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夏は好きだが、秋が訪れて、ほっとする気持ちが心に現れる。

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  陽ざしの強さはまだあるが、 自宅にいて窓を開けると、風がよく通る。 休みの多い、休みが殆どのこの生活に感謝して紅茶を入れる。 人恋しくなる時もあるが、心が安定している時は、 煩わしさがなくて楽だと思っている。 でも、変わった方がいいのだろう、とも思っている。 その方が、自然だと。 私は働いた経験は、一般の人より年数が少ない。福祉の仕事も4つの施設を転々としている。それぞれの仕事で楽しいこともあったし、苦しいこともあった。そして、無職になってその間にも色々を経験した。結構濃い経験だなと思っている。 さあ、そこでもし、この今から解き放たれたとしたら、人とまともに話すことができるのだろうか。最初は自分の声の裏返りとか、分かりやすい反応をするとか、自尊心が傷つく予感がしている。そこを乗り越えないといけないのだろうな、もし状況が変化したら。 だから、そういうことになれるために、早く変わって欲しいと思う。今はかなり楽なのだけれど、冬に布団に包まって出たくない気持ちに似ていて、安穏(あんのん)と引きこもって、楽だなーとずっと生きていたら身体壊すよ、のようなことを感じる。 9月は下旬に入り、そのうち私の誕生日がやってくる。銀行のお金は減る一方で、暮らしで節約をそんなにしていなく。贅沢もそこまではしていない。最近、外食が多いなとは思うが。 誕生日はデパ地下で牛、豚、鶏のブランドものを適量買って焼き肉をするつもりだ。これは、必須と決めておく。井上屋でワインも買っておこう。 さあ、今日はきちゃない部屋を頑張って掃除をする。音楽を聴きながら。

秋の時間

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  静かに静かなる。 心臓が打つ音。 そっと聞いている。 欹(そばだ)てて。 そっと、そうしないと私の音、きみかたの音も。 生きているか、確認したい。 耳を傾けて。 気づかれないように。 (今、本を読んでいなくて、昨日はジムに行って運動をして少しの時間小説のことを考えて、ギターの練習をしたのだけれど寝る前に、何かなにもしなかった感じがするなー、と思って。英語もまだ車で英会話をたまに聞いたり、動画でたまたま出た英語を聞くくらいで。負荷がかかっていないというのを、感じる。楽なのは楽なのであるけれど、小説を書き終えたらまた始めたいなと思っている。小説は気を入れて書きたい。心が入っていないと今の段階で思う。 昨日、スーパーで牛肉が安かった。商品の時間が経ったからの値引きではなくて、セールの日のようだった。4パック買ったよね。ももの薄切り何て1パック398円だったよね。国産だし。 秋も緩く行くが、身にはなるように。)

私の頃には。

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  こんなこといい。 できたらいい。 やりたいことは、いっぱいあるけれど。 空を自由に飛ぶ鳥のように、 その空を見上げて、 できるといい。 ぼけぼけしている。夜も眠れず若干いらちしている。 掌編小説をアイデアを出して、流れを作り始めているのだがいつもと違う感じだ。いける、という自信が湧いてこない。アイデアを出している時間は気持ちを出すことができたのだが、それを拾っていって流れを書いてみると自分にとってはテーマが軽くないのかもしれない。そして自信がない。稚拙なものになる気がする。 今日は夜にでも釣りに行こうかと思っている。アジでも釣れたらな。 もう十分秋に入っている。生活を整えて、読書の秋、食欲の秋(料理を頑張るとか。)、運動の秋(今しているマイペースの週2の軽い運動を続ける。)、釣りの秋にしようかな。 秋の生活、なんとかなれ~。

