良くて憶えていることはまだある。

様々の変化で、沢山それがあって。

重なり反発したり。鳴り響くのを聞く。

様々に風は吹いて、しかし、それはひょっとすると同じことを

知らせているのだろうか。

遠くにいると、何か似たようなことである気がしていて、
だがしかし、近くに触れると全貌が見えなくて、とても難しく感じる。
許し、許されたら、どうにかなるのかも知れないが、頑なにそれは憤っていて、
確かに難しい。

だから、面白いのよ、と言う深い記憶が笑っていて、
いったいそれはそういうことなのだろうか。
何かを書くと不安になる、は続く。父親のことはちゃんと、思い出すと小学4年生か、5年生くらいに難関中学受験の数学の問題を朝、1問出されて、父親が帰ってくるまでに解けないと怒られる、ということかな。夏休みがそうだったかもしれない。日曜日にもよく、そういう問題を出されて、やっぱり拳骨はあった記憶がある。習っていない問題を出される、は特に記憶があるのは、平面は習っていてまだ立方体のことを習っていないのに、その問題が出来なくて、うわーん、て泣いてやっと習っていないことが言えて、何だ、習っていないのか、でも考えてみたら分かるだろう、と言われたのを憶えている。拳骨はあった気がするな。じっくり考える、があった記憶だ。
そんな一方で二神島に民宿で泊まったときに、そこの主人さんたちがウニを洗っていて、魚がすごい集まっていた記憶があるが、そのウニのいらない部分をもらって、父親に初めて穴釣りを教えてもらってそれから釣りにはまった。眠たそうにする父親にしつこく、この頃からしつこいが、せがんで、母親が仕事の休みなんだから休ませてあげなさい、と言うのをさらにしつこくせがんで、釣りにつれて行ってもらった記憶がある。好きだから、と父親が言っていたのを憶えている(要するに釣りとか、自然のことで遊ぶのが)。釣りは随分連れて行ってもらった。
今だから良い記憶として書くことが出来るな。友達とも沢山遊んで、やはり子供の頃の記憶は楽しかったのを憶えているかな。出された問題を解けた記憶はないな。

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