今日は鮭と白菜の味噌鍋です。あったまろ、と。

1月9日のたらればさんのTwitterのSYNODOSからの話しはすごかった。大学生さんに向けての話しがメインなのだけれど、遊びもするけれど、本当は不安もあるし、何かを求めているかも、という学生さんは良い刺激できっかけになると思いました。
私はずいぶん馬鹿な学生さんだったけれど、どこかで求めていたし大学生は時間があるから余計にそう思うのかもしれない。まあ、仕事するの嫌だな、と思っている甘えた学生の1人だったな。
仕事をするようになって、小さく誇りみたいな物も持つようになったな。自分でぎゅっと、大切に持つくらいの物。そんな出来た仕事内容でもないけれど。思い出すと、その仕事で機転が利く人が沢山いて置いてかれるくらいのとろさだった。
今は時間があって、私は学生時代、本当には勉強をまともにしていなかったから、だから、今出来るのだからしよう、と思える。しかも、今は自分がやってみたい、と思う勉強をすればいい。書いていると、それで続くのかな、とは思うし、だいたい本を読むとか、少し勉強するだけだし、新聞読んでその気になっているだけなところはある。しかし、無理なくしたい時にするとだけ、して続けてみる。感覚だと私はそんなに変わっていないのに、興味を持ってくれている人などがいる。しかし、やはり何か要因として変えられたことがあるのだろう。それが、どこか表面の感覚では融合していっているのかもしれない。だったら、教えてくれた(≧▽≦)人たちに具体的にはしないことがあっても、その明かりに応答して何かはしないとな。
図書館で借りた本、河合隼雄さんの本なのだけれど、原文ではまた書かないのだけれど、吉本ばななさん(私はよく心で、ばなさん、と言っている)との対談のことを書いていて、高校時代の3年間寝て過ごした、とばななさんは言っていて、河合さんはそれに対して子どもから大人になる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り切っていくというものです、と書いている。この、寝る、ことを許していた高校の先生方も大したものです、と。

よしもとさんが寝ていたといっても、何も3年間、完全に寝ていたわけではないでしょう。起きて話をしている時だってあったはずです、そんな時、何かを感じさせるものがよしもとさんにはあって、先生方もそのことを敏感に感じとり「この子はー寝かせておこうー」となったのではないでしょうか。
と、ここは原文だが、書いている。うーん、すごい。それでものになったのだからな。
(河合隼雄 私が語り伝えたかったことより)

時間がある人で何かを見付けたい人は考えのある本はやはり、その人に出会うに近いので良いのでは。持久力、よく考える、事柄の変化に対処ができる、自分に合う物が見つかる。行動、継続、先を読む。興味を持ったことに取り組む。本気。恥ずかしくない。自分が感じているなら。
思い返すと、私はその時そんなんではなかったが、しかし、早くから見付けることができたら、それはそれでいい。今だから言える。

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