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11月, 2020の投稿を表示しています

すべてのことに。

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  レモンを絞って、ジンを入れて、 炭酸を入れて、 さつもいも天をオーブントースターで温める。 少しだけ中農ソースを垂らして。 想像もしなかったことが、あって。 タカ坊、と言っていた人が、見たことがない表情をして。 何かを感じた人が、感情を服で隠す。 夢で知らせた人が、家に帰ったら笑っていて、優しかった。 星を見ていた猫は 「何だってんだ」って見上げたら、星が綺麗で、 家のドアを開けるまでついてきて、ずっと鳴いてくれた。 昔の自分だったら、幸せ過ぎて、 それを終わらせていたかも知れない。 だが、今は違う。 私の逆を行こうとする無意識は、 どうやら、今は一緒に行くみたいだ。 仲間に出会ったことを感謝して、 一緒に遊んでくれたことを、 感謝して、 今から、また、生きて行くつもりだ、し、楽しくやっていく。 そのつもりだ。 (酔)

鱸(すずき)とヒラメ。

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  また、鱸が釣れた。一投目でいきなりかかって、釣りあげた時に思わず、鱸にお前、まじか、と声に出して言ってしまった。写真ではペンチが大きく映っていて、鱸は小さく見えるが、大きさを測ると以前釣った鱸と同じ52cmだった。しかも、以前と同じ場所。これは釣り場を荒らされたくない。 それから、何回かその場所と辺りの場所を探ったがあたりはなし。しかし、反応は1回だけあった。食いには来なかったけれど。多分、鱸だと思うんだよな。 もう十分かな、と思って車で帰路につこうと思っていたが、そろそろ夜明けで釣れ出す頃だし、竿を振って気持ちのいいあの河口に行こうと帰りに河口に寄る。ウエダ―を着て河口に入り竿を振る。夜が明けて気持ちがいい、と思っていたら、少し向こうで小魚がはねて逃げている。いるなあ、と竿を振り続ける。何と小魚は足元手前3メーターくらいにまでばしゃばしゃしだす。それから、急にぱた、とばしゃばしゃが止む。人がいるのに気付かれたかな、と思いながら竿を振っていると、ぐっと竿に感じる。あ、来た、と思って、合わして巻き取る。鱸じゃない、と思ってひょっとして、と思う。ここで釣れるのを知っている。 えらい、よく来た。ヒラメさんです。45cm。私、ヒラメ初めて釣りました。嬉しい。 帰りに実家で捌くが、何とも捌くのが下手だ。しかし、家族に釣果も見てもらいご満悦な気分で自宅へ。鱸は香草焼き、と塩焼きにする予定。今日、明日と。ヒラメは皮を取るのをもういいか、という身の方はムニエル。量が少ないが、皮を取った身の方は昆布締めかなあ、昆布締め好きなんだよな。初めて釣ったヒラメだから、そのまま刺身にした方が良いかもとも思っている。 夜中に目が覚めて眠れなく、釣りに行こうと決めたのは良かった。幸先のいい日だ。

道端の花

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  華やかに生きるとは どういうことだと、この花は思うかもしれない。 綺麗に花を咲かせて、香水も体に染みる。 それでも静かに道路の端で生きていて、 道行く人は視界にときどき入る。 一般論で華やかに咲かすことは、 この花には可哀そうだ。 花の性質にもそういうことがあるようだ、と思っている。 あまりに怠惰だったのだな、と、ある刺激を受けて生活が何かをしようという動きになってきています。地味にですけれど、動き出しの始めです。怒り、とか興奮、とか今回には私の生活での面に関して目覚めさせてくれる原動力になったみたいです。これから、冬に入ってどこまでやれるか、が根本的な、のらの私には分らんところですが。

今のところわたしは不安症(お父さんは心配症の感じで)

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  私の中、遠くの昔のこえや、感じ方に触って、懐かしむ少しの時間。 深刻や不安で自分で自分の心を崩すことで、判断を誤ることも多くて、 委ねようと思って、 今まで殆どそれをしなかったこと。 年を取って、経験をゆっくり重ねて、底を守る 命を時々感じている。 与えられた命を生きて、命も時々うごく。時々、守って。 しかし、いい加減な時間をこれもまた生きて、それでいいとしている。 キリスト者の姿。 怒られただろう。 それでも優しい時を見る。 (えらそうですね。判断は誤りまくりです。しかし、不安は焦りを与えて、だいたい何時も失敗しています。そろそろどうにかならんかな。客観的には後で見直すことはできるのだが。怒ったり、哀しんだり、喜んだりもあるな。楽しむも、楽しんでいるか。上から目線がまだまだあるな。)

喜びに、変貌。

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  深い夜のことや、 思うならば、明るい朝のこと、 まだ、深い秋のこと。 楽しむことや、季節のこと、 美味しい焼きいもをコンビニで売るという。 混じり合っていく楽しみを、変わっていく世界を、 滲んで混じって、変わって。 変わっていく。 世界は喜びや楽しみの方がいい。                それを希望している。