蜩の声。

夏を始め。せみの声が、もう。
最後に世界をその中にいる。
景色をひたすらに視ているのだろう。
ぐるぐると廻っているか。時々の視点が気になるのか。
どんな世界。
どんなことを感じて。思い出すこともあるのか。
例えせみだろうとしても。
死へ向かうことは、自然の摂理で向かうことは、
知ることはできないのか、
しかし、感じることくらいは、
ただ、いつも待っている死が教えてそのせみに。
そう見て、写真をみて想像している。
夕刻蜩がよく鳴いていた。蜩の声は実家では聞いたことがない。
ここは山が近いからな。写真を大きくして確認してから、簡単に選ぶ方法を知らなくて。頑張れば出来るが面倒で。はっきりせみが写らないのが出てきて、これでいいか、と敢てという言い方でそうしたが、写真家の方はこざかしいと思うかなと思った。意図的に近いものは少しどきどきなのだ。写真は言い訳も多くなるのは、やっぱり掴んでいないのだな。当たり前だが。でも、正直意識してからは良いのを撮ってみようと、そう意識しているので、どうだろう、と嬉しさがあるのだな。楽しみの一つになっている。ありがたいね。
いいよな、と言ってくれた人がいて、確かに恵まれている。こんなの、どうだろうとプレゼンもできる。いいよな、って言ってくれた人が見せてくれたように、いつかは答えたい。自分の思いにも答えたい。私が好きなのは誠実だ。おもしろい人でも、変な人でも、誠実をちゃんと何処かで保っている人だ。時々、弱くて卑怯なことをしてしまっても。私もそうなので、そうだ。世の中の強い流れに上手く乗って、みんなそうだから上手くやろう、と見えないところで人を傷付けて。思い考えれば自分もそういうことをしたこともあるが。気付いたことは良かった。そうか、酷い目にもあって、少しは気付いたか。マゾヒストも時にはいいこともあるものだ。そうやって、大人になれたことは。以前、行っていた教会の週報にも書いたことがあるのだが、私はそのままだともっと、ひねくれて嫌味な人間になっていたと思う。ヒートアップしてきたな。しかし、良かった。だから、これからをもっと良かったにしたい。お願いします。醒めたらお祈りもします。

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