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一歩手前で。

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  年に4回は掌編小説を書くと思っていて、夏の終わりが近づく今その時間を普段作業をしている時間と本をただ読んでいる時間の代わりに充てようと取り組んでいたら、段々アイデアの始まりみたいなのが出てきて、考えているとその日の夜に苦しみが生じた。よくあることだ、と思っていたがあなどれないもので苦しかった。 今日はジムに行って、ウォーキングをしている最中にばちん、と頭皮の辺りが痛んだ。頼むぞー、と思い帰宅してシャワーを浴びてまだ行けるかもと思い外で小説のアイデアを出そうとその場所に行くと席がなかった。 ふと、熱中症の話を思い出して、まだ大丈夫と思っていると症状が発症したという話を思い出してやめておこうと決めた。 どうするかはっきり決めていないが、暫く作業も本を読むことも中止しておこうと考えている。今日は新聞は読んだが。そして、小説を考えることも。アイデアが出始めたのだが。 どこかに焦りみたいなのがあって、何かをしていないとと思ってしまうのだが、するならまあ、遊ぶかなということだ。愛媛県内を車で散策するくらい。 ほんとに、みんな忙しいのだなというのを感じることが多いのだが、私はこの時間を使わせてもらおうと考え。これから、本当にどうなるのだろうなということを思い浮かべる。私にとって小さい女の子はぴちぴちギャルで、小さい男の子はぴちぴちボーイで。すでに酔っているのだが。 幸せであるといいなー、と何度も思う。 何かしたいなー、と何度も何度も思う。 脳に持病を確かに抱えているのだろうな、と少しなのだろうけれど感じること。 私は詩人である、と思うようにして。小説家の方は何で精神的な病を抱えた人が多いのだろう、と今更だが思う。 酔っているのだが、言葉は脳の無数にある鍵穴にその記号をぶっさす、アニサキスは胃壁に先端をぶっさして寄生(しようと)するのだが、アニサキスは浮かんだだけだが。 言葉には力があるな、と最近特に意識するようになった。詩であるとか小説であるとか抜きにするとしても。気づかないところで、その言葉の影響を受けていたりもするだろう。 良い言葉、力のある良い言葉。もちろん、それ以外の悪い言葉があることも経験して知って。 そして、気づくのは最後のプライドは持っているが私はしょぼいな、と感じる。 それでも、しゃっきり生きたい。地道に強く。 これからのことは、謎だ。思うことが結ばれ...

一歩一歩、足を出して踏むことを覚える。

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  生きることは好きだ。 楽しい会話が聞こえてきたり、 夏休みを元気に見受けたり。 鳥が飛んで、空に三日月が出ていた昨日の夕方、 月は雲に隠れてゆき。 そんなことを感じて、 結構、自由に生きている。 ただ、この苦しみが。 歩みを止めると感覚する。 だから、歩くことにしている。 やることをやっていたら前に向いているような気がして、だからするようにしている。ずっとこのままということは、ないだろうなと思っているが10年という月日が経っていることに容赦のなさを感じている。人と話す勇気、小さい女の子を今でも意識してしまう屈辱、絶対に変なことはないが。そんな人間じゃなかったんだけどな、と思う。人として普通で良かったこと、普通じゃなくて良かったこと。 もし、思ったようなことができなくても、少しずつ積んできたことがあってそれをどこかのお子さんに伝えることはできる。そう考えている。 自分が本当にやりたいことは、大きいからいいということではなく。始まりは小さくてももちろんよい。具体的なことも考えていなくて、自分なぞにできるのだろうか、とも思う。もしできる状況なら絶対にやるけれど。そう思うようにしている。 今、積んでいることはパーソナルなことで、ただ考えるとパーソナルでも今何がやれるんだ、というくらいのところで。それでも、パーソナルなことは積んでいきたい。そして、実質的に効き目のあることがしたい。心に響いたり、心に届くということは極めて難しいことだ。私自身の経験から言うと、子どもではなく私のことだが、少しずつの語りかけと実行でミルフィーユが重なって行くように徐々に変わっていったということ。ばしん、と心に響いて急に変わったということはなかった。 そうだ、そういうことを考えて本を読んで何かやっている気がして生活をしている。希望も持っている。あと、子ども時代の楽しかった経験は力になる。それも大切に思っていたい。 まだまだ生きて、色々なことを感じたいものだ。

