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ブログはいつまでかも続けようと思っているが、もし正式に見てもらうことになったら、自分の状況のことばかり書いているの面白いだろうか。でも、そう続けようと思っているが。

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  元気がある。うんざりしていない。少し、ハイな状態なのか。ずっと静かに暮らしてきて、落ちている時とハイな時があるのを知る。 物事が変わりそうな気配がある。逃したくないという気持ちがある。しかし、そういうことでよく失敗してきた。 暮らしを送るのは好きだ。ハイな時は料理も楽しいし、食べて美味しい。 自分の力を伸ばすのも好きで英語、ギターだけでなく文章もまだ、あやふやなところがあって、あーそうだ、と思うこともある。覗いて、文学だ、と思い返すことがあってどんな風なのが自分でどんな感じにしたいのだろう、と思った。でも、そういうことが面白い。 作品に関する解説、批評を聞くのは有効なのだと気づく。こういうのは出尽くされているのだ、とかこういうのはわざとらしく感じるとか。それでも、それを超えて出尽くされていることを書くこともありで。そしてまた、こういう意味合いが込められているんじゃないかとか。センスに加えてこの作品のここがいいんだ、という批評を憶えていてある時、それを意識しておく。それが自分になじめば上手くもいくのだろう。 もう一回になるが、この暮らしは好きだ。気持ちが落ちている時は、なかなかの苦しさだが普段は穏やかで人の煩わしさもなく、カメラもあるしギターもある。ネットも通じているし、料理の食材もそれなりに揃えることができる。一時期、精神と時の部屋とか思っていたが、でも確かにスキルが様々なことに上がっている。それなりにのこともあるが、でも上がっている。 それと、極最近だがアトピーがかなり状態が良くなってきている。私の思い込みかも知れないが、随分アトピーに苦しんできた、と実家で食事をしている時に父親に言った日の後から、状態がすこぶるいい。もともと少しはアトピーの痒みがあって、その時くらいの状態に回復している。顔に酷いアトピーが出ない。約20年酷いアトピーに苦しんできた。 腸がおならの音をするのはどうだろう。治ったのだろうか。人と会う時、特に慣れていない人に対面するときに緊張で腸が動きおならの音が出る。今は家族以外の人とまともには会わないのでどうなのかが分からない。治っていてほしい。ケアマネの最後辞める前にお客さんの家で、すごいのが鳴った。ケアマネの初めての研修でもなり続けた。介護士をしていた時に酷いアトピーに耐えられなくなり、お医者さんに免疫抑制剤の申し出をしてからだ。待...

うむ。

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  自分ってどんな人間なのか。どんな風に変わったのか。 生活しながら、そして考える時間を。 動物は今も好きだ。でも触れた後、家に帰ると手を洗う。それでいいのだけれど。 今年の蛍を見る。 目線を今の自分に。 気力があると部屋を綺麗にできて、気持ちがいい。 気力があると何かをすることも、気持ちがいい。 気分は、ふんふーん、である。♪ どうすればいいのか。 でも、ペースを保って生活を送ってゆく。

梅雨ごろには梅干を漬けようと思っている。

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  暑さを感じるようになってきた。 季節は変化するし、 私も四季を追うごとに年を取って。 20年前よりはさすがに考え方も変わったところもあるし、 変わらないといけないとまだ感じることもある。 世の中も20年前とは大分様子が違っているし、 それに追いつこうとする人も、わたしも。 あと、どれくらい生きて、 どんな時代になっていくのだろうか。 生きていたい。 何気ない親切や、日常の平和、 人の誠実な感情。 感じていたい。 ちょっと煮詰まってきた時に、自然な香りの良いものの匂いを嗅ぐとか、お茶休憩をしたり少しだけお菓子をかじるのは効果的だなと最近特に実感しています。元気があり余っている若い頃とかはそういう実感がなかったのですが、考え方が凝り固まっていたり自分と周りとの感覚が分からなくなっている時に、お茶休憩をするとほっとして気持ちが落ち着いて焦らずにまた何かに取り組める。または冷静になれるというか。若い頃そういうのいいな、と思っていたのですがあまり実感することがなかった。 ずっと英語やギターや読書をすることをさぼっていて、読書は少しはしていたのですが、久しぶりにするとまだまだ日常的にできる雰囲気を自分に感じました。週4日できたらいい方のことであったのですが、それでもうんざりすることがあってギターをうんざりとか言いたくないのですが、全部組み合わせて取り組んでいるとうんざりの波が来る。どうしたもんかい、と思いリフレッシュの方法がいいのが思いつかない。思い切って、うんざりしたら全部1週間手に付けないとか。 しようと思ったらやること、いっぱいあるのだけれど気持ちが追い付かない。やるれことに限りがある。インスタグラムを見ていて、高校に上がる女学生がやりたいことがいっぱいあって、時間が足りないようでとお母さんがコメントしていて色々取り組んでいるようで、すげえなー、と思った。それくらいの頃から沢山勉強以外にやることがあるんだ、と思って。私は学生時代、勉強もしていなかったし何かにしゃかりきになってもいなかった。楽してえなー、と思っていた記憶だ。だから今は、無理はできないけれど身になることをしたいなという思いがある。ほとんど何もしなかったその自分はやはり、何もなかったということはないけれど、それだけの何もしない結果が出ていた。根性もなかったし。 でも、想像でしかないけれど、会社に入っ...

