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大人のための超基礎ギターについての見解。①

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  自分なりにギター初心者から、大学時代に先生に習ってギターとはそういう楽器なのだと知ったことを、時々ブログにあげて行こうと思っています。古賀さんがnote で言っていたクソガキだった自分にとあったのですが、自分も30代中期までクソっぽかったなと思います。しかも私の場合へたれのせこいタイプだと思います。先生は五線譜のノートを用意するように言ってくれ、質問をなるべくするように、と言ってくれました。私は記憶の限りでは、1回も質問をしたことがありません。誠実さも欠けていたように感じます。でも、良い先生でした。 では、何も知らなかった私が最初に驚いたことを記します。 C ってドのことだったんだ。ドレミファソラシドはイタリア語だったんだ。CDEFGAB は英語なんだ。C から始まってBまでの基本は7音で構成されていて、それに半音上がる♯、と半音下がる♭があるんだ。 なるほど。 C メジャースケールて言うけれど、ドレミファソラシドのことなんだ。 では、上の写真にある全、とか半、とか記している箇所がありますね。よく言われる全音、と半音です。 ギターは1フレットごとに、金属のバーが施されていますね。そのバーを次のバーに行くと、1フレット上がると言えます。別に下がってもいいです。ギターではその1フレットの移動が半音なのです。ソ、つまりG の音を押さえたとして、1フレット上げてみる。G♯になります。1フレット下げます。G♭になります。 つまり、ギターではフレットが半音ごとに刻まれているのです。 上記の写真に全全半全全全半と書いているところがありますね。メジャースケールではその音の間の間隔が基本です。 全音2フレット、半音1フレット。 そのように進みます。C とD の間は2フレット。D とE の間も2フレット。E とF の間は半音なので1フレット。全全全と2フレットずつそうやって進み、B とC の間は半音なので1フレット。 5弦の3フレットからずらして行くと、分かりやすいかもですね。5弦3フレットは、ド、つまりC であってそこをその感覚で横にずらして行くとCDEFGAB の成り立ちが分かると思います。 じゃあ、D メジャースケールって何、というと私は頭の中でD のドレミファソラシドと思っています。 C メジャースケールで全全半全全全半の並びがありました。D のメジャースケールはこ...

マイペースで目標に歩く。

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  1時間30分もすれば、そういう型になっているのか嫌になる気が入ってくる。喫茶店などでの作業について。ここに好きなエッセイの本とかを挟めば状況は変わるだろうが、日々のことと考えて塵も積もれば、確かに何かは変化する。今までは30分の区切り作業であることが多いが、ものごとをさぼる最近からのリスタートとしては、ゲーム・インターネットの世界から離れられない子どもたち、と子どものための精神医学の2冊をメインに好きな時間で読み始めている。ノートでのメモもそれに準じてとることにしている。1時間30分、からもう30分は英語の日の名残りのリーディングをまた続けて行こうと思っている。インターネットで正式な発言のような動画から聴いていて、その単語は分かる、今の言い回し、とか簡単なことは分かるのだが意味を繋げて理解していくことができない。そこに壁があるようで乗り越えられない。ただ、カジュアルなネイティブのしゃべり方ではなければ、何を発音してるのか分かると言えるほどではないが、しかし、英語の耳ができ始めている。ただ、2月はとにかくさぼったので、巻き返さないといけない。 苦しくなると、スマホにぶつぶつと書くのだが一定のラインを引かねばならないのに、それができない時がある。それと昔からだが、自分の視点でしか物事を見ることができていないだろう。いっぱいいっぱいになる。 私がおかしくなり始めて、記憶の限りだが睡眠時間4時間で朝の4時に起きて勉強を開始し、そのまま勉強を続けていたことを、母親から父親が偉い、と言っていたと聞かされたことがある。その期間も長くはなかった。うらやましいな、と思っているんじゃないかな、とどこかの声を拾った。少なくとも、いいな、と思ってはいるかもしれない。 確かに人は確実に死ぬ。その間、人間社会を生きることになる。それが苦手な人は静かに人気の少ない田舎に住むのかな。まだ、私が嫌な目にあっていない段階の時で、テレビを見ていて獣医になりたい、と思った。人と関係するより動物と接していたい、と思った。弱い思いがそこに現れてそう思った。同じようなことを動画で言っていた人がいて、そういう人もいるよな、と思っていた。その人はそこの道をちゃんと進んで、私は勉強ができなかったので話にもならなかった。 自分を変えることは難しいな、と思っていて私は人間関係に弱さを今も持つ。しかし、A型就労...

