足元から。

 

色々あるのだが、自分の発言で響いたのが、自分で人生を変える、なのだ。自分の人生をそれなりにやられっぱなしの人生を変える。自分にとって、それは書くことということになる。それがまず、一番最初の希望。それで、稼いで自分が思っていたことをする、というのが当初の目的だった。金を稼ぎたい、という。アイデアとかも特許とか取れたりしたら。とにかく金を稼ぎ、自分のしたいことが十分にできる。苦節(苦しみに負けず守り通す心、という意味らしい。)してきて、まだ残っている心だ。こういうことを書くと何を生意気にと思う人もいる。しかし、ここまで来た。組織の助けもあったかもしれないが、私は自分の人生を歩んでいる。でも、楽しているな、と思えば、かなり楽をしている。ブログを書くのも自分のためが殆どだし、世界と繋がろうとして、日常を何とか苦しいとか寂しいの種が出ないようにしている。修行か、と言えば、全然修行じゃない。のらりくらり。
じゃあ、何なんだ、というなら。啓蟄という言葉を最近知ったが、もごもご、地中の中でしていたのだ。今がタイミングか知らんが、自分で書いた、自分で自分の人生を変える。例え地中の中から出られなくても、変えることはできる。多分、小説も収入は得られないだろう。しかし、変える。創作する。運動は、合気道を本気でやろう。変える。実行するのだ。英語は、チャンスがあれば、友達を作ろう。変える。ギターは、新しい風を入れよう。車の中で詩を読んで歌おうじゃないか。まじ、やる。山奥でとか。変える。他、何があるか。変えるのだ、人生を。人生の流れを変えるのだ。自分で自分の流れを変える。霊性、霊的な性質。祈りによって、強めたい。なかなかできていないが、自分が言うことで強めたい。弱さを憶える自分だからこそ。そして、時々聞こう。自分の霊的な性質に。どんな感じ? と。
生きている喜びを知るのだ。それは希望についても同じ。
自分のできることをして行く。小さくとも。喜ぶのだ、今の現状を。改善できることは結構あるはずだ。この感じを日常生活にも反映できますように。

コメント

このブログの人気の投稿

こころの呼吸。

深夜のゲームセンター、昼間なら行けるか。

前向きにいきたいね。