まだ冷房は使わない。窓を開ければ風が通る。特に夜に。昼は扇風機。
6月の最後の日曜日。もう夏だという。 体感では湿気が低い。 私の周囲の世界は、 優しいはずだと信じるようにしている。 もっと、優しいはずだと。 いいやつとか、いい人の、 幸せの知らせを聞いたとしたら、 とても心が幸せに満たされる。 大したことしていないのに、日々を何かしないととまるで忙しいように暮らし生きている。最近のことだ。仕事を辞めてからの初めこの時間の持て余し具合に対応できず、また慣れず苦しんでいたが。今ではあれをしないと、自分のレベルアップに繋がることだ、とか目標のためだ、とかそんなに強くはないが意識を持っていて。これでいいのかしらん、と時々思う。もちろん、時々旅に出たりリフレッシュをしていて、これでいいのかもしらん。休憩も適度にしているし。と思ったり。今のところ、何かをしていれば鬱屈をすることがないかなー、と思うが、苦しくなっている時のことをすぐに忘れているのだな。何度か書いたが、大丈夫かな自分、何かが歪まないかなという心配はある。健全に生活したいなー、と思う。まあ、この暮らしよいこともあったが、まじで苦しむところは苦しんだ。この書き方、変化があるのではないか、という書き方だが、でもそう思っている。期待している、生活に変化が起こるのではないか、と。一方で、本を読んだりなかなか大きくは上達しない英語とか、ギターも、この時間があるから自分自身の能力を高めることができている、と思っている。実際の自分自身に身についた技術というか。実際に変わること。 深く潜ってみたいとも思う。自分と深く向き合って、小説とか何かを言葉に出していく。妄想では。どこかの記憶ではそれが気持ちよかった記憶だ。しかし、群像新人文学賞にこの暮らしになってから2回目に応募した小説は、今見るとちゃんと見直したらたらいいのかもであるがぱ、っと読むとそんなによくはないかな、と思った。自分のことを書いてるのだな。忘れかかっているけれど、群像新人文学賞は私の憧れの賞であるのだ。そういう、憧れを忘れ始めている。楽しかった、文学のことを目指して進んでいたあの頃。ネクストステージというか、その世界の人が紹介をしていた本を読んで、おお、と思っている今もまた好きである。広がったな、世界が。文学にまた、はまりたい気持ちもある。詩集は図書館で借りて読むけれど、小説をもっと読んで。ちょっとは読むこともあるけれど...