日々生きて。

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  ぼけぼけしている。前に向いて動き出そうとはしているが、こんな感じなのだなと今を思い動こうとはしているからいいか、と考えるようにしている。 絵を描けるようにと思っていたが、これは本当にそんな気分になった時に描くだけにしよう、と思った。ものにしよう、という考えはやめた。 今日いつもより早く起きてテレビをつけると、NHK 俳句の番組をやっていてプレバトについて、どうのこうのとテレビの前で言ってる私だが、NHK 俳句選書句のレベルの高さに結構驚いた。どうやって感じたらいいのか、も迷う句があって、分かりやすくノスタルジックな句は(もちろんレベルが高い。)あ、ノスタルジックだと感じることができたのだが、頭がフリーズしてしまったな。何と言えばいいのだろうか、と。 あと1か月もしないくらい経つと誕生日がやってくる。今回はマジでデパ地下でいい肉を買って焼き肉にして食べようかと目論んでいる。ちょっと贅沢だな、と思ったら直前でやめるかも。まだ、どこか引け目がある。飲みに行くのは、行くといいながらずっと行っていない。引け目というよりは、家で飲んで食べた方が落ち着くと思うようになっていたので。 今日の夕食は何にしようか。昨日は午前にモスバーガーへ行き朝モスを食べて、小説のことを考えて、もやもやして、何かなーと思って今治までドライブへ行き帰りにアイビーに行きカレーを食べた。夕食はさすがに日中食べ過ぎた、と思ったので野菜をフライパンでオリーブ油と水を入れて蒸すホットサラダを作りドレッシングをかけて食べた。トマト、オクラ、ニラの花、玉ねぎ。ホットサラダはアプリの作り方。その野菜を食べるだけで、夕食は十分お腹いっぱいになり満足をした。今日の夕食もたっぷりめの野菜のホットサラダでいいかなと思っている。 悩んだ時によくアイビーに行ってしまう。 今日の昼食はいつもの食堂で親子丼を食す。 ところで、作業をしていた時に朝モスが比較的に安いのでよく行っていたのだが、近くのモスバーガーの開店時間が朝10時で、なのでもうちょっと車を走らせた場所にあるモスバーガーが9時から開いているので、早めに行きたい時はそっちに行っていたのだが。久しぶりに近くのモスバーガーへ行くと開店時間が朝9時になっていて、閉店時間が深夜の0時になって。え、これ自分影響していないだろうな~、とまあまあ思って。そこのモスバーガーの店長...

生きている間に感じること。世界では苦しみばかり感じている人もいる。本気でそこに携わっている人もいる。偉いな、と心から思う。

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  私の声は大きい。 一時に燃えた憎しみや怒り、 そのようなことも声に出して。 初めて私の心が恐怖を感じた時、 あんな自分がいたんだと、今も思う。(変換で、痛んだと、それもありだな。) あの時、ひょっとして私は自分に嘘を付いて、 生きていたのだろうか。 そんなこともなく、私は私で、 あの19歳の電車を待っていた私は、 弱いけれど優しかった。 言葉にすると、あまり変わっていないかと思うことにして。 自分で優しい、と言う。 (優しいのは優しいけれど、変えて行こ。) (2週間とちょっと大したことをせずに久しぶりに何かを、小説のことだがただ考えていて、考えを出していてその時間が気持ち良かった。いつかに、父親にそうやってぶじぶじ考えるのがお前なんだ(や)、と言われて昔からそうだったなと思っている。 何でもないことを、考えながら歩くことは少なくなった。カメラを持って歩いているからだろうか。ぶじぶじ考えるのは家でやっているのでそれでいい。 私みたいな人間は組織に属さない方がいい、と思う。私は声が大きくそれを聞いた人間の中には怒りや気に入らないを感じる人間もいるだろう。多分、そういうことだ。問題は。 お父さんは心配性みたいな生き方というか、漫画のお父さんの感じ忘れてしまったが、気合入った生き方できなかったな。今からも変わっていくだろうが、基本はただの心配性のそれだろうな。 今日は夜に近くなって、カメラを持って歩いたが大分昔に夜に写真を撮りながら歩いていると、私服警官に呼び止められて職質をされた。写真を見せると、それはいいけれど自分の安全のためにもならない、と言われて夜に写真を撮るのをやめた。今日はまだ明るみがあった。昔は公園の灯りや、バス停の灯りを撮ったりしていたかな。 これはいかん、と思った時は苦しんだが、今日は小説のことを考えていると気持ちが良かった。暫く楽しんで行こう。小説の出来は置いておこう。できるものにしよう。)

