幸せの定義とは。

 


住宅街を歩く、

下を向いて。

住宅街を抜けて、

上を向く。

生命、地球が動いて。などと、思い、復路へと歩む。

すると元気、少年たちが自転車を走らせ、私を過ぎる。

曲がり角で二人目の少年が「人がいる」と、後続に危険を知らせて、

風みたいに。

優しさや、誠実さのかけらのように。

私は小さく明かりを受けている。


部屋が汚い。しかし、ゆったり生活をしていて好きなことをしている。台所の状態だけは料理ができるようにしていて。来週月曜日からは、それなりにすることをしようかと、考えている。掃除もな。
ブログを書く前に、姉から貰っていたパウンドケーキ、姉作をコーヒーをおともに食すると至福の時を持つことができた。姉はある時から異様に料理の腕が上がっていて、私もこの暮らしになってから料理を頑張ってもいるが、あのようにできない。むむ。む。


お金が沢山入ったら、今の気持ちは丹波産の松茸を買って松茸ご飯がしたい、と思った。でも、そうなるとせっかくなら土鍋で松茸ご飯を炊いて、とか考えるとめんどいな、などと今妄想して終了しかけている。その妄想の終わり。

思い出。何度も感じるのだが、思い出は生きる糧になる。少なくとも今の私のように停滞して生活を送っている人は、たぶん。がんがんに前を向いている時は、どうなのだろうかな。あの漫画面白かったな、でも、知り合いのおばちゃんが連れて行ってくれた、グレムリンの映画でも。その時の雰囲気や記憶に残った言葉や。漫画や映画の中にもそういう何かが残存していて。鬱屈した苦しみから抜けた時は、そういうことが助けもしてくれる。ネットでは人と通じていると思っているが、実際の生活では気分がいい時は、一人の方が楽だなと、さえ思うことがある。このままではいけない、ことは時間が経ち自分も年を取っていくことにおいて、確実に時は経っているので、いけない、と思っている。今も気がいい時は、幸せだと思うが、幸せになりたいと思って、でもどういうことが幸せなのだろうか、などと今思った。私は生きているので、幸せの命をかんじることか。何度でも思うことか。



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