眠り過ぎるくらいに眠ると、すっきりする。

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  生きるために、何が必要だろうか。 水、食事、他人、衛生的環境、 親切、愛、平和。 私は時々、苦しみがやって来る。 何が必要なのだろうか。 好きなことをして、好きにお金を使って生きて。 若い人がいい、と言っていた。 確かに若さには力がある。 若さにあっても、苦しみばかり一方的に受けていると、 力は渇くだろう。 希望を持つとき。 想像でしかないが、すると、私も希望を持つことができると、思いたい。 若い人が来てほしい、と言っていたのが印象に残っている。少し考えて、そうだなと思った。若さには人に伝わるエネルギーがある気がする。私もそういう面ではまだ若くいたい、と思った。いまだに子供や若者のために何かがしたい、と思っているくらいなので。お金も好きには使っているが、そんな贅沢はしていないつもりだ。普段は。 あと2年くらいは、このある程度お金を自由にできる暮らしはできるはずだ。昨日夕寝をしていて、というか夜が更けて眠り深夜になって目が覚めた時、定かではないが、直前の夢で死ぬのような夢を見たのか、死ぬのだったらもっとできることがある、と思いが至った。子供や若者についてのことを思った。大変だと思うんだよね、人と関わることは。少しは経験した。分かってくれるまで、気に食わない、を経験するだろうし。福祉の仕事での経験よ。 何となく思っていたことと、今日歩きながら思ったのは。お金がなくなってきてからは、阻止されるかもしれんが、子供なんかやってみよう家庭教師の仕事を立ち上げてみようか、と思った。受験期の難しい頃ではなくて、たくさんのふしぎ、という本を一時母親がとってくれていて。そういう内容のようなことを自分は真面目過ぎるかもだが、遊びを通じて子供と試してみる。 それに、ギターを基礎なら教えられるし、写真を撮ってみようとか、詩を書いてみよう、とか社会のことを分かりやすく説明したり、私は間違ったことも含めてしまいそうだが。なんか、できたらなと妄想していた。それなら、私が普段勝手にやっていることにも、やる気が湧く。無駄じゃない、と思いたい。妄想では心について、何か働きかけられたらとかも思う。アニメ風に言うなら、心を燃やせ、だ。そこまで大げさなものでも、ないが。種をぽろん、と蒔いて。でも、情熱があると人に迷惑をかけたらいけないが、気持ちはいいのだね。以前は特に独りよがりだったのかな。少し、...

