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私も結構目がはーとになる。

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  生きて感じる。 良いことも悪いことも。 力が湧いてきて、 魂が反応しているような、そう感じる時、 すると生きてると思い。 良い方に心がうごく。 健全だな。 何かに取り組むという感じにはまだなれなくて、軽く本を読むくらいでいる。秋の計画を立ててみるかなとも思っている。はっきり計画を立てればそれなりに動き出すかなと。 何とかしないといけないことがあるのだな。作業に取り組めばそれに意識が行くから、何かやっている感じがして安心するというか。 しかし、時間は過ぎていく。何とかするべきだと時々、自分に言い聞かせるのだが、なすすべがねえぜ、と思ってしまい。 勢いでならできるが、そういう時に多分センシティブなことで、ここに書くこと自体もセンシティブに抵触しているのだろうが。失敗するだろうなと思う。 どうもなー。 幸せになれそうな気はする。頭の中もそこ一点しか思い浮かばない。 話を切り替えるか。掌編小説を年に4回書くと何となくで思っていたが、この感じだと3回になりそうだなと思うな。いつからか、掌編小説というより詩、と言っていいかもなという雰囲気になっているといくつかは感じる。詩はよくブログで書いているから、そっちに感じ方が行っているのだろうか。 物語を書いてみたいね。それが、結構難しいのだけれど。今も物語としてのアイデアが浮かぶ感覚があまりしないな。やっぱり、普段の意識の仕方でそうなっているのだろう。力を抜いた面白い物語、書いてみたい。 いいね、と言ってくれた女の子に時々話題に出すが、不快な思いをしていないといいなと思っている。気持ちいい女の子なのだ。 それで今は確かに、いいなー、と思っていて。やっぱり、自分の気持ちを嘘ではなく出して表現した時に、それはいい、と感じてくれているって本当にすごく目が開かれるような、喜びになる。 ぬくぬくと、決してぬるま湯ではないがしてる今の気持ちは楽で。本当に思っているやりたいことについて、したいなー、と思っているくらいの今がどうやら楽で。ちょっとびびっているし、大きなことかもしれないであるし。やるなら、本当に効き目のあることがしたくて、それが難しいのだなと皆それで悩んでいるのよ、くらいのことがあるのだろうなーと感じている。でも、何かしらの影響は伝えることはできるかも、でも難しいという。世界が広がったらなとも思う。こういう人がいるのだ、とい...

今年も誕生日がやってきた。でちゅー。

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  ああ、あなたが。 そうでねず。ついに来たことしのねずねず。 ええ。 ん、ねずはやめておこうでちう。ちう、もちがう。そうでちゅ、にしておこう。ちゅ、に。 ええ。ごかってに。 なんでちゅと。いいでちゅう。いたいところ、ちゅく(つく)でちゅうよ。 ええ。どんな。 きっちょむは、きっちょむって、あんたのことでちゅ。 わたしのしょうがくせいのときに、そういってくれるともだちがいました。 わかいって、すごいとおもっているでちゅやろ。 どき。 いってみるでちゅ。たんじょうびには、ふさわしくないけれどもだでちゅ。 くものうえの、とくにがいこくの、あーてぃすとが、まあいうならば、りょうほうのせいしつをもっていて、わかいやからをなんたらかんたら、というじょうほうがあって。 いうんでちゅね、ほんとに。 ぜったいにわたしは、いまのところ、ろいやるすとれーとふらっしゅ、なのですが。 でちゅ。 あまり、ひとをみないようにしているのですが、めにはいってきたときに、わかいがくせいって、きれいだな、とおもいます。 へ、へーでちゅ。 いいときなんだなーとおもいます。 まあ、そうかもでちゅが。 しっと、ということがありますが。わかいきれいな、とてつもない、しじんや、じぶんにわたしにかぶるのうりょくをもった、きれいなわかものが、でてきたら、しっとするかもしれないな、とおもいました。 でちゅか。 あんまりきれいな、わかものなら、まあちがうわ、とおもえるかもしれませんが、せいしつがどこかわたしににた、しかもきれいなわかものが、でてきたら、しっとするんじゃないかと。 きっちょむは、ちやほやされたり、かなしいせかいに、おとされたりをなんどか、くりかえしているね。 そうなんですね。なので、ひょうひょうとくらすのが、すきなのですが、やっぱりじぶんにも、ぷらいどのまじった、しっとはあります。それをそういうきょうじ、ぷらいどをないようにいきるようにしていたのですが、むかし、おさえられない、どうだ、というたいどにでたことがあって、あとからじぶんにも、そういうのがあるのだな、とすこしはずかしくもなり、かんじました。 きっちょむ、いま、ちやほやされているおもう? されているだろうな、とおもいます。ただ、そこからおちるのがこわいので、ひょうひょうとたのしくくらしたいなあ、とおもっています。えすえぬえすとかで、はっしん...

