今も昔も繋がって、でもやり直せて良かった。知らなくてよかった。

 


流れる小川の水は透明で、誰も見ていないし、何も言わないなら、
ざぶざぶと入って横になって、浸かりたい、と思った。
海の水に浸かって、身体を焼くと、
皮膚の病は治ることが多いことを、看護師が言っていた。
昔、誰かからも聞いた話だった。

外の休憩所で、今、こうやって何かを書いている。
17時15分から風が少しずつ吹き始めている。
書いているとさらに風が吹く。
つくつくぼうしが鳴いて、昔子どもの頃、捕まえると嬉しい蝉だった。
秋を準備している声。

時々、夕方にシャワーを浴びるために浴室の、
窓を閉めると、
仕事に行っていたことを思い出す。優しい人たちだった。
大切なことを忘れていないだろうか。大丈夫だろうか。
自分に確認を促すと、
大丈夫だろう。もともと、そんなに綺麗には生きていなかった。

石がころころと河に流されて、削れて。
少しは思うには、それも経験している。
今、社会の一組織には属していない、と思っている。
だから、綺麗にそう思える。

17時30分。
風がさらに吹く。

気付かないだけだろうか、蚊がいることも感じない。

10分前に通ったあの模様の犬かわいい。時々、見かける。

今年の夏はさらに堕落の夏だった。まだ夏だが、反省している。最近、妙に心がせわしい。何かを書いて、反応が欲しいとか。一応、男は昔よりは保っている。あるラインを越えたら終わらせてもいいから、消えない傷を付けようじゃないか、とか。終わらせてもいい論がある。実際はどうなるか分からない。出たとこ勝負だ。要するにストレスがその部分で溜まっている。しかし、妄想止まりな所があって、思ったより手が震えている、とかがある。そこを越えたい、とか思っている。すべて、妄想だ。一応、私も男である、と言いたい。
一時的に心が燃え上がるのもいい。しかし、私はしょせん友達の心さえもだから、女性の心など分からない、と思っている。いつまでも、昔のことをねちねちと思い出し。まあ、それは拍車がかかったからだからだが。それまではそれを(昔の友達のこと)良い思い出として、昇華していた。少しだけ私も人間が変化している。じゃあ、どうすればいいのだろう、と考える。普通ならもう終わっている話だ。どんな人か少しは知っている。でも、よくは知らないのだ。でも、気付いて良かった人だと思っている。少しは知っているの中にそれが入っている。書けば書くほどどつぼにはまりそうで。本気で詩を書く状態に持って行って、書けば何とかなるか、と今それは卑怯なことかもしれない、と思うのだが。思う。見当がつかないまま、また詩にしてその状態になって書くのかもしれない。私には見当が付かないことだからだ。ただ、本当に馬鹿だなとその人が思うことには、蔑んだ気持ちにもなることには、どうにかしよう、と私は思っているのだ。秋に鈴虫のオスが鳴くように。今、書きながら盛り上がり始める私の心が書くには。その程度の人間だからだ。私の多分人間的な限界だ。



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