確かなことは、私たちは生かされている。(と書いてみたのだが、そこに疑問を持っている人の気持ちを考えていないと思った。)
ペーソスが哀愁という意味だと知ったのはいつか。 人には色々な側面があって、 話を聞いていたら、芸術にも様々な視点がある。 どんな形でも、 心が美しくて、優しくて、 どこか哀しくて。綺麗で。 そういうことに、私は惹かれたい。 無職になってから、随分知識的なことも学んだことが多い。疑問、から始まったことや興味があったこと。時間があることはいいことだ、と苦しんだことを忘れるなら思う。前半は無駄にした時間も多かったが、それはそれでいい。ぐーすかよく眠っていた。 今も私の時間はゆっくり動いていて、もしこの時間を抜けたらそこに対応できるのだろうか、と思うこともある。 どこかで、終わるのじゃないかと思っている。この時間が。望ましいことだ。 どうやって生きるのか、できるなら自分の心にそぐわないことはしない生き方ができたら、と望む。それができたら、とても贅沢なことだ。 さて、でも今は今を生きている。頭を休ませて、ギターの練習は楽しんで。明日は何をしようか、というのんびりさ。少し遠めのドライブにでも行くか。夜中なら陽が当たらないから釣りにも行ける。そんなことを考えると、やはりそうとうな自由時間だ。 自分が変われば出会う人も変わる、という。今までもいい出会いはあったけれど、もっと表面的にも自分を強くしたいものだ。もっと自信を持って。 今日途中から見たハートネットTV は良かった。人が生きる意味を知るとしたら。