まさに、がっつを出さねえと。

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  薬も飲まずに眠っていて、目覚めて秋の虚しさを憶える。そういえば、嫌われる人間だったとか思い返し自覚して。明るいなーこの人は、と思いながら新聞以外の活字を読もうと思い少しだけ外出して読む。切り替えようと。 星野道夫さんの長い旅の途上をちらり、と読みやっぱり美しいと感じる。ふんふん、と思ったところ。 大人になって、私たちは子ども時代をとても懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になったさまざまな遊び、今は、もう消えてしまった原っぱ、幼なじみ・・・なのだろうか。きっとそれもあるかもしれない。が、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識にもっていた時間の感覚ではないだろうか。過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁である。過去とか未来とかは、私たちが勝手に作り上げた幻想で、本当はそんな時間など存在しないのかもしれない。そして人間という生きものは、その幻想から悲しいくらい離れることができない。それはきっと、ある種の素晴らしさと、それと同じくらいのつまらなさをも内包しているのだろう。まだ幼い子どもを見ている時、そしてあらゆる生きものたちを見ている時、どうしようもなく魅(ひ)きつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。 ノスタルジックなところ。 今日も、太陽は、わずかに地平線から顔をのぞかせただけだ。沈んでいった夕陽が、少しの間、凍てついた冬の空を赤く染めている。やがて闇が押し寄せてきて、長い夜が始まってゆく。陽の沈まぬ夏の白夜より、暗黒の冬に魅かれるのは、太陽を慈しむという、遠い記憶を呼び覚ましてくれるからかもしれない。忘れていた、私たちの脆さを、そっと教えてくれるのだ。 冒頭。 まだ一歳にもならぬ息子が、黄葉が散り始めたベランダに座り、九月の秋の風に吹かれている。コガラがスーッと木々の間を飛び抜け、アカリスがトウヒの枝の上で鋭い警戒音を発し、風がシラカバの葉をサラサラと揺らすたび、彼はサッと世界に目を向ける。そんな一瞬の子どもの瞳に、親の存在などと関係なく、一人の人間として生きてゆく力をすでに感じるのはなぜだろう。そんな時、ふと、カリール・ギブランの詩を思い出す。 あなたの子供は、あなたの子供ではない。彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。彼等はあ...

夏から秋へ。まだ暑いけれどね。

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  生きることを楽しんで。 昔もらっていた愛に気づき、包まれて。 だから、気持ち良く生きることを。 人生を、色々あって。 愛することに期待をして。 傷ついて、 でも期待があって。 そんな風が吹いて、知らせを受け。 希望を愛していたら。 そんなにほんとにいい人間とは言えなかったが、何度も言うが努力はしたい。 でも、随分人生勉強をしたものだ、と思うのだが。だがしかしだが、対面という現実世界でそんなにいい人間でいられるだろうか。いたい。 結局、その努力をして現実世界で生きるのだろう。 生きたい。そして、美味しいものが食べたい。 人はパンだけで生きるのではない。 なので、温かい生きられ方ができたら。今日も生きてて良かったな~、と思える。 やりたいことがあるのだけれど、そういう普通なら準備をしないといけない現実的なことに触れていない。 どうやって、そういうことってできるんだろう、くらいのレベルで。 ただ、こういうことがあるという情報を知るくらいで。 そういう制度のことを知る専門家くらいの人がぱぱっとやってくれそうだ、くらいに思っている。仕組み自体はその制度のことを聞きながら、理想に近いことができたらという思いで。 今書きながら思ったのは、魁(さきがけ)未来塾のようなことを急に思いついた。既存の場所にある子ども、若者を送迎付きで未来塾の場所に呼んで未来のプログラムを受ける。絵が描きたい、農家に弟子入りしよう、音楽を知りたい、シンプルに学校の成績を上げたい。などもろもろ。小さい子は遊びを通して何かを感じてもらう、とか。勉強っぽくならない。 教育、はすごく興味があるところだ。小さいうちは特に勉強みたいのではなく、体感や遊び、また勉強っぽくなってしまうかもしれないが、地球や世界についての問題提起。こんなことがある、やばいよね、というような。勉強ではなくても、教育、のような。こんなすごいアーティスト、芸術家がいるんだ、この人のことを知ろう、とか。 くらいの妄想が始まった。 現実ではどうなるのかな。 今週一杯大したことをせずに、来週からやっていたことを始めたい。小説書けるかなー、と思っているのだけれど癖みたいに、あ、やばいわとなるとすぐに今回は断念しておこう。書けて、どんな小説ができるものか、行けるなら気持ちをちゃんと込めて。ずこ、とすべっちゃう小説になったりして。大した事ねえな...