にんにん。と書いて、人人かと思い。

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  目がむくんで顔にアトピーが出ている。私が思うに精神科薬若しくは私の病からの影響かな、と。福祉の仕事を始めた時もぶくぶくに顔がむくむという症状が暫く続いた。そして酷いアトピーが出てずっとそれに苦しんだ。 ひょっとしてだが、私は本来あまり酷使をしてはいけない身体と精神なのではないかと、昔からと今も思うことがある。 これからを考えて、必要ならごり押しもする気持ちだが、特にやりたいことに関して少々のことはと本当に思っているが。 多分、病と薬の症状だろうな、と身に感じて不具合を思う。 ただ、そんな簡単に薬を変えるのは危険で、今は少々なので生活リズムを気をつけて暮らすことにしている。 今日も、ちょっと睡眠時間が長くなってぶくっとむくんだかな、と自分が考えるにはそう思った。そう感じる日がそれなりに今まであるので。 日光過敏症からの疑いもある。窓を開けて寝ているので朝、太陽光が顔にもろにあたりうんうんしながら、それでも寝ていたので。でも、これは最近よくあることだ。 だんだん、笑い話のようになってきた気がする。 日光過敏症も精神科薬からのことである。でも、必要な薬なのだ。それは間違いない。 カラマーゾフの兄弟を時々読んでいて、人が感じている3次元の認識についてもすでに、ドストエフスキーは感覚していたのだ、と知った。上巻をもう少しで読み終わる。残り、中巻と下巻がある。マイペースで読んでいるが面白いと感じている。 人間行動学の本もカラマーゾフを読む時にその次に読んでいて、サドいな、と、でもそうなんだと思いながら読んでいる。好奇心のある若い時になど読んだらサドい気持ちになって、悪い気持ちが出ていたかもしれないが、今の年で読んだので良かったと思っている。ある程度はどっちもあることを認識しておいた方がいいんだなー、と感じる。優しい子ども時代にそういうのを吹き込む輩がいたら、井戸の中に落とし、反省を暫くしてほしい思いがあるが。どこに井戸があるか知らないけれど。 いいんだろうか、こういうことを書いて。いいことにする。 今日の夕食はスーパーの総菜だ。あと、残りのゴーヤーの酢飯。ゴーヤーはいつぞやからか、一般市場にも出てきたんではないか、と思っており、夏に食べておきたい野菜になっている。明日も有賀薫さんのレシピでなんだっけ、ゴーヤーと豆腐のカレーだったかな、それにしようと思っている。忘れて...

変身。

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  今日は暑いな、と思い英語をさぼることにした。気力としてはできるのだけれど、もういいかと。明日は飲みに行くことにした。悶々とし始めている。 昨日は冷房を使ったが、今日は使わず。 何にスイッチが入ったのか、一人でとても楽しいわと思っていたのだが、悶々がももんが、始まっている。ドライブとか、やっぱ日帰りの旅に行くかな。美術館を目的にしてみるか。 冷房を使っていなく、気分転換と涼みに近くのコンビニに行く途中、カンガルーとかライオンとかが木陰でぐったりしているイメージが湧いてきた。暑いと少々だらだらしてもいいな、とあのものたちもそうなのだから、と。 ある女の子のあるアイコンが変わり、挑発~ちゃんだ、とハートをどっきんどっきんさせている。よい子だった。今もよい子なのだろうな、とノスタルジックな気持ちで、時間は経っていく。 とっくに人生の後半に踏み入れている。色々なことを知った。肌身に感じること、知識としてそうだったのか、ということ。 変な言い方だと、ものすごく頭のいい人。それに対抗するには、これも言い方がおかしいが。芸術の感覚の世界、が対抗できるのではないだろうかと、今思った。時々思っていたことだが。頭の良さではとても勝てない。勝ち負けをここで現すのもなんだが。でも、ひょっとしたら何かの世界、感覚、何かの力が働いている、領域は大分酔い始めているのだが。その人が持つ領域の感覚に触れるには、ただ、頭が良いだけでは不可能であるかもしれない。 頭が良い人は感覚を働かすことも理解しているから、そこも知っているのかもだが、到達点に触れるのは頭が良いというだけではないだろう。 お前はどうなんだ、と責められると今は言葉について情報を読んでカオスだが。感じることは、感覚することは、説明書きがあったとして、それ、感じます、というそんな喜びだ。ちょっと、それ感じていますよ、は快感だ。 間を置いた気持ちになって、人と話していて気づかされるのは、そういうこと人によっては不愉快なのだなと。暮らしがあって、生きている。それぞれの守る暮らしがある。 ただ、私は今体力があって感じたい。年を積み重ねるごとに何が変わっていくだろうか。そういう一方で君はいい子だね、男の子だって女の子だって。何かが変わると面白いね、と思うのだ。何かが変わる。私も求めていたことだ。

