素敵に生活。

 


静かな佇まいを、読んでいる。

控えめで、

情熱が温もりとして感じられ。

私は生きていて、

また、目にする人々も生きていて。

優しさや、それを受け取った大切さ。

時折、本からも伝わって、

その時間は悪くないものであって。


今週は元気であって、とてもなのではないがやることに、取り組めた。しかも気持ちよく。精神的体力がある感じ。何かの時のために文章を伝える技術を蓄えておく、という動きも少しずつ始動している。まあ、本を読んだりメモったりとかいうくらい、であるのとそこにおいて、自分の考えが現れてそれもメモったり。なんかいいこと、思ったけれど他に気を取られて、一瞬で忘れてしまった、とか思いながら楽しみながら。ほんとに少ない時間。でもいい時間である。
今日はウォーキングをして、またもやCAFE BC にてサンドウィッチのセットを頂く。最高よ。ちょっとはまっている。いつものウォーキングしている道沿いにあるし。やはり、パンがふかふかね。明太子トッピング。
サンドウイッチを食べ終えて、コーヒーを飲んで水も飲み、齋藤陽道さんの神話シリーズを2冊チョイスしてリュックに入れておいたので、眺める。写真を知り始めて、この神話シリーズを見ると、やっぱりすげえんだなーと、心から思う。どうやって、撮るんだろとか思うが、当たり前だが私はここまで撮れなくてもいいのではないか、という思いが少しだが湧いた。むしろ、だからこそ写真家さんの写真が楽しめるのではないだろうか、と。まあー、でもやっぱり、これぞというのを狙って撮ってみたいか。神話を眺めて、最後にブロックごとというか、区切り区切りに、齋藤さんの言葉や本からの言葉の引用が載せられているページがあって。いいなあ、とリラックスしながら写真を見た後に目に付いた箇所の言葉を読んで、いいなー、と思って、そのページ全部の言葉は見ずに終えるのいいな、と思った。気合を入れて全部読んで行くのではなくて、写真の続きにリラックスして、いいなあーと言葉を読む。いい感じの楽しみ方だな、と思ったその時間であった。
この生活が始まる前、色んなことが始まり出した当初、私は何というか、今に比べたらうるさい勢いというか。今のように静かさが続く暮らしではなく、ぎょえーのような、ぎょえちゃんのような、ぎょえちゃんは、ちょっと違うけれど、そういう中で特に仕事をしていたからか。若しくは新人ならではの、おおーすげえ、やっぱそうっすよねー、とか何かについてのすごさをよく知らず話しかけるのような。谷川俊太郎さんについてブログの中でそういうことがあった、記憶がある。谷川さんの応答は静けさだった。
それを経て、確かに色々経験したのだよな。キリスト教の言い方なら、何たる恵みか、だよな。アメージング・グレース。
ともかく、近頃はやる気がある流れなのでその流れに乗って、何やかんややっていこうと考えている。やる気がなくなった流れの時は、だましだまし、ふてながらさぼったり。大きなことはそうではないかもしれないが、進んでいるなという自分の感覚だ。自分の身になることが。


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