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11月, 2025の投稿を表示しています

生姜ない、ことはない。

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  寒いのは苦手だが、 雪がやさしく降る様子は好きだ。 冬が近づいている。 子供の頃は何ともなかったのに、 一月、二月の寒さはやっぱり、辛いなと、考え浮かんでいる。 うーむ。 今年の冬の極寒になった時は、私の常識としては尋常じゃない温まり方をしようかと考えている。肌が弱いので、エアコンの暖房は使わなかったのだが、肌のトラブルがましになってきたので通常の日はとにかくに、早くに入浴をして顔に薬を塗って暖房を使う。電気ストーブも使う。厚着をする。おしるこを作る。熱々のお餅を焼いて入れる。シチュー、スープを作る手を惜しまない。と、考えられることはそれくらいだ。生姜を温めて飲む、食べる。教会のおじいさん情報だが、生姜を太陽にあてて干して乾燥させたものを粉末にして、だったけかな、ずっと飲んでいると、若い頃に前立腺がんを患った意外に病気が殆どなかった、と言っていた。うろおぼえなのだが、ともかく生姜に熱を通したものがいいんだな、と受け取ったことを憶えている。あれよね、生姜はそのままだと、殺菌効果とか他を忘れたがそれで、熱を通したら人の身体が温まる効能があるのよね。成分が変化して。 本を読むことについてだが、何度も書いたが私の読書力はそこまでの力はない。しかし、毎日がお休みなので、少しずつ読んで時には読まない日もあって進めていくことができている。少し前から思ったことは、1か月に1冊は小説を読んでみようかな、とも考えている。図書館が返却の期限が2週間なので、それがちょうどいいかな、と。図書館の新しい本は予約の順番待ちがあるだろうが、幾らか前の有名になったとか、どこかで見たり聞いたりする憶えのある作者やタイトルの小説を借りてみようかと。12月からそうするかな。 時々、嫌なこともほんとに時々、ルールとしてあるのだろうけれど、穏やかだなー、と最近の日々を思っている。そのうちにやっぱり、東京に1回行こうかと考えている。行かないかもでもあるが。ゴッホの絵を見てみたい。迷っている。 気分が悪くなった、と思ったら朝起きて目の下に変なクマができていた。治りかけているが。 補中益気湯をまた飲み始めている。アトピーが良くなってきているの、やっぱりそうじゃないか、という思いを捨てきれないので。以前は効いてくれますように、と自己判断して食間に飲むようにしていたが、漢方は食前、食間の服用が基本なのである...

ぽっかぽか。

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  日々を感謝している。 こんなに穏やかで。 先のことは予想できないけれど、 自分のペースで、よき出来事を感じて、 歩みをだからゆっくりと。 進めてゆく。 今年の冬はぬくぬく温まるを意識する。

見据えて。

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  カメラを首に下げて、歩いていると、 向かいに小さな女の子二人がいた。 このまま歩くと鉢合わせると思い、 道路の反対側に移動すると、女の子たちも同じ考えだったようで、 走って反対側へ。 すると一人が転げた。 大丈夫かな、と思い声をかけると、 女の子は頷き、長めのソックスを擦りむけただろう左ひざまで伸ばし、 立ち上がって足を引きずりながらもう一人の女の子のところへ向かった。 私は、えらい、と伝えて。 小さい頃の私に言ってもらったようにしか、言えないなと思い。 近頃の親御さんとかはこういう時に、どのように言うだろうと思っていた。 私がその年であると泣いていたかな、と思った。すぐに私は泣きそうになる。いやだな、すぐに泣くのは、と思う。色んなことがあって、根性ついたかと思うのに泣かないように訓練できるならしたい。弱いし舐められるのだな。女の子は偉かったな。 昔、読んだ漫画で人生はめんどくさいとの闘い、のようなことを憶えている。力を貰えればやりがいにもなる色々な出来事であるが、何というかやはり人と会って刺激を貰うことは大切なのだな。今は楽だなー、と思いながらのらりくらり、している。冬の寒さがやって来ると、毛布に包まりのらりのらり。楽なのであるが、良くない。あまりそれをし過ぎていると、気持ちも落ち込んでくる。これはこれで、私にとって闘いなのである。何とか、こう、せっかくの時間を生きる励みのために。 インターネットで礼拝を守っているが、ありがたい。頭がしゃっきりする。今の勝手なイメージだが、聖書を読んだり、クリスチャンになってから今までの時間が要因としてそのことのメッセージを聴くと、鍵で心の門を開くような感覚になっているのではないか、と。脳も反応している気がする。それと、聖書に書かれている時代から、人は良い話を聴くのが好きであるのだな。 変えられたな、とは思う。もっとくだらない人間であったし、今もあたふたする人間ではあるが、大事なところはしかし、できない時もあるかもしれないが、でも集中して勇気を出してそのことに向かうことが多くなった。できなかった時は、いつも通り、ぶつぶつと落ち込む。ぶつぶつすることは、少なくなったけれど。それは今の環境があるからだろうか。そういうことだな。 東京へ運慶の展示を見に行こうと考えていたが、贅沢だな、と思いやめた。同時にターナー展も見ようかと...