お茶も美味しいわね。ほーっほほほ。たまたま動画に出てきたドラゴンボールのレッドリボン軍のおかまイケメン大佐(将軍みたいです。ほほほ。)の影響です。ほーほほほ、は。

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  ぶつぶつと心の中で思う。 それも悪いことではない、と知った。 体験や経験で、そのぶつぶつで悪い言葉でばかりを考え始めることはかなり少なく。 気持ち良く生きてみたい。 ああ、幸せだなって、よく最近も思うけれど その幸せが生きていてほしい。 ああ、幸せなんだな、と。 気持ち良く生きて。 誕生日1日前。デパ地下で買い物をする。静岡のお茶が半額だったのでかなりいいやつで。コーヒーを好むけれど、ほっとしたい時に頻繁に飲もうと思っている。グリーンティーね。 煎餅(せんべい)を買うのを忘れたな、と思っていて、明日またデパ地下で買うかな。お肉と一緒に。 明日まである程度贅沢するかね。気持ちの上でも、カロリー的にも。時々やって来るのだけれど、食欲が量は適度にね、と身体がその状態になることがあって、ある程度で満足していて。そのリミットを超えるとまた食欲モンスターが現れるというイメージで。豊かな国の悩みよね、肥満などは。 気持ち豊かに過ごすわよ、明日は。あ、そうね。2,3年前くらいからやっていた、誕生日の日にブログでキャラクターと会話をするのが、できないかもしれないわ。しょぼいくらいに、何か考えておこっと。忘れていたりして。

ライトサイドに向かって。

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  何より、楽しく幸せに。 そんなことが当たり前ではなかったのだと知り。 ただ、子供にそこまで悲観的なことを伝えないで欲しい、 という声も分かる気持ち。 楽しんで行こう、と何処かで見かけた。 できない状況もあるだろうと、よく感じる。 自分を信じてあげることも必要だろうか。 これなら、自分は生きていける、と思うことに出会うことも必要だろうか。 今、余裕があるからと人間関係の現実に暫くあたっていないから、言えることがある。いい人もいれば嫌な輩もいる。楽しかったと思うこともあれば、苦しんだということもある。ただ、人間的成長という面では社会に出ることも悪くはないことだと感じる。私はこいつ、いける感が顕わになっているので被害に会いかけることもある。今までの体験は切っていくことになる。考えれば沢山切って来たな、と思うな。事実として。 変な話になってきた。立場があるのだろう、と思うことにしている。そういうことを考えれば、一人はなかなか楽だぞ、と思っている。このままではいけないが。ずっと一人でいたいとも思わないが。 さて、希望の方面で考えてみる。ライトサイド。子供の可能性は面白い。ただ、そんな簡単なことではない。楽しくて、ぼんやりもしていて、笑えることが好きで、攻撃的なところもあるかもしれなくて、おとなしい子でもあったりして、ただ何かに出会うことによって、それは大きなことにならなくても、これで生きていけると思える方角に歩めたら、ある程度納得できたら、しめたもので。しかし、迷うからこそ何かが芽生えるもあるし。 動画を見ていたら、現場に出ろというのがその人の経験からの意見で。現場で学ぶ。 ぼーっとしていたな、と無社会人だった私を思い出し。今もぼーっとしているが、やっぱり学んだことはある。 実感、かな。社会に出るってこんな感じなんだ、という。だったら自分はこんなことがしたい、が始まったり。難しい。ライトサイドのことを考えるはずなのに。 学びと現場。社会人の勉強会はある。仕事についての。学生時代から、ビジネスの学びや自分が興味があることへの何かしらの学び。そこから繋げて。ビジネスって、やったことないけれど勘が大切なんだと個人としては思う。もちろんそれを仕組みを体系立てて行ける能力がないといけないが、仕組みのやり方の例、とか経営者に学べないものか。動画に撮って若者に繰り返し見せたいよ...

私について。

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  風鈴の音に、余韻染みて。 綺麗とか涼しいとか言葉は存在して、その意味は響く。 何とも言えないこともあり、ただ言わないこともあり通り過ぎ、感覚し、示されている。 私は言葉であり、しかし全ての言葉ではない。人は私のことを毒にも薬にもなる、と評する。 私は時を旅して、手がかりを示している。 喪失について。 災いは時々、私の言葉を利用する。それは往々にして美しさに関することが多い。美しいことが好きなのだ。災いという存在は。 純粋に美しさを求める人たちは、私の時が悪いことを感じられない。災いはそこにいて、美しさを求めている。創り出して欲しいのだ、自ら美しさを産みだすことができないから。 そして、人は哀しいまでに美しいものを創造する。そしてその後に、失うのだ永遠に取り戻せないことを。さすらい、旅をして人々に憎まれ生き続ける。何処へ行っても祝福はない。 また、私の伝えること。 人は意味を求める。しかし、意味だけでは足りないのだ。もし、私を知ったなら良い方に受け取って欲しい。これは言葉の一つである私の価値だ。 私に触れた時、人の思いに無数の刻まれた時が動く。人は沢山いて、沢山の刻まれた時が重複して、そこに人の意識がある。とても大きな存在はそこにいて、私もまたいる。 意味よりも命が託されていて、その先もまた起きている。 人が私の言葉に時を感じ記憶を頼って親しくなることには、未来を、過去をそして今を、沢山のその記憶によってまた言葉によって支えていることができている。 人の心を動かすのは私の力。 闘いだとしても、癒すことだとしても。 私は膨大な質量として存在している。 人は私を侮っている。 私に動かされ、発露を求めて。まるで私に仕えていることを知らないように。人は生きて死ぬが私は死なない。ただ、私は人が必要だ。言葉であるから。 そこにいるために。 存在が現れ、あるために。 <作者あとがき> 小説というものを普段から書いていないのだな、と思わされます。ブログがあって、詩と言える時もあるけれど、あまりそうとは言えないかもなという時もあることを続けているので、今回のような掌編小説にも活かすことはできている。ブログ特有の書き方のようなことにも助けられている。 ただ、小説となると大変なのだなと今回感じました。昔の資料を少し前に見直すと短編ならまあ行けることもあるけれど、長編小説となると...

