ちょっと、冷えてきた。

親切にしてくれたのに、上から目線だったかな、とか思い返したらきりがないことがある。感覚ということで、魚を切る時、どうも標準の位置で私は切れなくて、隣にいた方が私の切る位置を見て、私にはここだ、と魚の置く位置だったかなあ、とにかくそれをしたら、ずっと標準の位置で切れたことには個人的に驚愕したことがある。感覚を意識的に感じることの重要さを具体的に知った時だった。それから、それを応用出来ているかというとどうかなあ、と、出来ていないな。でも、それを大切に感じているし、何かには活かしたい。ギターも勘違いしていたときもあるが、下手なのだが、それでも今、挫折しているが、少しずつ練習していたとき、指で弾く基本的な弾き方であるとき、薬指を使うその弾き方で違和感なく弾けたのを感じたときは、うわ、弾けてる、と思った。今、出来んのかな、と思うが。アプリで土井善晴の和食を入れていて、同じようなことを言っていて、調理法として練習をしていて、あるとき突然出来ている、と感じるときがある、と言っていた。それと、人間の感覚の正確さについても言っていたな。文化的なことも言ってくれているから、面白いのだ。去年の誕生日頃からだろうか、ついに有料を使う様になって、とても便利です。昼食奉仕の豚丼も上手くいったしな。
アスリート関係とか、音楽家の方とか、早くから勉強の出来る方とか、感覚というそれをとか物にするそれを、とか感じていて意識的に得ようとしていたのかなあ、と思っている。その感覚という領域、とか技術とか。若い頃、私はそんなことかけらも感じたことがなかったな。そこには反復という忍耐がいるし、研いで研いで感覚を見つけるのかなあ。しかも、なぜそれを得たのか(もちろん、反復ありきなのだが)具体的な自分への理由が見つからず、あ、出来ている、ということなのか。はー、大変だ。後半はすべて今思いながらの想像です。自分の感覚の特徴とか教えてもらいたいよね。きみはこういう特徴だから、こうだね、とかでおー凄い暫くやったらできた、とか。虫のいい話です。

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