今度は全巻ちゃんと読もう。

父親に坂の上の雲全巻を貸してもらっている。坂の上の雲は恩師に出会って、勧められて漫画を貸してもらってから、実家にあった小説を読み始めた記憶がある。確か、3巻くらいで読まなくなったはずだ。今になって読み始めると、その情報量の多さにまあ、びびる。相変わらず、2巻の途中で頓挫していたが、今回は読むぞう、と思っている。正岡子規について、記述されているところがまだ初めだが面白い。弟子の高浜虚子をすでに弟子にしていた初めも、子規が亡くなって虚子が年を経てから、添削されたところを見ると、子規が書いた物は幼稚だったという情報。それから、子規はめきめきと力を付けるのだろうが。
それと、子規が私個人としては、おたくだったのだな、と感じる箇所があった。俳句おたく、という現代の感じ方。
松尾芭蕉の句。
五月雨をあつめて早し最上川(もがみがわ)

私個人としては流麗で美しさを伴う句だと感じる。
ここで子規はいわば巧み過ぎておもしろくない、と感じている。巧み過ぎて臭味と感じるまでに子規の句境は熟し始めている、と著者。


与謝野蕪村(与謝蕪村ですね)の句。
五月雨や大河を前に家二軒
というほうがはるかに絵画的実感があるうえに、刻々増水してゆく大河という自然の威力をことさらに威力めかしくうたうことをせず、ほんのひと筆のあわい墨絵の情景にしてしまい、しかもその家二軒の心もとなさをそこはかとなく出している、と子規。
この二句を並べるなら蕪村がまさる、と。子規。

言われたらそうか、とも思うが、私は芭蕉の句が洗練されている、と感じている。そこはやはり、おたくの世界、と感じていて、蕪村の句は何というか、もってりしているというか。そのまま、をぽん、と差し出した、と私は感じている。あえて、ということか。そこを感じ取る子規。
最近で見知ったことを感じたことを言うなら。結局、糸井重里さんになるのだよな。あ、下手でもいいんだ、と思った。失礼になるかもしれないけれど。ここも、あえて、ということだろうな。酔っているから何処をどう、と調べるのが面倒だけれど、小学生高学年の子供が結構いい文章を書く子が表現しそうな、子供っぽい表現をすることがよくあるのだよな。絶対にあえて、なのは分かっているけれど。それは、何時かに本当に感じたことだな。
ただ、私は今は松尾芭蕉のような句が綺麗に感じるな。子規はおたくだな、と感じる。子規は過去の俳句の文献をかなり集めて研究をしていたみたいで、その情熱と執念たるや、というところだな。
酔っている、とかブログに書くのは先生に怒られていただろうな、と思うがちゃんと、書けていないかもしれないから、ごまかしとして書いてしまうな。

そして、妄想と現実の違い。人にあてられて気分が悪くなってしまった、という現実。そんな繊細な人間でもなかったのだけれど。本当のところの繊細さが出てしまったのだろうな。
もっと、伝えておきたいことがあったのだけれど。事柄が大きいかな、と思っている。私のパソコンに記録することは世に出てしまう、ということだろうから。プレッシャーになるよな。私も自分の思いを勝手に記録しているので、それもプレッシャーになるな。何しろ、正岡子規も最初はそんな良い句は書けなかった。そして、私も同様だ。いい時もあったけれど、最初に書いた物を父親に見せた時は、あかんわ、という反応だった。見せてないそれからの部分は良かったところもあったけれど。今、書いていてパソコンのキーの反応が悪くて、ちょっといらっとし始めている。私が、だんだん書けだしたのは10年位経ってからだな。何しろ、始めたばかり。気にせずというのは難しいかもしれないけれど、どんどん試して行こうと思っていればいいです。とにかく若いし続けて行けば、良かったとことになるか、そうでもないな、ということになるか。せっかくなので続けよう。最近のお気に入りの使い捨てボールペンもあげようと思っていたけれど、わたしの心の弱さで渡せなかったでないか。今度は渡すね。ブラックとブルーブラックの2本。ブラックで書いて、ブルーブラックで修正とかしてます。ブルーブラックは最初の方は詩を書く時に使っていました。
そして、もう一人。やってみたいな、と感じているかな、と思っています。私が未熟で一時期は近くに寄っただけで、どきどき、じゃなくて、心臓がばきばきになって、オレ死ぬんじゃないか、と思ったよ。少なくとも一回そうなったな。どきどき、より恐かったよ、むしろ。何とかそういう自分を受け流して、ちゃんと伝えられたらな、と思っています。これも、日曜にそう伝えようと思ったけれどできなかったよ。現実の自分が悲しいね。将来に不安を感じている様に、私は感じています。短絡的に今の時代、とは言えないけれど、生き方は決まった物ではないかなあ、と思うが。どうなんだろうな。ここからは責任がありそうなので言わないでおきます。
三浦宗一郎さんのTwitterで固定されたツイートのnote高卒・元工場勤務の作業員が、東京のべンチャー企業で新規事業を立ち上げるまで|ミウラソウイチロウ
を何時でもいいのでゆっくりとした時間に観て貰えたらな、と思います。
なかなか、こういうモチベーションを持つ事は難しいし、またタイプが違うかな、と思うのですが、こういう人もいる、といい刺激になるかな、と思うね。
私のこのネットからの書くことも大ごとになるかな、とも思うけれど、組織、守ってくれ、と思う。
芸術的なことに弱いかなあーと思っているのだよね。お父さん、お母さんの影響だね、多分ね。
2本ずつボールペン買っているので、ペン先の細さが違うので彼と分け合いっこして選んでね。
ブログではなるべく伝えない方がいいのかも知れないけれど、現実の自分がまた駄目だったら、またやるかもしれません。
とにかく、皆さん自分の力を持つ事ができたら、と日々思っています。

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