考えれば、良いゆとりか。

今日、群像新人文学賞に郵送で応募した。2年前に応募した作品の原稿用紙換算枚数を見ると、今年書いた物と全く同じことにびっくりした。
気になる点は、最初の出だしは良いが、急に違う話を会話でし始めるような感じ。ずっとそうなので何回か読んでいると、そういう作品か、と思うことができる、ことにする。ただ、一番最初に始まるそれは、ん、とサラで読んだ時は思うかもしれない。これ、自分のことを全く知らない人だったら、どんな風に感じるのだろうか、と思う。それが分からない。流れで、引き込む事ができているのだろうか。今は客観的に見ることができない。いい、と思って1つしたことがあるが、小細工に見えるかもしれない。
良い点は表現が上達している。思いも込めている。時間が経つと込めることができていたか、と不安にもなるが。ただ、今の私としてやることはやったか、と思っている。最初に思っていたことはできなかった。それは今からの長い目で見た目標になるかも知れない。中々、難しいけれど。
書き始めたときは、だめになるだろうけれど、とにかくやったるか。だったけれど、評価されたい、受賞したい、認めて欲しい、道を切り開きたい、お願いしやす(本気)、今の私の世界を変えたい、わくわくしたい、知らなかった良い世界を知りたい。このままは、やっぱり嫌だ。
少し、気分を変えて、十分ゆとりだけれど、さらにゆとってから、よし、と思ったら公募ガイドを見て短い話とか楽しむを前提に考えるか。
結果的に2年前の作品と前編、後編みたいになっているな。
何やら気になるところを書いてみたが、恐ろしくなってきた。でも、よい、終わりじゃない。頼みます、願います。
今回は終わりだから、暫し忘れよう。

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