まだ、ふん、ふん、ふーんな生活。

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  生活を続けている。 さほど、丁寧な暮らしではないが、 時々、掃除をして、洗濯をし、 食事を作って、それを食し、 蝉の声を聴いて、扇風機にあたり。 インターネットの先を見て、時々、テレビを見て。 正直に言うと、普通じゃなくて良かったと思っている。 改めて、良かったー、と思っている。現状を。 生活がある上に、仕事があるのだとすると私のキャラクターから言うと、怒られながら。すぐ、物事を忘れるし。仕事も良かったなー、と思うことも多かったのだが、ずっと離れているとできないかもな、と思う。何度もであるが、ケアマネージャーからだなトラウマのように仕事の恐ろしさを知った。短期だが成長が大きかったのもケアマネージャーの仕事をしていてだな。 今は生活をすることが主だったことで、それプラス作業をすること。無職の10年間何事もなくやっていたのか、というと結構苦しみも経験している。 実家にあった人間行動学の本を読んでいると、実験と分かっていたとしても長期に看守と囚人の役をやっていると、囚人は立場が弱く抵抗ができないために、看主役の人たちは段々高圧的な態度になっていくという話だ。ちょっと自分の立場を雲の上にやって感じることは、人間という生き物なのだなー、とやっと気づくようになったというか。性質があるのだな、知能が高いから絶対はないとしても。 ただ、その現場にいると私は見えていないことが多いのだと。 福祉の施設、知的な障害の方たちと高齢者の方たちについての仕事をしていて、明日が憂鬱ということはなかったな。初めはちょっと自分の質が良くなかったこともある。 今までバイトを含めて、そうじゃない人もいたかもだがちゃんと誇りを持って仕事をしていた人が多かったという私の印象だ。 ああ、そうか。うわー、という人もいたか。私の父親の少ししたぐらいなのにという。私はそう感じた。 急に思い出したのは、私のことを偉いと言っていたと聴いた知り合いのおばちゃんが随分前だが亡くなって。その頃の元気な母親の映像が今おばちゃんが偉いと言ってくれたことを思い出して、現れた。専門学校に行くまでの3か月間私は警備のバイトをしていて、その間父親に辞めたい、と言って。父親が激怒して。懐かしいなあ。ヘタレだったんだよな。その話を母親がおばちゃんにして、偉いって言ってくれていたそうだ。私は、辞めたいと言っていたことも言ったのか、...

俳句にどこか影響され、そして詩です。私は詩人です。

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  雨は降る。 いつかに降る。 地に落ちて、 流れ、または染み。 涙のように渇きを潤し。 心を脈拍する。 雨の音、涙落ち。 心もまた律動して。

かき氷美味しかったなー。あれくらいあっさりしていたら、また食べたい。結構値段はするが。

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  地道に、例えば人と生きる仕事、 大変だなと思う。 甘いなと私を思うが、 強くもなっていて欲しいと願う。 多分、人と接すると自分の弱さを感じるだろう。 どうにか、と考えて、 私はどうなりたいだろう。 幸せの響き。 少ししたことで綻びが現れるのだと感じて、緩いのは今でも緩いが、気分転換の必要性を思った。でも、インターネット上で、たまにテレビで何かのシグナルや反応があるのでやっぱりそれに助けられているのだろうなー、と。それがなかったら、週に1回家族と話す以外に他者とちゃんと話す機会がない。日曜日のインターネットの礼拝でも私はメッセージ中に思ったことを、べらべらりんとパソコンに向かって話しかけている。これも結構、溜まったものを吐き出せている気がする。どうやら、どうやってか通じているのだ。テレビでもそうだ。考えてみれば空恐ろしいことではあるが。 文学、とか私は特に最近言うがそっちの人たちみたいに、そんな知っているわけでもない。言っていて、ちょっと不安になった。でも、文章を書くことは得意だ。私の文章であれば。 週に作業を3回だけにする、と決めてから今のところその3回はまじめにやっている。3回だけなのだから、ちゃんとしようという意識が働いて。ジムへも行くようになっている。 冷房をまだ使っていない。どこまでいけるか、何ならやり過ごせるか挑戦しようと思っている。べたべたした汗を流している。 今日は冷蔵庫にバジルとピーマンを余らせているので、あかりんの鰹のタタキの丼が夕食の予定だ。スーパーで食材を買い足している。