メメントモリ

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  穏やかだ。 苦しみが解けていって、そのように。 日々の歩み、たいせつにして、 生きる折り返しの地点にいる。 だからこそ。 気持ちの調子がよい。冬はどうなるか分からないが、寝てばかりの生活はやめたい。ただ、年を取ってきて、睡眠がそこまではできなくなっているので、しかし、一般の方の十分なくらいの睡眠時間のであるが。なので、時間を大切に使えるな、と今のところ思っている。本は少しずつ読んでいるな。毎日があるから、少しずつで読めて行ける。ギターは、動画で見る中級者の方にはまだ届かないけれど、上手くなってきているなと実感している。知識的なことは分かっていないけれど、このコードの時にどの音が入っているかは分かるようになった。コード進行のことはまったく知らない。ここのポジションの時に何番目の音になるか、をすぐに分かるように、これも少しずつ練習している。ゆっくりだと分かる。知識的なことも、知って行こうかと考えている、いや、知ろう。 ご老人にもらったセーターがおしゃれだ。タグにはメードイン、スコットランドの記。大人っぽい深みのある緑の色。気分よく今日着させてもらっている。釣りに使うブーツももらって、使わせてもらっている。今年、秋に釣りに行っていないのだ。そういう気にならなかったのだが、1回はいやこれから、2回以上は行こう。美味しい魚が食べたい。冬になってカレイの柔らかい身が食べてみたい。なかなか、私は釣れないのだが。 女の人がするような書き方をしたな、と思うことがある。世知辛い体験をして、ちょっとそういう自分の本質があるのかな、と見える気がする。いいところと、いやなところがあるな、その本質。 見返せば、写真についての情報が沢山あって、ありがたいことだと思う。全然知らなかったのが数年前で、知ることができたな、と感じる。今はその情報を見返して、自分に蓄えることをする。もちろん、新しい情報があれば食いつくが。自分の眼というのがあって、いい時もあるけれど、そこから抜け出していないなと思う。いい時もある。自分の写真の眼なのだな、と思う。そんないい意味ではなくて。感覚的なことで、広げたいと自分なりに思っている。 様々な人が美的な感覚を持っていて、ただ写真というツールをどこまでそこに活かせるかということであろう。写真を撮っていると気持ちがよいよ、今日のように天気が良い日なんても。 頑固な...

いきものだから。

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  白鳥の写真を近くして、撮って。 去り際にありがとう、の手を振ると、ぶるぶると尾を揺らしてくれた。 釣りをしていて、小魚が釣れると、鷺(さぎ)が隣近くにやって来て魚を放ると食べた。 さらに、後ろには一羽の鴎(かもめ)ともう一羽の鷺がやって来ていて、 また、小魚が釣れて、後ろの鷺の方にそれを放ると食べた。 鴎は悔しそうに、やーっ、やーっ、と鳴いて、 隣にいた鷺を見ると、笑っているようにわたしには見えた。 草々