「旅立ち」

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  黒く映る食べ物を食べていた。心音がとくとく鳴って、生きている。私は生きていると、確かめる。でも、情報がモノトーンで。  フォークとナイフは白で、食べ物は黒、          流れている音楽も白と黒で。  音符が黒で、余白は白、     五線譜が黒だからちゃんと音程は合っていて。  耳に聴こえる、その音は私の心臓に届いて、心を打つのを助けてくれる。  ただ、生きている世界で。そう思っている。  食事を終えて、会社に戻る。白と黒のキーボードを打ち、白黒画面のパソコンを眺めて泳いでいく。その時私は魚になる。  周りの魚も泳いでいて、白黒に挨拶を交わすこともなく、前を向いて潮の流れに沿って泳いでいく。皆の白のうろこは、はがれてそれぞれの仕事を知らせる。うろこには黒の情報が書き込まれている。私も皆と同じように前を向いて、誰がその情報を拾うかを知らない。別にそんなことはどうだっていい、全てモノトーンだから。  考えることはできる。ただ、情報がモノトーンでそれに支配されていくようで、そのように考えて心も灰色になっていくのがわかる。ふと、いつの間にこんなことにと思おうとしたが、すごくめんどくさくて、それは心が灰色になってきているから。  休み時間に白の鏡を見たら顔は真っ黒で白みもなく、顔もないんだ、と思った。また心が灰色になっていく。せめて、食事をして音楽を聴いて心を打つ。まだ、生きている。  どこかに、どこかに何かがあると感じられはして、何とか心を打って考える。それについては、多分、としか手がかりが現れずに、また灰色になっていく。そうして、またパソコンを泳ぐ。  忙しくも、苦しくも、干渉も、厳しさもない。そうして、次第に、多分、さえ無くなっていくことが分かる。人間のように魚のように、もうどれでもなく。  朝があり、昼があり、夜があって、そのどれもが白黒で私の心だけが灰色なのだと思っていた。  休みの日に白黒の映画を見た。「旅立ち」という題名の映画だった。  出会いがあって、別れがあった。  エンドロール画面が流れていき、最後の方で題名が上へと流れていったのだが、ハテナ、と思った。私の灰色になりかけている鈍い心でも気づき、感じられた。  それは、白黒の情報ではないことに心は気づいた。今の情報は何か、私は泳いだ。映画の中をひたすら泳いだ。感じる、何か色がある。  題名だ...

しゃっきり生きよ。

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  優しい経験。 決して綺麗ではない私の、 心を、 包んでくれる。 あの出来事。 それはそれで、思い出にして、 生きないとな。 少し、手が汚れても、でも できるだけ、 人の心を汚さないように。

少年の心を。

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  様々に考えを持ち、 どのように生き、 色々生き方はある。 魂を震わせて、心はどのような性質で、 霊の存在があり。 今でも、力が欲しいと。 生きる力、 できるなら、美しく生きる力。 生きることに深く心を根ざす、 誇り。 頑張って生きるのもしんどいですが。 心のどこかに生きる誇りを。 希望を。 できるなら、力を。 清き涙の慰めを。

ちょう、かいかん。

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  デジタルトランスフォーメーション、に変革しそれに頼るのは昔の記事で見たと思うし、だれもが思うことだろうが危険だな、と思った。だが、もう社会はその利便性を感じて、そっちの方向に動き始めている。私もその中にいて、便利だなと思っている。 人に出会えるということ。SNS を通じて出会いがあり、良くない出会いもあるかも知れないが、運が良ければでもあるし、正式なネットの場所でいい人と出会えることもあるかな。 また、大本を人間が管理していることも、承知していないといけない。 さて、自分はこんな社会をどうやって生きて行くのだろうか。詩や小説を気持ちを込めて書けたら爽快である。やっぱりそれを評価してもらいたい。まず誰でも書き手はそうだろう。そして、それは人間っぽいなと思う。機械みたいな言葉や文章より、その人の内面や命の根源にあるものを書き現してくれていたら、それを感じ取れた時喜びだ。その時、感じ取れなくても年と共に感じることができるのかな。 聖書のことを読んでもそこまでは理解できないことも多く、しかし、聖書教育のテキストがあったことは理解を深めるきっかけにもなった。命を感じること、人の性質。神様とはどのような存在なのだろう。そんな中、私たちはおのれの生活を過ごして、生きて行かねばならない。私たちは私たちで生きて行かねば。それでもそれでも、偉大であると感じる。わたしはある。という。神様が、わたしはある。と旧約聖書で言っているのです。 人間は人間で生きていて、キリスト者でも考えが衝突したりする。私はキリスト者だが良い方向で何とか生きたい。未熟なものであるが、子供や若者のためになることがしたい。苦しんでいたり、哀しんでいればなおさらである。どこまでできるのか、何ができるのか。 文芸も才として持たせてもらったのだから、頑張りたい。気持ちが乗ると心地よい。 生活が乱れている、立て直したい。何かご褒美があるといい。ちゃんと今日もやりました、という。しかしながら、思い返すと気持ちもぎりぎりだが、世界に何かを投じる時にグッドサインが出るとちょう、かいかんである。ちょう、かいかん、と書いたが地味によし、と右手をぐー、に握る感じ。これも生きる快感、ご褒美であった。しかしながらしかしながら、表に出て、文筆を評価されるだけでも恐ろしく喜ばしく、お金は稼ぎたいのでもっとないかと思うが。表と裏の出来...