思い返すと、しょぼい自分だけれど。事実なんだな。ただ、心の奥にまだ炎が燃えているぜ。ほのう、だと思って変換されねえ、と思ったら、ほのお、だったぜ。

 

よく物事を忘れる。

恥ずかしいのだが、

昔、学生時代誰かが言っていた、

それがどういうことだったか。

縦だったか、横だったか、

どういう状態であったか。

どういう状況のことか、

細かく書いておく。

ということは、

今の忘れっぽい私には、本当だなと思える。

できていないことが、よくあるのだけれど。

何かを思い出す時に、そのメモをした時に気になったこと、気になったことの状態や、状況を書いておかないと、そのメモの書いていないところで記憶がストップしてしまうということがよくある。私は高校受験は塾に通っていたから受かったようなもので、今になって気付いたことは、当時はノートを見直す、という初歩的なこともしていなかったのだが。授業の時に気になったこと、箇所に印をつける。気になったことを書いておく。これって、重要だったのだな、と思っている。自分の脳に一度通過して、引っかかったこと、欠落していることはそのまままた、自分の脳には欠落していて同じところで間違うのだ。当たり前すぎることだが、それを実感していなかった。昔、高校時代、父親に間違ったところを復習していく、それが何で出来んのや、と言われた。何度もだが、勉強自体ほぼほぼしていなかったので、それはできんわな、と思うのだが。そして、メモから今感じると、そこでどう自分が間違ったか、なぜ間違ったかをちゃんと記録しておくといいのだろうな。同じところで間違った時に、同じような間違い、メモした時と同じ考え方、脳の癖で間違うのだろう。それを修正して行くのだ。今もそれが自分に出来るかというと、どうなんだろう。ただ、同じようなことで躓(つまず)くなと感じることはある。それと、今の英語の勉強で言うと、苦手な発音のヒアリングはずっと苦手で、何度もしつこく聴いて、やっとその壁を打ち破ることができることもある。これ、アスリートも現代的なアスリートはそうなんだろうな、と思った。ん、どうなのかな。でも、今になって、実践も出来ずに感じていることだ。そうやって、考えることは楽だが、受験勉強に取り組むとなると、少なくとも私の場合、大きなストレスに今でもなるとかなり感じる。できる人はできるし、本気の本気で努力しないとできない人も沢山いる。私は、ストレスでお肌がかゆかゆになりそうだ。リアルにそれを感じる。受験勉強って大変なんだよな、資格試験でも難しいのとか。子供のことを考えていて、それを乗り越えさすには、とか考えているけれど。
今日は若い子っていいな、と思うことがあった。元気であるし。みんな、頑張っているんだなー、とこのスローライフから外から言わせてもらう。大変なことは多い社会だけれど、元気で明るくその波に乗っている人たちがいるのだ。自分は何度もだが、ケアマネを経験して、そう簡単にみんな頑張っているんだー、と言えない世界というか、こともあるんだな、とは感じている。どうすればいいかは、分からないが、子供の支援をすることができるなら、究極的には生きやすい世界で大人になっても生きて欲しい、という思いがあるな。強い言い方になると、君たちはその権利がある、と思いの中ではそう思っている。自分はマイペースで生きて行くけどな。しんどいの嫌。ただ、やりがいを見つけてしまったら、炎が燃えてくれてもいいな、とまだ思っている。

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