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5月, 2026の投稿を表示しています

ブログはいつまでかも続けようと思っているが、もし正式に見てもらうことになったら、自分の状況のことばかり書いているの面白いだろうか。でも、そう続けようと思っているが。

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  元気がある。うんざりしていない。少し、ハイな状態なのか。ずっと静かに暮らしてきて、落ちている時とハイな時があるのを知る。 物事が変わりそうな気配がある。逃したくないという気持ちがある。しかし、そういうことでよく失敗してきた。 暮らしを送るのは好きだ。ハイな時は料理も楽しいし、食べて美味しい。 自分の力を伸ばすのも好きで英語、ギターだけでなく文章もまだ、あやふやなところがあって、あーそうだ、と思うこともある。覗いて、文学だ、と思い返すことがあってどんな風なのが自分でどんな感じにしたいのだろう、と思った。でも、そういうことが面白い。 作品に関する解説、批評を聞くのは有効なのだと気づく。こういうのは出尽くされているのだ、とかこういうのはわざとらしく感じるとか。それでも、それを超えて出尽くされていることを書くこともありで。そしてまた、こういう意味合いが込められているんじゃないかとか。センスに加えてこの作品のここがいいんだ、という批評を憶えていてある時、それを意識しておく。それが自分になじめば上手くもいくのだろう。 もう一回になるが、この暮らしは好きだ。気持ちが落ちている時は、なかなかの苦しさだが普段は穏やかで人の煩わしさもなく、カメラもあるしギターもある。ネットも通じているし、料理の食材もそれなりに揃えることができる。一時期、精神と時の部屋とか思っていたが、でも確かにスキルが様々なことに上がっている。それなりにのこともあるが、でも上がっている。 それと、極最近だがアトピーがかなり状態が良くなってきている。私の思い込みかも知れないが、随分アトピーに苦しんできた、と実家で食事をしている時に父親に言った日の後から、状態がすこぶるいい。もともと少しはアトピーの痒みがあって、その時くらいの状態に回復している。顔に酷いアトピーが出ない。約20年酷いアトピーに苦しんできた。 腸がおならの音をするのはどうだろう。治ったのだろうか。人と会う時、特に慣れていない人に対面するときに緊張で腸が動きおならの音が出る。今は家族以外の人とまともには会わないのでどうなのかが分からない。治っていてほしい。ケアマネの最後辞める前にお客さんの家で、すごいのが鳴った。ケアマネの初めての研修でも鳴り続けた。介護士をしていた時に酷いアトピーに耐えられなくなり、お医者さんに免疫抑制剤の申し出をしてからだ。待...

うむ。

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  自分ってどんな人間なのか。どんな風に変わったのか。 生活しながら、そして考える時間を。 動物は今も好きだ。でも触れた後、家に帰ると手を洗う。それでいいのだけれど。 今年の蛍を見る。 目線を今の自分に。 気力があると部屋を綺麗にできて、気持ちがいい。 気力があると何かをすることも、気持ちがいい。 気分は、ふんふーん、である。♪ どうすればいいのか。 でも、ペースを保って生活を送ってゆく。

梅雨ごろには梅干を漬けようと思っている。

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  暑さを感じるようになってきた。 季節は変化するし、 私も四季を追うごとに年を取って。 20年前よりはさすがに考え方も変わったところもあるし、 変わらないといけないとまだ感じることもある。 世の中も20年前とは大分様子が違っているし、 それに追いつこうとする人も、わたしも。 あと、どれくらい生きて、 どんな時代になっていくのだろうか。 生きていたい。 何気ない親切や、日常の平和、 人の誠実な感情。 感じていたい。 ちょっと煮詰まってきた時に、自然な香りの良いものの匂いを嗅ぐとか、お茶休憩をしたり少しだけお菓子をかじるのは効果的だなと最近特に実感しています。元気があり余っている若い頃とかはそういう実感がなかったのですが、考え方が凝り固まっていたり自分と周りとの感覚が分からなくなっている時に、お茶休憩をするとほっとして気持ちが落ち着いて焦らずにまた何かに取り組める。または冷静になれるというか。若い頃そういうのいいな、と思っていたのですがあまり実感することがなかった。 ずっと英語やギターや読書をすることをさぼっていて、読書は少しはしていたのですが、久しぶりにするとまだまだ日常的にできる雰囲気を自分に感じました。週4日できたらいい方のことであったのですが、それでもうんざりすることがあってギターをうんざりとか言いたくないのですが、全部組み合わせて取り組んでいるとうんざりの波が来る。どうしたもんかい、と思いリフレッシュの方法がいいのが思いつかない。思い切って、うんざりしたら全部1週間手に付けないとか。 しようと思ったらやること、いっぱいあるのだけれど気持ちが追い付かない。やるれことに限りがある。インスタグラムを見ていて、高校に上がる女学生がやりたいことがいっぱいあって、時間が足りないようでとお母さんがコメントしていて色々取り組んでいるようで、すげえなー、と思った。それくらいの頃から沢山勉強以外にやることがあるんだ、と思って。私は学生時代、勉強もしていなかったし何かにしゃかりきになってもいなかった。楽してえなー、と思っていた記憶だ。だから今は、無理はできないけれど身になることをしたいなという思いがある。ほとんど何もしなかったその自分はやはり、何もなかったということはないけれど、それだけの何もしない結果が出ていた。根性もなかったし。 でも、想像でしかないけれど、会社に入っ...

