楽しく生きても、ええんじゃないか。

 

酔っている。夏だ。
今日は飲まない日なはずなのだが、飲んだ。気持ちが良い。ほどほど、だし、まあいい。
酔っている時に、ブログは危険なこともあるが、それに、夜にブログを書くと目がらんらんになって眠れなくなったりする。これくらいの時間だと、大丈夫だと思うが。2杯目でこれくらいに気持ち良くなっている。どれくらいだ。ふああってなって、理性が奥で標準を定めている。
今年の夏は大切にしたい。寝過ぎるのが当たり前の夏にしたくはない。色々やりかけたことがある。人生半ば、時間を大切にしたい。それと、母方の血だと、そんなに長生きできる系統ではない。この世を楽しむ時間がありがたいことにあるのだから、寝てばかりをそろそろやめたい。楽しむ時間は本を読んで何かを知ったり構築していったり、ただ、あほみたいに、らんららんららーーん、と生きる年でもなくなってきた。しかし、子どもの頃の、あほなのが好きな自分に何度も助けられている。そういうことって、大切なんだな、と思うようになった。あほエネルギー。
エネルギーで思うなら、今信仰しているキリスト教のエネルギーには助けられた。色々考えるようになって、自分で考えないといけないのだな、と思うようになったが。若い頃に、信じることがあって、乗り越えて行くことって、ラッキーなのかもな。そして、どうなのかな、と思うようになってからが、旅なのかな。知ることも必要かもしれない。
いつかに見た、ヌーノ・ベッテンコートのどの曲かの歌詞に、大いなる存在を知ることになるだろう、と日本語訳があって。自分に言ってるかもな、と思った。知った、というかあるんだな、と感じている。自分とか地球の生き物は、そういう存在であるということ。感じる以上そうなんだろう。
この世を如何に楽しく生きちゃろう。贅沢するとかでなくて、人が大切なことを握りしめて生きることができるために。いい風な言い方かもだが、自分は結構そう思っている。世の中世知辛い。でも、だからこそ、楽しく生きたい。ええじゃないかー。

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