今度、牡蠣を使った料理を夕飯に食べようと思う。3度くらいそれやると思う。

 


今は、昔も。

優しさを信じて生きる方が、賢明だろうと。

誰かが何かを陥れる。

そんな場所ではない場所が、それなりにあるだろう。

気を付けて生きなくてはいけないことは、確かだが、

助けてくれた人を、助けたいと思う気持ちは、

まだ、多分持っていて良い筈で。

それ位のこと、それぞれに忘れたくない。

そんな人も、まだそう少なくないと今思うに信じたい。

肌身に感じるのが、仕事をしてきて触れて来た人たちで。少しはいたけれど、何だこいつ、という人はいたけれど、上手くやってやろう、という感じを感じた人は少なかった気がする。若い女性が多い職場の時を文句を言ったことがあるけれど、うーん、やっぱり今でも女子高に入れられたような感覚だったな、と思う。一人一人を見れば気持ち良い人も結構いたな、とも思うのだけれど。病院に移動して仕事も少し楽になって、介護士のおばちゃんたちには、助けられることが多かった。男性職員も優しい職員が多かった。いい時だったな。給料面、体力面、とかそのままだったら、不安にもなることは多かったのだが。
後ろを見るだけでなく、前を見ると。大きなことでなく、何がまず身近にできるだろうと思う。2月は旅から帰ると、ぐっと寝込んだ。気分が落ち込むことはなかったが、そういう自分のことと少しは関係しているのだと思うことにしている。そういう甘えがなければ、私は普通に働けるし、そういうことも我慢できるのだと思う。ただ、多分普通の人よりは、しんどさが少し大きいのだと思う。お薬も関係していると思う。
さて、身近な前を向くと。写真、やっぱりいいのが撮りたい。英語はかわいこちゃんにそろそろ連絡を取る。ギターは少し上達したことに胡坐をかき始めている。弾き語りできねえだろ、絶対ミスするだろう、テクニックもそんなないだろう、憧れがあるだろう。基本的なことしかできないだろう。という風に昔からの憧れの思いと淀みがある。いかした、ギターを弾くじいさんを目指すのだ。本も習慣的には今そんなに読んでいない。言葉は言葉の筋というか、観ることは少ないが、ほんとに時々、テレビをつけた時の俳句の査定を観た時にコメントと同じようなことを感じているな、とか。それを修正することは俳句なので自分にはできないけれど。教会の子供に嫌にならない伝え方って、どうすればいいのだろうか、という今のところそれは楽しみになっている。まだ、全然考えていないけど。真面目過ぎなくするのが、ちょっと難しいかも。子供にも分かりやすく。合気道とジムで迷っている。合気道の方が門を叩くハードルが高い。2月中盤からやる気がなくなってきたけれど、春が近づいてやる気が少し出て、色々やっていきたい。まだまだ、自分変えて行きたいね。現実はちょっと、違ったということは慣れているから大丈夫。

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