しじん
へんなふくをきたおとこのひとがきた
せんせいがこのひとはしじんですといった
しじんのひとはあごにひげをはやしていて
みみにいやりんぐをつけていた
「わたしはしぬまでしをかきます」といった
「たくさんたくさんかくつもりです
つまらないものもかくでしょう でも
ひとつでもきにいったしをみつけてほしい」
それからしずかなこえでしをよんだ
なにをいっているのかよくわからなかったけど
ことばがおがわみたいにながれていく
こころがふだんとちがうふうになって
どっかにわすれものでもしたみたい
なにかしつもんはとせんせいがいったので
「しってなんですか?」としじんにきいたら
「ぼくにもよくわからないのです」 といった
みんながはくしゅしたらしじんのひとはおじぎをした
なんだかなみだぐんでるみたいだった
谷川 俊太郎
あくせくしていた時に、ある詩誌に詩を応募して賞には結局引っかからなかったのだが、それからいくらか月日が経ってその応募したところの詩誌が家に送られてきた。おもしろいもんがあるぞ、と聞こえて、送られた袋の封を切って、詩誌のページを開いた。沢山の詩人の詩が載っていて、その一番始めのページの詩に谷川俊太郎さんの、しじん、という詩があった。当時、詩の世界については、そこまで詳しくなかったのだが、さすがに谷川俊太郎さんの名前は知っていた。ただ、たにかわしゅんたろう、の名前をたにがわしゅんたろう、と私は言っていた。その、しじん、という上記に載せた詩を読んでいて、あ、自分のことだ、と感じた。ただ、すごくはてなマークで、なんでだろう、でも私は自分のことを言っている、とずっと感じていた。私を詩人と言ってくれている。
仕事を辞めて、この暮らしが始まって、世界と通じていると知るようになって。まだ働いていた時に、別の詩をあるところに応募した時に、出版社から電話がかかってきて、面白がっている人がいる、と出版社の人が言っていて。当時は自費出版をしないか、と持ち掛けられたのだが、よくある出版社のことなので、断ったのだが、あの時に面白がってくれていたの、谷川俊太郎さんじゃねえだろうな、とか時々思っていた。面白がってくれる、ってすごい嬉しいことで、純粋に興味を持っているって、ことで。そういう思いがあったことと、そういう思い出だ。
すごく嬉しかったです。谷川俊太郎さん、魂が平安でありますように。
ご冥福をお祈りします。
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