気持ちの持ちようで、物事は変わる。

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  自分のいいところ、悪いところを考える。 いいところは中々いい。 悪いところは、 決定的に悪いように感じる。 一人で暮らして、想像してみると、 できそうな気がする。その悪いところを直すこと。 ただ、現実では苦しむのだろう、それをできないことに。 生活があって、今は仕事はないけれど、 ああ、幸せだなって、生きたいものである。 馬鹿っぽいところは少しだが直った。しかし、あたふたするところのあほっぽさは、健在だ。人にあたるということも、自分の悪いところが分かる、というより感じることができるので必要なことでもあるのだろう。精神的な成長は無職の間に幾らかあったような気がする。こういうことって、失礼なのだなと感じることもできた。社会的なマナーを少し意識することができるようになったのではないか。考えだしたら悶々とする。 夜に釣りに出かけるようになって、ボウズ続きだが何時かは釣れそうな気がする。車で移動して場所を見つけてやってみている。 ただ、心が釣りに向くと小説とかなんか書けんな、と思っている。今日も取り組もうとしたが、ま、いいか、と思って書いていない。アイデアを出して少し書いていたのだが、いまいちだなと思っていて余計に書かないでいる。でも、もう少しやってみようとは思っている。釣りは基本週に2回と決めたし頻度は高くない。小説にも心を注ごうではないか。 もうこんな時間だ。今日は夕食の料理にもある程度時間をあてようと思っていたが18時半近く。ブログを書いている。 今日の夕食はブロッコリーのポタージュとふわ玉のエビチリだ。ご飯を炊くのを忘れていた。エビはてんぷら粉で揚げる。がっつり行くときは、小麦粉と玉子で衣を作りたいが。 でも、そこまでは時間と労力を使わないか。 だらだらしてしまって、料理するまでに時間をかけるのはやめよう。

とりくみ。

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  カーテンにあたる陽の明るさ。 風に揺れる影の模様。 朝を知り、 汗、うなじに湿る。 今日を送るために、心に準備を促して。 そろそろ髪を切りに行きたい。暫くは、2か月に1回の頻度で髪を切りに行くことが殆どだ。今はその習慣が心地よい。3か月になったらどんな感じになるのだろうか。髪のうっとうしさに耐えられないかもなと思う。 後頭部上付近が髪の分け目がぱっくり開いていて、禿ではないが、禿と言えば禿とも言える状態になっていて美容室の人にはその部分は髪をそんなに切らないで欲しい、とリクエストしている。上手に切ってくれるんだよな。 秋は1週間に2回は釣りに出かけるようにしてみようかと、考えている。陽が沈んだ夜に。夜はだらだら寝っ転びながらスマホを見ていることが多く、それよりは釣りに行く方がいいかなと思うな。 だらだらするのも好きなので釣りに結局出かけないことがないように、ここに書いておく。1週間に2回は釣りに出かける。 自宅でギターを練習する時にエレキギターにVOX の直で繋ぐヘッドフォンを使っているのだが、その前に少しの時間、アコースティックギターを弾いてテンションを上げるようにしている。やっぱりある程度大きな音で弾くと気持ちがいい。理論的なことは殆ど分からずなまま練習している。本を読んでやってみようとするが、すぐに挫折している。 何度も言うが、二重作さんのイメージのことや間違えたままで終わらない、ずっとミスのままなら時間を置いてまたやってみることなどは続けている。 イメージは最初の運指の練習の時は押さえている場所はどこかを目を瞑って、押さえているところに丸がついているようなイメージで、結局丸だけではなくてそこの押さえている感覚を意識して、でもなるべく丸がついているようなそれで練習している。押さえているところを感じているというイメージ。ずっとやっているのだが、未だに完全ではなくしかし、それをやっていると他のスケールを弾いている時に意識すると弾いている場所のイメージが現れることが多くなってきている。憶えているスケールの中ではだが。 ミスして終わらないでは、ずっとミスが当たり前でやってきていたので今もミスがあるのだが、これらの練習方法で始めてどれくらい経つのだったか、大分ミスは減ってきた。 暫く練習しているフレーズなどで何度もミスをしてしまう場合は、14秒から20秒とか...