「旅立ち」

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  黒く映る食べ物を食べていた。心音がとくとく鳴って、生きている。私は生きていると、確かめる。でも、情報がモノトーンで。  フォークとナイフは白で、食べ物は黒、          流れている音楽も白と黒で。  音符が黒で、余白は白、     五線譜が黒だからちゃんと音程は合っていて。  耳に聴こえる、その音は私の心臓に届いて、心を打つのを助けてくれる。  ただ、生きている世界で。そう思っている。  食事を終えて、会社に戻る。白と黒のキーボードを打ち、白黒画面のパソコンを眺めて泳いでいく。その時私は魚になる。  周りの魚も泳いでいて、白黒に挨拶を交わすこともなく、前を向いて潮の流れに沿って泳いでいく。皆の白のうろこは、はがれてそれぞれの仕事を知らせる。うろこには黒の情報が書き込まれている。私も皆と同じように前を向いて、誰がその情報を拾うかを知らない。別にそんなことはどうだっていい、全てモノトーンだから。  考えることはできる。ただ、情報がモノトーンでそれに支配されていくようで、そのように考えて心も灰色になっていくのがわかる。ふと、いつの間にこんなことにと思おうとしたが、すごくめんどくさくて、それは心が灰色になってきているから。  休み時間に白の鏡を見たら顔は真っ黒で白みもなく、顔もないんだ、と思った。また心が灰色になっていく。せめて、食事をして音楽を聴いて心を打つ。まだ、生きている。  どこかに、どこかに何かがあると感じられはして、何とか心を打って考える。それについては、多分、としか手がかりが現れずに、また灰色になっていく。そうして、またパソコンを泳ぐ。  忙しくも、苦しくも、干渉も、厳しさもない。そうして、次第に、多分、さえ無くなっていくことが分かる。人間のように魚のように、もうどれでもなく。  朝があり、昼があり、夜があって、そのどれもが白黒で私の心だけが灰色なのだと思っていた。  休みの日に白黒の映画を見た。「旅立ち」という題名の映画だった。  出会いがあって、別れがあった。  エンドロール画面が流れていき、最後の方で題名が上へと流れていったのだが、ハテナ、と思った。私の灰色になりかけている鈍い心でも気づき、感じられた。  それは、白黒の情報ではないことに心は気づいた。今の情報は何か、私は泳いだ。映画の中をひたすら泳いだ。感じる、何か色がある。  題名だ...

しゃっきり生きよ。

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  優しい経験。 決して綺麗ではない私の、 心を、 包んでくれる。 あの出来事。 それはそれで、思い出にして、 生きないとな。 少し、手が汚れても、でも できるだけ、 人の心を汚さないように。

少年の心を。

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  様々に考えを持ち、 どのように生き、 色々生き方はある。 魂を震わせて、心はどのような性質で、 霊の存在があり。 今でも、力が欲しいと。 生きる力、 できるなら、美しく生きる力。 生きることに深く心を根ざす、 誇り。 頑張って生きるのもしんどいですが。 心のどこかに生きる誇りを。 希望を。 できるなら、力を。 清き涙の慰めを。

