感じることがある。やはり畏怖を感じる。そして、形はどうあれ大切にすべきことなのだと思っている。 サッカーワールドカップを日本以外に興味がなかったのだが、ノルウェーのハーランド選手のキャラがネットでよく流れていたので動画を見ると面白く。どんなプレイをするか、先日朝5時前に起きて、ブラジルとノルウェーの試合を見た。面白かった。ハーランド選手はのっそり動くイメージで、しかしちゃんと相手ディフェンスを引き付けていたり、いいところに動くのだな、と自分なりに思った。そして、しっかり点を取る。ノルウェーの他の選手もボールを持っての動きが速かったり、パスがしっかりしていたり、とこれも自分なりに感じた。地上波があればこれから残りの各国の試合見てみたいものだな、と思った。 おじいさんにもらった植木を土を変えた方がいいのか、と思っている。私は植物にそんなに関心がなかったのだが、おじいさんは頑固なので押しに負けて植木を2鉢もらっている。植物があるのは悪くないな、と今は思っている。植物に詳しいの今でもおしゃれだと思っているが、なかなか植物の名を覚えようとしない。 蒸し蒸しとするが、いつまで扇風機で耐えることができ...

スローライフ2026

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  スーパーで20%オフになっていたちゃんばら貝を買い、お昼にお味噌汁にして夕方もその残りを飲んだ。落ち着くわー、上品やわー、とつゆを飲みつまようじで貝の身をつるりと掻き出す。たまにはこういうのもいい、と思った。いつもは見かけないちゃんばら貝、愛媛県産のものだ。 夕食はお昼にヨーグルトに漬け込んでいた鶏肉をフライパンで焼くハリッサチキンである。ヨーグルトにハリッサペースト、にんにくのすりおろし、クミンパウダー、塩コショウ、レモン汁、オリーブオイルなど今思いつくこれらを混ぜて、スライスの赤玉ねぎ、鶏肉を漬ける。 スマッシュケバブという料理の時に学んだ、ヨーグルトに香草のチャービル、ペパーミント、にんにくのすりおろし、オリーブオイル、塩こしょう、レモン汁を混ぜたソースを焼いたハリッサチキンに添える。 美味しかったのだけれど、スマッシュケバブに特にヨーグルトソースは合うのだなと思った。しかしながら、それでもとても美味しかった。明日の分もある。 やるべき作業を暫く、週に3日にすることにした。大分緩いがその代わりに、車の中で避けていた英語のドリッピーや簡単な会話のシリーズを聴くようにして、ギターはなるべく普段から触ることと3日間プラス録画する3か月でマスターするギターの30分の時間に触る。 本を読む時間は何もしない4日の幾日かをカラマーゾフの兄弟を読む時間に充てる。 子どもに関する本や文章についての本は、暫く3日の中でそれも少しずつ読む。考える時間があってもいい。勢いがついてきたら変更していく。 随分、緩いが暫くはこれでいく。あんた緩いねー、と言われるだろうが今の私のペースはこれくらいだ。 いつまでこの生活が続くか分からないが、これくらいのペースだといけそう。変更もあるし。 残りの4日間は写真について今までのことをさらに研究したいし、料理の時間が余裕があってもいい。だらだらしてもいい。もっとさらに余裕ある男さんになる。運動したいね、その4日間に。

告げる文(つげるふみ)

