列王記3章から12章

まとまり切れていないが、この辺は頭に入っていない所なので、書く。

ダビデ亡き後、ソロモンがイスラエルの王となる。
ソロモンの夢に神様が現れて、「あなたに何を与えようか。願え。」と言われる。
ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。~」と願う。そして、それに神様は応答する。

3章16~28節にその知恵の一例が書かれているが、ここは昔、アニメで観ていた一休さんと漫画で見た大岡越前の裁きが思い出されて、ほぼそれと一緒なのだよな。

ソロモンの前に二人の遊女がやってくる。一人の赤ん坊は死んでしまい、それは(もう一人が)先の一人が寝ている間に死んだ子にすり替えた、朝起きると私の子ではない。生きている子は私の子(先の一人の子)だと主張する。生きている子を抱くもう一人はいいえ、私の子だ、と二人は言い争う。
ソロモンは剣で二つに断ち切り、半分ずつにしろ、と言う。
生きている子を抱く、もう一人の母親は自分の子を哀れに思い、生きている子を(先の)あの女にあげて下さい。決して殺さないで下さいと言うが、赤ん坊が死んでいた先の女は、その生きている子供を私のものにも、しないで断ち切ってください、と言う。
ソロモンは赤ん坊を抱くもう一人の女が母親だ、決して子を殺してはいけないと裁きを下す。

ソロモンの国は栄華を誇る。700人の王妃、300人のそばめを持ち(そんなにどうするのだ、と思うが)しかし、その中にモアブ人、アモン人、エドム人、シドン人、ヘテ人の女がいて、それはかつて神様がその中に入ってはいけない、必ず彼らの神々に従わせるからだ、と言った国々の人たち。

そして、確かにソロモンは年をとった時、シドン人の神アシュタロテ、アモン人の神ミルコム、モアブの神ケモシュに従うようになる。(あまりよくない儀式が行われていたよう。よく出てくる宗教のバアルも良くない慣習がある。)

神様は「あなたがこのようにふるまい、私が命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、私は王国をあなたから引き裂いて家来に与える。~」 11章11節から13節
とソロモンに告げる。

手腕家であるヤロブアム、ソロモンに多くを任されていたが、預言者アヒヤに主(神様)はこう仰せられる。「見よ。私はソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。~ 11章31節39節 と告げられる。

ソロモンはヤロブアムを殺そうとするが、ヤロブアムはエジプトに逃れる。

ソロモン亡き後、その子レハブアムが王位を継ぐ。
レハブアムは長老たちに民にどう答えたら良いかを相談する。長老たちは「今日、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切な言葉をかけてやって下さるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」と答える。
しかし、レハブアムはこの助言を退ける。
そして、ともに育った若者に相談する。若者たちは、こう答えたら良い、と言う。「私の小指は父の腰よりも太い。私の父はお前たちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう」

(ヨブ記でも思うが、若者は言いたいことを言うな、と思う。年をとったヨブの友達も色々言うが、若者がやって来た時、確かにそうなんだけれど、どこか浅いことを言うな、と思った。経験を経ると確かにそうだけれど、それを現実で活かすことはできない(またはかなり難しい)、ということはあると思っている。年を経て行くとこの世の現実や他者やそれらとの自分とのすり合わせで、研磨されていって、昔、おじいさんに言われたが、社会は人間で出来ている、と言われて。イレギュラーもあると思うが、人間社会のここは大切にしないと、と残っている重要な砦の様な真理の様なものはあると思うな。若者は馬鹿にしてしまう様なものなのかなあ。と今思った。別にそれを自分が知っている訳ではないけれど。感じるくらいは感じている。)

そういうことで、イスラエルの民は怒り、背く。身を隠していたまたやって来ていたヤロブアムをイスラエルの民は王とする。レハブアムはエルサレムに逃げる。
レハブアムは戦闘員を集め、ヤロブアムとイスラエルと戦おうとする。しかし、神の人シェマヤに神の言葉が下る。

「主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。」
そうして、主の言葉に従うことになる。

ここでの自分のポイントとしてはイスラエル王国とユダ王国に分かれる下り。そこの経緯が書かれている。この時点ではヤロブアム王がイスラエル、レハブアム王がユダとなる。

11章13節 王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。とソロモンに神様は告げている。ソロモンの子、レハブアムのユダ王国の方が多分小さいのね。

ダビデはウリヤのこと以外は正しかった、と神様。

これから、ヤロブアムは金の子牛を作って偶像礼拝を行ったり、自分で考えた月に祭壇で生贄を捧げたりし始める。

長くなったな。自分で聖書を読まないとまとまっていなかった箇所だからだな。
先週の途中まで負のスパイラルに入っていたのですが、抜けましたね。いつも、繰り返しだな、と思う。上がったり、下がったりしているなあ、とみんなそうだろうけれど、よくその自分が垣間見えると思っています。ちろっと見ている感じです。お腹が空いてきた。また、ずっと30分の英語とギターをさぼっていたので、昨日からまた始めようと思って始めたのですが、お腹が空いて出来そうにない。昼はちゃんと冷麺を食べたのだが。スパイラルから抜けると本を読むのがそこまで辛くない。さわやかな感じで読める。
NHKの100分de名著の吉本隆明 共同幻想論とカント 純粋理性批判を買っているので読みたい。昨日、夜に同じく100分de名著をテレビでやっていて、ミヒャエル・エンデのモモだったな。モモは図書館で借りて読んでいる。すごい、と思った。これ、子供のための本なのか、と。子供さんには大人になってからもぜひ読んでもらいたい。思うことがあると思う。来週も観ようと思う。
テンションはそこまで上がっていない。だから、この下の段に書いていることは、少しだけ無理に書いているな。ただ、本を読むのが辛くないのだよな。今日の夕飯はなににするかいな。
















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