ウオーク・ディス・ウェイ
母親がよく観ていたような映画。
私も一部観たり、すべて一緒に観たり。
私が観るような映画は、
爆発音、ういー、という声、とか。
そんな映画ばかりで、
でも、大学生の時に、深夜に流れていた映画は、
私には不思議なもので。
その不思議な気持ちを、そんなことを感じていた。
美術館に行くようになったのは、
ただ単に、
そういう世界っていいよね、そういうことを感じたかったからだ。
写真を撮るようになったのも、ブログのこともあるが、
そういうことって、いいよね。そう、思ったからだ。
リルケの詩を見て、青年期の毒や、年を取ることで、
感じる哀しみ、哀愁。
それを、リルケが現わすことで、伝わっていること。
そういうこと。
そこに存在する、
それは、私が学生時代に感じていた不思議のことでも
あるのだろう、と今、書きながら思っている。
「街まで歩いた帰り、陽が暖色になっていて、三輪車に乗っている子供がなにか沢山話している。
父親はポケットに手を入れて、笑っている。
縄跳びをする子供を、あまり見るのはよくないので見ていないが、母親かとにかく女性が見守っていた。
平和なのだ。この辺りは。
私はそのことにとても感謝をしている。」
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