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  さっさと、この世を去りたいと思い始めていた。 いつからか、明けの光の気配があって、 生きたいと思っている。 ただ、大きな事柄ではなくても、 そういう世界があることを、心に留めて。 だけれど、わたしは、 とても楽しく生きることに挙手をする。 そんなことでも、今までの時間に結構旅に出かけている。ありがたいことだ。 苦しみもそれなりに経験した。 む、とすることがあってもそのうち心が通じた思い出。おじいさん、笑ってくれた。 嫌味なやつだったな、と反省。 カメラ、つまり写真が詩を書くお供になっていることに、あらためてブログを始めるために写真を撮るようになったこと、よかったなー、と。 薬の影響で日光過敏症になっている。2年前くらいは大丈夫だったのだが。 人と話すことが少ないが、特に家族以外と話すと以前からだが整理して話すことができていない。急に思いついた話題に説明が不足している。ちぐはぐだったり。 一声あれば、購入するかも。あのバンドのコピーを中学のやつらがしていて、羨ましかった思い出。自分の思い出はただただ反省。大学生の時もソロになってからのコピーをしたことがあるのですよ。ああ、そうだバイトでソロでのライブのセキュリティーもやったことあります。後ろを向かずに聴いていました。後ろを向いたらいけないルールなのです。(観客を制する役割で観客側を向いている。) 落ち着いて、穏やかに焦らず暮らしていきたいと思っています。 そうだ、踊る阿呆の世界戦略も本当にとても面白かったですよ。私が判断しても(失礼ですね。)正直なことが書かれているのだなと思いましたし。著者だったかなも、そう言っていましたね。宣伝するタイミングを失い。まあ、田中さんだからいいか、と結構本当に思いました。というのは、そういうの許されそうだと思ったので。 ビジネス書というジャンルになるのだったか。トライ、の方の人間さを感じました。殆どを父の病院の待ち時間で読み、読み切りも病院でしました。面白かったすよ。ビジネス書とかあまり読まないのだけれど。

また今日がゆく。

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  今読み始めている子どもから大人までの、自分を休ませるための本が分かりやすい。自分なりに頑張る習慣がなくなり始めている私を少し分析できる。分析という程ではないが。焦らずに生活をしていきたい。 目を自分に向けた方がいいかな、と思っている。自分はどこまでやれるか、できなければそれはそれ。何に関心があって、今までやってきたことにはどういう思いがあるか。やってきたことというのは、今まで作業をしてきたこと。全部やみくもにただやってきた、ではなくてそこにどういう感情があるか。ちょっとかっこいい言い方であるし、今そう思った方がよいと思っただけであるが。 いい写真を撮りたいが思ったように撮れない。どこかに若干の諦めがある気がするが、いい時は自分なりにいいのでまだまだ少しずつ情報を得ながら、こーなんだ、と感じながら粛々と撮り進めたい。 近くを歩いていたり、どこかに出かけたりした時にの感情が動く場面にごく最近は出会うことが少ない。優しいことに包まれてあるなら。 嫌われていいのだ、というメンタルに向かわない。でも、ちょっとやられ過ぎじゃない、もっと普通に生きて気にしなくていいんじゃない、と最近思う。 料理に赤玉ねぎを使うと、ちょっとおしゃれな気持ちになる。ヨーグルトをソースにするなんかもよい。

日々のために。

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  無邪気、が一つの原因だろうな。 どうやって生きられるものか。お金を自分では稼いでいない。つまり自立できていない。今年で48歳だ。自立した大人になりたいのだが。 やはり文筆で稼ぎたい。詩と掌編小説はブログに載せている。長い小説は慣れていない。 無邪気な人間だが、文章をきれいに心を注ぎだして書いている時間は好きだ。気持ちが安心する。 感じる性質を受け取る時間も好きだ。美術館であるならそれを自分なりに受け取る。 かわいいものが好きだ。懐かしさを感じるからだろうか。 旅に出て、新幹線の中で本を読む時間が好きだ。気合を入れて読まないといけない本をチョイスする。 たまにダメージを負うけれど、仕事をしていた時ほどではない。しかし、ダメージを負うとそれなりに苦しむ。 仕事は嫌なことばかりではない。人として魅力のある人にも出会う。自分も頑張ろうと思える。 外の雨が激しい。梅雨なのだ。 仕事を辞めて、それからも色々あった。嫌なこともあればいいこともあった。とんとんだ。でも、面白いことは多かった。いいことの方が多かったのかな。いや、いいことというより、面白いことだ。