幸せの定義とは。

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  住宅街を歩く、 下を向いて。 住宅街を抜けて、 上を向く。 生命、地球が動いて。などと、思い、復路へと歩む。 すると元気、少年たちが自転車を走らせ、私を過ぎる。 曲がり角で二人目の少年が「人がいる」と、後続に危険を知らせて、 風みたいに。 優しさや、誠実さのかけらのように。 私は小さく明かりを受けている。 部屋が汚い。しかし、ゆったり生活をしていて好きなことをしている。台所の状態だけは料理ができるようにしていて。来週月曜日からは、それなりにすることをしようかと、考えている。掃除もな。 ブログを書く前に、姉から貰っていたパウンドケーキ、姉作をコーヒーをおともに食すると至福の時を持つことができた。姉はある時から異様に料理の腕が上がっていて、私もこの暮らしになってから料理を頑張ってもいるが、あのようにできない。むむ。む。 お金が沢山入ったら、今の気持ちは丹波産の松茸を買って松茸ご飯がしたい、と思った。でも、そうなるとせっかくなら土鍋で松茸ご飯を炊いて、とか考えるとめんどいな、などと今妄想して終了しかけている。その妄想の終わり。 思い出。何度も感じるのだが、思い出は生きる糧になる。少なくとも今の私のように停滞して生活を送っている人は、たぶん。がんがんに前を向いている時は、どうなのだろうかな。あの漫画面白かったな、でも、知り合いのおばちゃんが連れて行ってくれた、グレムリンの映画でも。その時の雰囲気や記憶に残った言葉や。漫画や映画の中にもそういう何かが残存していて。鬱屈した苦しみから抜けた時は、そういうことが助けもしてくれる。ネットでは人と通じていると思っているが、実際の生活では気分がいい時は、一人の方が楽だなと、さえ思うことがある。このままではいけない、ことは時間が経ち自分も年を取っていくことにおいて、確実に時は経っているので、いけない、と思っている。今も気がいい時は、幸せだと思うが、幸せになりたいと思って、でもどういうことが幸せなのだろうか、などと今思った。私は生きているので、幸せの命をかんじることか。何度でも思うことか。

むくり、と起きて。

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  人間社会で生きている。命の不思議を感じることの、思うことのできる時間。余裕がないといかん。

あったけえ、まっつたけえ。

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  年を取ったと感じる。 何を、ともっと生きている方は言うだろうか。 この時空で、遂には家族以外の人間と話すことはなく、 感じる。 腐敗してはいない。 胸の内に命が鼓動している。 終わりかけても、命を感じる。 だから、発燃する。 今までは、バタンQ よ、となってもひたすら寝て復活できていた。今はバタンtypeO になったら(Q ちゃんからO ちゃんの気持ちでいます。おばけのQ 太郎好きでした。)ひたすら寝て、復活はできるのだが、リアル老けが伴い後を引き、まだ何も手にしたことがないのに、ちゃんちゃんということになって行く。にゃんにゃん、ならウエルカムですが。 でも今日の日経の新聞に載っていた89歳になる写真家の方は、かっこよかったな。生き生きしてえな。 バタンしていて、別に頑張れば何とかなるのですが、何も予定がないしバタンしていました。陰になっていましたね。 はつらつな時は気持ちが良く、色いろできそうと思うのですが、陰が風と共に入ってきた時は膝が崩れ落ち毛布にくるまりますね。今は、陰は風と共に去りました。 こんな自分では何もではないけれど、できひんやろ、と思い始めていて。インターネットの向こうの色々な人の明るい世界を見て、まだや、まだ、と健康診断に行くことに決めました。胃が痛む時があるので。ストレスでしょうか。以前の博物館でストレス度を測定するとストレス100% の診断だったのであながち間違いではないかも。ゆったりした生活しているのになあ、と思っていましたが。ボディブローのように効いてくる奴があるのかも。 書かないでおこうと思いましたが、松茸を買いましたね。アメリカ産の。今日の夕食は松茸ご飯です。今年は1回はいっちょやったる、と思っていたのでやったります。アプリのレシピで食します。 るんるん。