元気のある日。

 

いくつかの。

事柄は委ねることをして、

年と共に、前に進んで生きている。

美味しいご飯を食べれば、嬉しく。

天気の良い日に、歩くと気持ちが良い。

健康なのだ、多分。心も身体も。

そういう日なんだろうな。

朝からちょっといいことをして来た。ウォーキングの途中、CAFE BC に。サンドウィッチのセットを頼んじゃったよね。机に置かれたメニュー表にコーヒーだけがなくて、頼めばそれで行けたんだろうけれど、まあそれじゃあ、と思って。
写真集とか詩集とか持ってきてなくて、いつものようにスマホを観ていたけれど、何か良い感じになる本とかを読みたかった。星野道夫さんの本を読み返しているのだけれど、好きだな、と思う。そういう経験で、そういう目で見てきた美しい文章なのだね。読んでいると気持ちが落ち着く。
読んでいない本がそれなりに沢山になってきて、ぼちぼち読み始めようか、というのと選んで、読み返す本も何冊か机の近くに置いておこうかな、と。
県立の図書館に何年か前まで時々行っていて、1階のこども用の図書館に絵本のコーナーがあって、今月の名作、のように何冊かが表紙を表にして立てかけられていて。やさしい おおかみ とか賢者の贈り物、とか読んでいて。あれは、よく通っていた時は、介護士の時だな。今でもああいう風に、置かれているのだったら、また時々行ってもいいな。話しをしていて、最後の一葉が読みたくなって、オーヘンリーの作品であることを知らなかった。多分、何だけど小学生の時に、国語の教科書に、若しくは授業で読んだことがあると思うんだよな。今日から俺は、という漫画にそのパロディがあって、あれだ、とその時思った記憶がある。
仕事を辞めたこの生活の初期に、大人用の3階か4階だっけかの図書館で新聞読んだり、詩集を読んだりしていた。吉本隆明さんの詩集があって、もの凄い分厚い本で、内容も何というか、威圧、とは違うのだけど、ぶっとい知識に裏付けられたというか、剛(ごう)な印象を受けた記憶。今、少しは吉本さんの本を読んだので、後付けでそういうイメージが補強されているのかもだが。でも、剛、という印象かな、その詩集は。県立図書館のカードは作っていないのだね。最近は、もっぱらコミセンの図書館。
県立の美術館の南館でお年寄りの作品展をやっていて、絵画と写真のコーナーを見てきた。帰り、書道の3階の展示も見ておけば良かったなー、と思った。絵の方は、そういうのに弱くて、ちょっと涙が出そうな作品と、賞は取っていないのだけれど、光とか好きだな、という作品。これすごい、という作品があって満足。写真の方は、ああー、やっぱりベテランだ、と思った。すごい、いい作品ばかりで、そっかー、写真となるとそうなるのか、と思った。いっぱい撮った中で、これ、という作品だろうし、経験も写真歴が長いということだし。絵となると体力とか、精神的な何かが込められていないといけない上に、技術が伴わないといけないし。写真がそうではない、ということではないけれど、絵の方が制作する分にはしんどいよな、と。沢山描くのも大変だ。でも、かなり楽しめて、気持ちも良くなる展示だった。図書館が休みなのは知っていて、ウォーキングをしたので、この展示があることを知ったのです。

自分は、文章なら一旦考えて、それなりには分かるように書くことができるのだが、用意していない会話の時に、相手に分からないだろうな、という話し方をすることが多い。単語や少しのかたまりの言葉を単発に言って、自分は分かっているのだけれど、それを聞いて相手は意味が分からないだろうな、と。説明不足や、気持ちに押し出された、単発の言葉。後で整理して、こう言っておけば良かったな、とか思うこともある。話すときに自分の内でも頭が混乱しながら言っている時もある。そして、それを修正をして次に生かすこともできていない。今は、人と話すことも教会と家族、ほぼそれだけなので今のところ許されているのだな。経験上、普通ならいらっとされたりする。今、パソコンを打っていて、するのだな、のところが、すのだな、と打って。これが、手書きの時にもあるように、特に最近そうなっている。
いろんな、思いがあるけれど、穏やかに幸せだったら良いな、と思うな。

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