夕食は冷やし中華にするか。

シャワーを浴び終えて、風呂場の窓を開けると夕方の色に気付いた。カメラを持って下の階に降りて急ぎ足で進むと、お母さんと娘ちゃんがいて二人に距離があったので私はその間を縫って進んだ。おお、ごめんなさい、という位の距離で、お母さんが娘ちゃんに傷つけないような声でじゃま、と言った。私がじゃまだった、ごめんなさい。だけれど何か優しい気持ちになれて懐かしさが鼻の先を過ぎていった。気持ちがいい。
日曜日の教会のCS、聖書の勉強会で司会をして最近、賢くなった気になっていて特別なことや良いと思われるようなことを言おうとして、失敗した。自分でも何を言っているか分からなくなって、失礼なことを言ったような気がした。そうすると、思考が今まで嫌われてきたパターンにギアが入ってしまって、大丈夫、と言ってくれたのだけれど、暫くそれに陥ってしまった。その日は朝から胸が痺れたようで手先も少しそれがあった。少し、苦しい状態なのかな、と冷静に思っていて、生活の仕方が今週は悪かったからな、と思っていた。自宅に帰ってまたギアが入ったようで苦しくなった。今、書いていて若干のコメディみたいに思えるが、その時はそんな状態だった。暫く、続けていて、滞っていた小説を書かないと、と思いが出てきた時、胸の痺れが引いた。寝転がりながらその体験に自分でも驚いた。多分、そうさせた、ということではなく、自分の自然な心の動きだったのだろうと信じることにしている。
この数年、今までの歩みが私に書くことへの私にとっての大切さと自信を与えてくれていたのだと思った。ふと見れば才能は溢れていてそれに溺れそうになることもあるが、私も持っている。そう思いたいし、だからそれだけのことを書きたい。こう書くとまだ、自信に弱さがあるが、だからこそだとも思っている。最終的にしたいこともどれだけのことができるか分からないし、どうしようかも考えていない。どれだけの財源が得られて、何より人に関することで、私には分からないことも多い。ただ、私はそうしようと決めている。
犬山紙子さんのtwitterからの「こども食堂のカタチ」の記事はためになった。あと、食べている子供の顔の様子が可愛かった。

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