ねこのかいわ。シーズンオータム。
ちょみちょみ。
わたしのことですね。
そうよ、ちょみ。しをかこうとおもって、めんどうでやめたね。
あ、そうです。そうゆうきになったのですが、ちなみに、ゆ、のところは、い、ですね。わざとです。
ねこもそういうのわかっているよ、ちょみ。
しをかきたい、とむらっとしてしゃしんをとっていたのですが、それでまんぞくしたというか。
ふんふん。
そとあっついなー、と思って。
ふんふん。
のんきではあるかなー、と思って。
ふんふん。
そのわりにじょうちょはふあんていになったり。
うんうん。
わかものがきもちいい、ついーとをしているのをみると、おう、きもちいいな、とおもったり。いまはわたしはそういうことにじしんがないけれど。
にゃあにゃあ。
あ、ねこになりましたね。
ちょみがぶつぶつしているからつい。
あたらしいかめらをかいました。
それはよかったね、ちょみ。
まだ、えらそうにいうとかんじがわからないですが、つかっていこうとおもっています。
ちょみはたんじょうびだったから、おおきなじぶんへのぷれぜんとだね。
うれしいです。
ちょみがとったしゃしんと、しをみせてくるかな。
ぶつぶつとつぶやく、しと、もっともっといいのをとりたい、のしゃしんです。
ひあ、ういーごー、ちょみちょみ。
多分、私には本当にできないことだろう。
ただ、今更だが愛という性質について、
そこのところ、意識するくらいのことは、できるのではないかな、と。
そう、希望を置くことを、
やっとだが、いや、やはり自信がないが。
他人の目から見た自分を、少し解放して、
愛という存在があったこと。
顔を上げて正直に見ること。
そういうことを、できるときに、いくらか積み重ねて。
できないときは、少しだけ悔やんで。すぐにもう一回と顔を上げられたら、上げて。
そういうことしてみても良いのではないかと。
そういう風に思っている次第。
他人は他人。
自分は自分。
私はやっとそう思えることができた。
そう言ってくれた人がいる。
私のことと。
そして、私が生きていくうちに、私のことを感じていたこと。
色んなこと。
そして、今のところ何となく私は私なんだとそう思っていいようだ。
(酸いも甘いもというか。弱い自分だが、今書いている時点では、いい部分に焦点をあてることができて。それで、そのほうが、いいんじゃないかな、と本当に思っている。気をつけないといけないことはあるが。昭和、平成初期の漫画でお父さんが、他人様にだけは迷惑かけんなや、というのがあった気がするが。その通りだな。でも、悪いところを気付いておくことも、大切で。そういうそれらのことは、結構学校の先生が言っていたことだったり、する記憶だな。)
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