情感。
時は経っていて、このままは楽だな、と思い始めていて。
苦しい時は、何か事が動いて欲しいと思うのだが、
何かが始まるのが、めんどくさくて。
適度に努力して、適度に生きている。
年は取っていて、そんなのは嘘を付かない。
友人を欲していた時もあるが、色々沢山あったので、
それもめんどうだ。
これが少し本音だ。
ただ、それでは気付いた時に、
遅すぎる事態になるだろう。
心の眼をなるべく逸らさないで、
恐かったら、立ち止まって眼を瞑ってから呼吸を整えて、眼を開いてまた前に歩こう。
勇気とか、取り戻せるのであれば、取り戻そう。
ここはモンテッソーリの本を読んだ知識だが、確かめないが子供の言語能力のもの凄い発達の時期は、1~2歳位だったか、その後はどんどんその能力は落ちてくるという話。言語能力ではないが、私も子供の頃に教わった事柄で頭を動かすこともある。そんなことに気付いた時、あ、変わってないと思ったりする。もし、何か出来ることがあった時、そこで子供たちに英語と日本語のバイリンガルで育ってもらうのか、とか思うこともある。無理なく。しかし、日本人がここまで優れた何かを生み出すのは、基本日本語で考えているからだ、という話とか。でも、そんなの乗り越えた世界があるのかもな、とか。妄想。現実に向かうとしたら、組織を体系づけて行くことを考えないといけないし、何より子供の未来を明るいものにできるシステムをどうせやるなら、まじのやつを、できないかなー、と思うよな。そういうのを考えると、どうにも想像力が現実的には働かない。ちゃんと、本を読んでから、とか。そして、読むのさえもさぼり。怠惰に怠惰に生きている。振り返ると、鈍さとかは変わらないが、能力は上がっている気がする。何かを考えだす時に、今までの知識がどこかで働いているな、と感じる時もある。文章については、ブログを書く時に詩を書くことが多いので、それも書かないよりは良いだろう。時々、心から流れる詩を書ける時もあるので、それもいい経験だ。小説については、そんなに書いていないので1年に1回は短編を書いてもいいんじゃないか、と思う。やっぱり、書いていないと錆びつくよ。小説は普段の生活から気持ちをそこにやっていないといけない。この生活の初期は、もっと文学野郎だったと思うが、やはりルールとしてそこに行き着けないと分かったので、書くことも少なくなった。その代わりに、色々な経験をすることができた。今書いている時点で思うことは、変わったよな自分、と。何か、とははっきり言えないが、弱音を吐くのだが、でも仕事を辞めたばかりの自分より、子供について何かしたいと思う内容がそれまでより中身がある。このままでも、勿論まだ駄目だが。今、パソコンを打っていて、前より自信があるという思いになってきて、心に力があるようなそういう気持ちになる。ただ、いじめられてきただけじゃないぜ、と。ちょっと、興奮して来ているのか。この辺にしておこう。あ、それとこの生活の初期にノートに書いた自分の思いを記したところを見て、そこについては情感が今よりもあるかな、と感じて、やるなー自分、と思った。受け取った恵みを忘れずに。ペースを崩さずに今を生きて行こう。
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