思うに。

 

夏の陽射しが、見えないのだけれど。

心は陰りよりも、明るい火が灯っていて、

風通しが良い。

火は揺れるが安心しているようで、

不安症の自分は、その火のようにありたいし、

消えないで欲しいと思っている。

こころの温度を感じていたい。

生きていることが分かるから。


(何となくでいいのだけれど、こころの温度を感じていたい、と思う。時々、偶然に感じたり、別にそれで何があるとか言うことでなくても。生きているから、それを味わえる。年を取ることでそういうことが、経験したり分かったり、自分の場合はしている。そんなにいい奴でもなかったけれど、経験が考えさせてくれたり、分かったりもした。少なくとも想像が少しはできる。自分自身も嫌な思い出もあるし、そう思ったらそういうことがちらほら浮かんで来る。多分今でも群れの中にいたら、上手いことやろうとするのではないか、とも思う。でも、努力するだろうな。昔とは違う。それと、群れにいようとはしないだろう。教会は別枠として。大人になったらそれなりに、皆ある程度の痛みを知っている。気遣いをする。そうなんだよな。そういう普通でいい。でも、こころを感じた時、その人から手紙が届いたような、そんな一場面でもいい。何て、温かいのだろう、と道端で勝手に感動していたりする。勝手になってきた。そういう生活が今あって、自分にとって最悪の思いでもあるけれど、今なら経験として受け止められる。何が言いたかったかというと、色んな経験があってその上で、こころを感じる本当の気持ちの場面に出会うことが、気持ちのごちそう、というか。そして、残るのだな、自分に。本当だ。本当の気持ちだ、と。そして、それがとても素直に出ている。そこに出会う。強くありたい。情けない自分も頑張って脱したい。頑張れ自分。何を書きたいのか、分からなくなってきた。)


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