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美術館に歩きで行ってきた。

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  あまりある事柄を受けて、おろかさは染みついて変わらない。 手紙は話しかけたあの子で、私は生きることを選択している。 いつも甘えていて、それらにまた助けられて、人の言葉を思っている。 綺麗でなくても、美しくなくても良いのかもしれない。(言葉がですよ) そこにその人はいて、心という不思議な持ち物を、 大切に思っているなら、 しかし、それも戯言という、いつの日も、手ごわく世界のことを 認識している。それを、戯言に終わらしたくはない気持ちはあるが。 今のところ、そのまっ白な余白に、生きていて、生きていたい。 この今の時、だけ。そして、ただ、それだけのように生きている。 (ウォーキングをした帰りの暗がり、向こうから遊ぶ子供の声が聞こえてきて、帰るよー、というお母さんの声が聞こえました。むくむくと私の方からも命の声が聞こえてきましたね。とにかく、命が吹き返した感じがしました。私にもある思い出の似た一コマに出会ったからです。聞いたからです。私にとって小さい頃の思い出はでかいですね。優しさに触れていたからです。だから、大切なことだと本当に思っている。かねてから思っていることは、小さいことから始めたのでいいのではないかと、思っている。話を聞いた方がいいし、全然、自分も分かっていないし、本さえも読むことが滞っている。話と実情が感覚として違う場合もあるだろうし、それだけ大変なことでもあるだろう。と言うと現場の人は怒るだろう。そこに入らないと実感しないことも多い。その子供にとって、それでよかった、と思いは色々あるだろうが、思えることが今思った目標だ。最初思ったのは、こんなことができるかもしれないんだよ、と可能性を自然に感じてもらうこと、さらにはその手助けができること。いけるならそこに行きたいし、興味があるなら、バックアップができるように仕組みを作れればと思っている。全然その仕組みの考えの準備をしていないが。ゆっくりやっていくと思っている。漠然とした理想に近付いて形づくっていけたなら。自分の経験も無駄なことばかりではないだろう。また、ぶつぶつやってしまった。インターネットもごちゃごちゃすることが多いから、たまに詩を書いて写真だけ、と思っていたのだが。ぶつぶつは自分を鼓舞しているつもりだ。確認もしているということにしている。ということに、だが。詩人としての自覚と言うか、認識も薄くて、詩をぶ

風の強い土曜日。夕暮れ。

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  秋が夕暮れて、風がつよく。 波はその風に乗って、これもつよく踊る。 様々に踊って、わたしも心をどこかに踊る。 季節のさまに踊る。 以前夏だと思ったことが、暗い朝の今熱いコーヒーを飲んでいる。 昨日、年齢らしく挨拶をする彼女を見送って眠った。 なぜか、昔の私自身を思いだした。なぜか。 そのように、今年の秋は深まる。 この時間に近所には迷惑だろうが、 あたたかいシャワーを浴びたあとのコーヒーは、 とってもおいしくて。 (テレビの中の彼女を見送っています)(あとスマホの写真を送ると暗めになったのが悔やまれます)