美味しいサンドウィッチにコーヒーを伴いたい。自分で作ってみるのもいい。

 

祈りをすることで、気持ちが進み始めている。何にかにいらいらして、Apeでの作業もしっかりと身に入っていなかった。もっと、祈ればいいのに、と思うが、その通りだと思う。そういうところで何やかんや、やりだしたら、またがっくりくじけてはいけない。ただ、坊ちゃんスタジアムのジムには週に2回は行った方がいいと思い始めていて。体力がかなり落ちている。柔軟とかもしたほうがいい。めったにならなかった、右肩がこり始めている。坊ちゃんスタジアムのジムは1回300円くらいで使用できる。生活の中にこの運動を取り入れたい。お腹もたぷたぷだ。確か、コロナのことでジムは時間制限がある。
思っていない感情が出ることは、統合失調症とはよく言ったもので、気持ちが統合されていないのだ。メインの自分は真ん中にいて、他の感情たちがその周りや表面にいる。何かがある時期、近日でもそれを経験する。そして、それがなくなっても癖のようにそれがあるときがある。しかし、慣れてくると、あ、ない、と気付く。
恩師が初めてあったときに、恩師も私と漢字も同じ下の名前。そして、もう一人私と同じ名前の人物が私を応援している、と言った。心あたりがあるのは、やはりもう一人の私。周りはとっくにそれを知っているのだろうか。それとも、周りも知らないもう一人のプログラムとしての私なのか。あの急に電池が切れたような経験は何だろうか。苦しくて悔しいのだが、しかし、もうそれは委ねることしかできない。勝ち目がないのだ。
昔、世界の食糧危機を救いたい、とノートに夢を書いたとき、夢が大きいんじゃ、と声掛けに注意のように言われたことがある。今の夢は困難は多少あるかもしれないが、そんなに人生は悪くない、とできる範囲で、これだけのことをしてもらったのだから、形だけではなく思ってもらいたい。なるべく、本当にそう思ってもらいたい。そう思ってもらうことが、私の夢だ。最初はしがない夢だっただろうが、だんだん思い続けることで、そしてこの経験でいつまでも、その人に本当にそう思ってもらいたい、と思っている。そろそろエンジンを点火して、生活にそれを考える時間を作ろうと思う。そこには祈りが伴った方が良いだろう。マザー・テレサは祈りは私にとってガソリンなのだ、と言って本にそう書いていた。30分だけでもいい、少しずつ進めて行くのはどうか、私くん。昔はこの夢がある、だから責めないでくれ、みたいなところもあった。そういう心理も一部働いていた。ただ、思いについては純粋だった。

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