ちょう、かいかん。

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  デジタルトランスフォーメーション、に変革しそれに頼るのは昔の記事で見たと思うし、だれもが思うことだろうが危険だな、と思った。だが、もう社会はその利便性を感じて、そっちの方向に動き始めている。私もその中にいて、便利だなと思っている。 人に出会えるということ。SNS を通じて出会いがあり、良くない出会いもあるかも知れないが、運が良ければでもあるし、正式なネットの場所でいい人と出会えることもあるかな。 また、大本を人間が管理していることも、承知していないといけない。 さて、自分はこんな社会をどうやって生きて行くのだろうか。詩や小説を気持ちを込めて書けたら爽快である。やっぱりそれを評価してもらいたい。まず誰でも書き手はそうだろう。そして、それは人間っぽいなと思う。機械みたいな言葉や文章より、その人の内面や命の根源にあるものを書き現してくれていたら、それを感じ取れた時喜びだ。その時、感じ取れなくても年と共に感じることができるのかな。 聖書のことを読んでもそこまでは理解できないことも多く、しかし、聖書教育のテキストがあったことは理解を深めるきっかけにもなった。命を感じること、人の性質。神様とはどのような存在なのだろう。そんな中、私たちはおのれの生活を過ごして、生きて行かねばならない。私たちは私たちで生きて行かねば。それでもそれでも、偉大であると感じる。わたしはある。という。神様が、わたしはある。と旧約聖書で言っているのです。 人間は人間で生きていて、キリスト者でも考えが衝突したりする。私はキリスト者だが良い方向で何とか生きたい。未熟なものであるが、子供や若者のためになることがしたい。苦しんでいたり、哀しんでいればなおさらである。どこまでできるのか、何ができるのか。 文芸も才として持たせてもらったのだから、頑張りたい。気持ちが乗ると心地よい。 生活が乱れている、立て直したい。何かご褒美があるといい。ちゃんと今日もやりました、という。しかしながら、思い返すと気持ちもぎりぎりだが、世界に何かを投じる時にグッドサインが出るとちょう、かいかんである。ちょう、かいかん、と書いたが地味によし、と右手をぐー、に握る感じ。これも生きる快感、ご褒美であった。しかしながらしかしながら、表に出て、文筆を評価されるだけでも恐ろしく喜ばしく、お金は稼ぎたいのでもっとないかと思うが。表と裏の出来...

偉くなったもんだ。

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  茂木健一郎さんのパクリでよく説明すること。モンテッソーリの本にも似たことが書いてあった。 われわれが、普段感じている意識(いしき)の世界。意識にある情報をもって、様々を判断していると自分では感じている。あれがきれいだ、とかこの言葉を言うと効き目がありそうだ、とか。 意識の下には無意識(むいしき)の世界が広がっていて、われわれは普通それを感じ取ることはできない。 無意識の土壌(どじょう)つまり無意識は簡単に説明すれば、土のように考えておくとする。 そこに沢山の知識(ちしき)や情報を木の葉のように落としていく。 つまりは、学校で勉強をしたことを無意識に木の葉のように落としていく。 一度自分で自覚している意識に記憶として残して、そして忘れていくことが多い。 しかし、無意識はおぼえている。その人が今まで学んで自分でも考えたことは、そのあとのその人が様々な体験をする時の、判断、考えの材料、栄養になっている。 ぼけーっとして学ぶはずだったことを聞かずに、すり抜けている場合は多分無意識にも残っていないのではないかと思う。 その知識の木の葉、という栄養たちは無意識の知識に落ちて、発酵して栄養になっていく。学校で習った木や土の話とよく似ている。 AI も様々な情報をインターネットなどから収集して、ぐるぐる考えてAI の答えとして示してくれる。 人も大切な知識、情報は一度おぼえておく方がいいのだろう。無意識の土に落ちて、栄養になってそれを使って何かクリエイティブなことができるかもしれない。クリエイティブは新しい何かを産みだしたりすることね。 6歳から12歳の子供は、ものごとの因果関係を知りたいという並外れて強い要求が出てくる。 この時期はあらゆるものの種子が蒔かれるとき。子供の精神はよく肥えた田畑のように、文化へと芽を出す種子を受け入れる用意ができている。 この時期を逃さず興味の種子をできる限り沢山、蒔いておく。 わたしが、おもったこと。 子供が興味を持つ動画のセレクト。年代に合わせた方がいい。地球上の問題や、水の浄化処理の話、人と言う生き物について、自然について、科学はここまできている、という話。 それらの問題提起。なにが、あなたにとっては問題だと思いますか。 様々な人の同じ情報についての考え方を知る。難しくないやつ。 様々な職種がある。給料がそれなりにあれば生きていける...

