新しい朝が来た。

 


いのちの喜びを。

知るときがある。

いのちの喜びは、

いのちが響いている。

そんな喜びが。

この生活を続けて、別にさっさと楽にこの世を去れるならそれでもいい、と思い始めていた。しかし、何かが動き出した今、私の中にある何かがもっと生きようぜ、楽しくいこうぜと言っているような気がしている。どこかで見かけた、命の喜びも知らずに、亡くなっていく子供たち、と見て。30代前半くらいかな、までに若さの色々を経験して、それって喜びかもなと思い返して、想像して。私は恋とかそういうことが抜けているけれど。いや、恋はしたことがある。ともかく、若さの頃よりはまあ、そういう時がきたらしょうがないか、と。思おうとしたが、今は生きたい。しかし、エネルギーに満ちた若い頃、感情的にも楽しい頃を経験せずに亡くなる。生きたとしても、なんで生きているんだろう、という環境。いやだね、そんなの。日本で暮らしているだけでも、色いろと苦しいことがあったりする。でも、世界ではそんなことを言えないレベルの境遇にいる人たちがいる。私は早朝に目が覚めて、まだ暗い中に猫のけんかをする声を聞いて、いるな、と思って飲んでいなかった薬を飲み、スマホをちらっと観たためにそれからは眠れず。カメラにある写真を選んで現像して、ブログを書き始める。猫の声は止んでいて夜が明けてきて、からすとすずめの声が聞こえる。幸せだな、平穏だ、と思いながらキーボードを叩く。確かに幸せだ。
毎週のいいことをしているルーティンは、だいたい土曜日にラザールでモーニング。山を越えたところにあるラザールは、メニューの幅が広い。その日は軽く読もうと思った本をチョイスして、がっつりではなく読む。今は13歳からの地政学を読み始めている。知らなかったなー、という話。知らないことが多い。楽しんで読んでいる。昔、聞いたことに近い話だ、という箇所もあった。日曜日は近くの食事処で、お昼に親子丼を食す。ちらっと見た月見うどんとかも美味しそうだな、と思ったことがあるのだが、親子丼を食べることにとにかく飽きない。幸せな時である。この2つが暫く固定化しているいいことのルーティンだ。
文章を伝えることの準備の時間は、後回しになることが多かったので、スマホのカレンダーのやったことの印に加えることにした。読んでいた2冊の本の付箋のところを読み返していると、参考になるわー、と。自分の場合と照らし合わせながら、読み直している。小説に使う文章とは違う文章についての本も、そこ、確かにという箇所があったり自分の場合は、と考えたり。読んでいて、私は自分の経験した自分の感じたことの表現は書けることもあるが、例えば映画の一場面を観てそのところの描写をしてみなさい、と言われたら、そう言えばできるかな、と思ったな。やってみたら、いいんだけれどね。
さてつ(さてと)、今日はこのまま眠くならなかったら、Ape かコメダ珈琲にいって作業をするか。あと、1時間待たないといけない。

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