センサー

 

飛び立つ鳥の羽音を聴いた。

上を見上げることで、生き物の自分が生きていること。創造物のひとつ。

その時意識が開いて、拡がって感覚に着地する。

ただ、生き物と。確認のために。

血が流れていることを忘れて、意識が先立つ。

何が感知して働いているのか、分からないのだが、

キリスト者となって、

意識のことや、意識が拡がることも、今は感覚として

理解することにしている。

イエス・キリストも、それをひととして生まれ、

与えられていて、愛する子、神様の領域。

私はその感覚を、旅人が

ふとした命のうごきを、感じる時に、

そのように感覚だとして想像することしか

できない。それで充分だ。

生活のバランスを崩して、がたがたになっている。それでも許されるから怖い。確実に健康に悪い。七折小梅で梅干しを作り始めているので、そういう作業もカビが出ないように丁寧にしないといけないのに。荒い。残りの梅は梅シロップにして、ゆっくりシェイクしてあげないといけない。これはそれくらいはしている。湿気が酷く、清潔にしないといけないのに、がたがたしているので、きちゃない。皮膚の粉がカビとなるのだろうな。皮膚の粉もそろそろなくならないか。
意識についての本を少しは読んで、そういうことがある、ということを存在として認めている。今後も、もっとゆっくりでいいから読んでいきたい。
車を停めて歩いていて、木の影から鳥が飛び立ったときに、感覚が拡がるというか、意識のセンサーが急に働くという経験をする。その先の命もあることを感じる。そして、自分に戻って、自分を確認する。そういうことが、まれにある。昔の旅人とかそういうことがあったのではないかなあ、と思っている。それが唄い人なら唄にしたためることができる。今なら写真家もそうなのかな。画家もそういうことがあるかも。歌人、俳人、漢詩人とかが昔だとしっくりくる。NHKのテキストのお坊さんは、良寛さんだった。
イエス様が過ぎ越しの祭りの時にロバが繋がれていることを知っていたのも、意識閾の低下として感じることができたのだろうな、と思っている。自分はそういうことはできないが、それがあることを感じている。神様がそういう力を持ったイエス様をこの世に送ったのだ、と。そして、復活という出来事に神様の存在を感じていて、信じている。イエス様が知らせてくれている。沈黙、という小説は読んでいないが、映画のタイトルにあるように神様は基本的に沈黙している。遠藤周作、読んでおかないとな。この世での人間の生であり、そこを苦しんだり、喜んだり、昔の本当に劣悪な状況の奴隷の方たちを考えると、ちょっとの想像しかできないが、この世で生きなければいけないことで。ただ、ぎりぎりのところでその人としての誠実があるとき、沈黙を破る神様だといいなあ、と個人としては思っている。例え、そして死があるとしても、穏やかに迎え入れられることになればと。惨い死まで考えるとどうかと思うが。
私はがたがた、でこのまま生きそうだけれど、ある程度は思うように生きられたら、と。健康には気を付けておいた方が良いだろうな。まだ、見ていねえ。世界を。あとは色々なことがあっても、世界は広い、と若い学生には言っておきたい。色々な人が色々を乗り越えて、色々やっている。やり方はそれぞれにあるだろうし、ある程度これ、と思ったら始めたらいいし。もし実家があるなら、ドロップアウトをしても、実家を拠点にその道を考えて、地道なことをして、マイペースでもいいから続けてみればいい。環境がない人もいるけれど。
段階がどの段階に収まるかは分からない。何もしないで拗ねているよりはいいと思うのだな。ちゃんとした活動をしていて、それなりのスキルがあるとしたら、その夢を挫折しても、どこかの会社は面白がって取ってくれるかもしれない。何かまた書き出したが、色々な世界の人がいて、その人たちも色々抱えていたりもする、ことがある。トンネルを抜けたら小さい世界だったんだなあ、と思う世界が広がれば良いですね。それぞれの世界も大切な場合とそうでもない場合もあるけれど。
ちゃんとやっている人の反感を買いそうなので、色々いまある人や、あった人のことを考えて言っています。

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