ゆとりがあるならば。

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  江國香織さんの詩に、朝起きて飲むコーヒーの幸せについての描写があった。私もここ最近の眠り過ぎの後のコーヒーの香りやおいしさに、やっぱりコーヒーはいいなー、と感じている。眠り過ぎはそろそろやめておこう。でも、その後のコーヒーがまた格別なのである。 さて、どうも春が近づいてきている。過ごしやすくなってくるが、生鮮食品などの扱いに注意しておきたい。コップに水につけておいて、冷蔵庫の外に出しておいた生姜はだめになっていた。冷蔵庫の中のイカ墨ペーストの瓶のふたが開いていて、これもだめになっていた。部屋は、きちゃない。頑張って、一週間に一回は掃除の時間を設けようか。すぐに挫折はするが、暫くは頑張ってみようか。 自由時間が多い今の生活、少々さぼってもまた始めればその時間は確保できる。ただ、流されてばかりでは自分に身について残るものも少ない。願をかけるように(クリスチャン的な表現ではないかもだが。)読んでいる本も何かに結びついて役に立つこともあればな、と思っている。読んでおいて良かったな、と思えれば。でも、今も読んでおいて良かったな、ということもあるのだが。文筆に活かすこともできている。今の思いは子供について、本を読んでも何か実質的に響くことがあれば、という願いがある。心が弱っていたら、何かをするという力は湧かない。でも、一杯のコーヒーで幸せを感じる時がある。出会いや外部から働きかける何かによって変わることもある。ゆっくりと本人は気づかなくとも。運命が変わることもある。 そんなどこか、アニメ的なことはあるのだと思っている。都合は良くはないかもしれないが。 世界は確かに厳しい。でも、書くのが恐いくらいだが、運命を変えてみたい。生きている力を変えてみたい。良い方に運命が好転することに。

詩集 ひさしぶりのバッハ 清岡卓行(きよおかたかゆき) より

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  小康 年老いて自宅にこもり療養すると 年老いた妻が美しく見えてきたりする。 看護してくれるからだろうか。 ではなぜ窓の外のくすんだ灰色の庭石が 眩しい存在に見えてきたりするのか。 午前十時すこし過ぎ門柱の郵便受けに 手紙らしいものの落ちる微かな音。 雨のなかは小春日和だ。 遠くに漂うのは少年の日に失った友情 淡いデカダンスを含んでいたその音楽。 ☆小康(しょうこう)~病気や騒ぎ、悪い状況が一時的に収まり、少し落ち着いて安定している状態~スマホより。 多摩湖 4 ほとんど乾いている 冬至の昼の人造湖。 渇水? それとも 拡張かなにかの工事? 向岸の手前で 黄色いクレーンの車が 超小型の玩具の 遠く微かな戯れをする。 こんなに広かったのか このかりそめの夢は。 それに 魚もやはり 棲みついていたのか。 真中に残る繭形(まゆがた)の水溜まりで 子供が数人 動かぬ人形のように 釣糸を垂れている。 もし私の日日が いつかほとんど乾いたら さらに白く乾くより ほかに術(すべ)はないから クレーンではなく 子供の歌う風だけを。 へんに明るく暖かい この冬至の夢の跡。 湖の底の焦茶色の土には 草も穴もなく 砂丘に似て 低くなだらかな 翼がうねる。 ☆繭形(まゆがた)~カイコが作る繭のように、中央が少しくびれた楕円形の形~スマホより。 多摩湖 6 冬至のあくる日の正午 青い空で 太陽をわたしに隠す 雪の城。 その垣の罅(ひび)から 漏れた矢の 光の束が 人造の湖を 底まで突き刺す。 おお 神話の芽生えそうな一瞬 軽鴨(かるがも)の浮くさざなみの そこだけの金の鏡。 わたしには どんな神も棲まないのに その鏡から立ち昇る 竜のまぼろし。 きのうの夜 幼い子と 歌って潜った 柚子(ゆず)風呂の芳しい 湯気の香りが 心のまわりに まだ漂っているのだろうか? 夢想に手と足を奪われた 父から離れ 幼い子は自転車を 山茶花(さざんか)の母へ 堤防の果てへと 一直線に走らせている。 おしゃれな雑貨屋で真鍮で作ったピンバッジを買って、トレーナーの袖に取り付けたい、と今頭にそれが浮かんでいます。実行するかもしれません。 軽く読む喫茶店での読書は気持ちがよいです。今日は図書館で借りた詩集と辻仁成さんのエッセイを携えて。エッセイおもしろい。まだ最初の方だけを読んで、悪がきだなー、と、でもなんか...

おしゃれ。

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  一つ一夜に花が咲き、 二つ夜に揺らす風が吹く。 人情という程の情けは持っていねえが、 産まれてきたから、にゃあ、にゃあ、 あれ、そういうことよ。 てん、てん、てん、て、て。 てん。 少し、調子に乗っている。春が近いからかもしれない。そして、調子に乗りたい。しかし、今までの問題もあるが一人で暮らす今の自由さ、楽さ。お金もかつかつではない。ごめんなせえ、の自分の性質で最近思うのは、社会からの借りは、良いことをするでお返ししたら、いいや、と思っている。実際的な、良いことを。昔からの思いを引き継ぐなら、さらに良いことができる人を輩出できたら、とかもやはり思う。そうでなくても、幸せに生きられるためによく生きてもらえたらも思うし、さらにその幸せに余りがあるなら、ちょっといいことをしてもらえたらと。ボランティアでもいいし、募金でもいい、そういう地味なことでもいい心があるからできることだ。そっちの方がいい。 経験だな、と思っている。私は挫折して暫くは悪い思いを心に持っていた。でも、経験によって、人も悪くないと思うようになった。さらに今は時間が経って、大人に近づくことができたな、と思っている。昔、イメージした良い方の大人だ。 それでから、また嫌なことを何回か経験して一人が楽だわ、と思っている。いつか、自分が思っていることをすることができるのだろうか。あまり、イメージが湧かない。自分一人で何かに働きかけて一人でできることで、思っていることをすることはしっくりイメージが湧く。組織となると、大ごとだ。それも自分の経験による変化(へんげ)によってできるのだろうか。それに今現在、何をするのかもあやふやであるし、掴んでいない。でも、やっぱり何かしたい、のパッションがある。幸せの道へのために。幸せがいい、幸せになるべきだ、と思う。ちょっとひねくれていたとしても。人とはあやふやなものだ。 とか、思い続けて無職になって早、10年。おしゃれー、と生き方のスタンスに下校の際に呼び掛けてくれたのかな、と思うちびっこも、もうぴちぴちギャルになっているだろう。 なんてことだろうか。いまだに、もじもじおじさんだ。まじもんのおじさんを感じる。しかし、抗うべきだ。おじさんにおいても、お金があればおしゃれに服を着こなし(しかし、普段の生活は同じ服を着続けるのが楽になっている。)、クールにBAR で店員とお話...

そんな、そんな。

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  春を待っている。 電気ストーブの温もりを感じながら、 生活を送りながら。 そんな気配の中、待っている。 フリンジが出たまま、写真を使っている。AI に従って、カメラを初期設定したのだが時々出る。なので思うようには現像ができない。何なのかな。使っているレンズは中古で買ったそこまで悪くない35mmのレンズなのだが、レンズ欲しいな。暇つぶしに行った家電量販店で、LUMIXのコンパクトカメラを見て、鼻歌詠いながらこういうカメラが買えたらな、と思っていた。小さいカメラを旅行に携帯して。しかしながら、制約のあるこういう生活も好きで、どうなるか分からないが、忘れたくないなこのような気持ちと思う。悪くないんだよな。ある程度好きにできているということもあるが。 やって来たぜ、猫嵐登場、毛っちらすぜ。(山嵐より) と、車の中で歌いながら、いい替え歌だ、と思っている。歌詞の配置はあっていないかもだが。春がやってくるので、猫の毛も散らかります。 日々にやることをさぼっていたら、生活も少しだらけるな、と思うのだがそれも気持ちがいい。 部屋が汚いのが当たり前になっている。ある程度はちゃんとしたい。したい。 写真を歩いて撮るのは気持ちがいい。気分も緩和される。ギターをちょこっと弾くのもそうだ。美味しいご飯を食べるのもそうだし、お酒をたしなむ程度に飲むのもそうだ。長い頑張る読み物は気合がいるが、綺麗だったり美しかったり、味があったり面白かったりする文章はちょこっと読むには気持ちがよい。 そんな日々である。