改めて感じると静かな生活だな、と思う。

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  本当に忘れっぽいので、 色々あったのだが、次第に忘れてゆき、生活に視線を戻し保っている。 今ある結果として、人と関わらないことに負担を持たず穏やかでいて。 やって来た良いことを思い、 しかしながら、ちやほやされることの危険を経験している。 評価、もやはり嬉しいが、 下世話になるのだが、お金が欲しい。 旅に出たいのだ。 色々な目にあったなと思う。結局何かが始まってから酷い目に会って来たのだが、穏やかに暮らしていると忘れていくことが多い。少なくとも普段は、今日の夕食何にしようとかレシピを選び天気がいいから写真でも撮るかと歩き、最近では頻繁に屁をこくのをやめよう、とか結構まじめに考えていたりしている。やって来た良いことは何だろうな、とふと思い返そうとして、あれってどうなんだろうな、くらいに思い。しかし、水素を使う社会への促しはやっただろうと頭の中にある。とっくに考えられていたことなのだが、促しはした、と。ふふふ。 詐欺にあったことはまだショックが残っているが、4月中何もせず苦しんだり、急に元気になったりして今になり。今までの取り組むことにまだ戻り切れていない。夜遅くにも起きていて、そろそろ朝をちゃんと起きる生活にしたい。 英語の力が伸びず、気分転換にもなるから対面での英会話に行きたいが、今あるお金ではちょっとそれはできない。確か2017年の秋から始めた英語だ。一人で人と比べずにちまちまやって来たから、続いたかな。 ロト6 は外れて、100円宝くじの抽選を待っている。当たってくれ。涙。 写真を撮りながら40分くらいは歩くのだが、全身を使った運動をしたほうがよいかな。 体重が2kg増えてリバウンドしている。ヘルシーな料理を心がけたい。今日、多めにスーパーで食材を買ったから、明日は買いに行かない。 SONY の詩を詠んでギターを弾く音を録しているアプリが今年の10月でサービスを終了するらしい。備えのために録音をエクスポートしてください、とあってどないにするんやろ。疎いのよね、デジタルのことに。AI に聞けば解決しそうね。思い出の詩吟。 人恋しい時もある。旅に出るとそれが解消される、のはずだ。だから、旅に出たい。旅に出ずともいい、もやもやの解消の仕方あるだろうか。歩いて写真を撮る、は気持ちがいい、近くのコンビニでアイスを食べて新聞を読むのもいい、美味しい料理を食べるの...

縛りが緩くなってきたので、苦しみは少なくなってきたが開放的に暮らしたい。肩身せまく生きたくない。仕事はしたくない。ちょろっと、短い小説を書いてがぽがぽ稼ぎたい。正直な思い。しかし、もっと頑張れるが。

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  焦りはしていないが、このままだと嫌だなと思っている。 もっと自信を持って、 もっと大人らしく。 カメラを持って歩くと、 帽子を被った内に汗をかき、 季節が進んでいることを感じる。 もっと暑い日には、一杯飲みに行きたいね。 写真を撮って帰路についてた時に、後ろから小学生の男の子の声がして何か言われるのかな、と思っていたら自転車に乗ったすっごい小さい子で。自転車が凄い小さいから、アメリカのアニメのようなペダルの回転をしていて、ほっこりさせてもらった。お兄ちゃんと何処ぞに行くようだ。 平日に釣りに行ってみようかと考えている。ルアーではなく、サビキで。釣りと言うよりは漁のような感覚で。 30代くらいの時は、自意識として感じのいいお兄ちゃんと自分を思っていて、取り戻したいなー。優しい友達も欲しい。しかし、今は友達などそういうことも警戒してしまうな。 さてと、今日の夕飯はなんてことはないカレーだ。姉に持たせてもらったおつまみと、父にもらったエンドウ豆を刻んでスモークベーコンと玉ねぎのみじん切りを塩こしょうで炒めて、付け合わせにするかな。ビールをコンビニで買ってこよう。

それでも自由時間はありがたい。気ままにしている。

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  妄想の私は、 レシピを見ずとも美味しい料理が作れて。 子供を幾人か連れて、今釣れている様子のウルメイワシを沢山釣って、 極上のイワシハンバーグを作り、子供たちに振る舞っている。 現実の私は、 レシピを何度も見直し、あれが足りない、とか、 他の物で補えばいいのにせわせわしてる。 釣りにも行かず、行ったとしても釣れることは少ない。 余らせているしいたけパウダーをハンバーグに使うことを忘れ、 ハンバーグ自体、半年以上作っていない。 身体を覆う皮の粉が舞うのがなくなっている。 それはいいことであると生活を送っている。 補中益気湯がやっぱり効いたのかな。 私は大げさに思うことが多いのだが、補中益気湯を3か月使ってから身体のがざがざがかなりなくなったと感じている。腰の右側の辺りは少しがざがざがあるのだが、以前に比べると大分なくなっている。 ゴールデンウイークはだらだら過ごした。ずっと休日の私であるが、明日からはなんやかんや思ったことを行動したい。 20代中盤から30代前半はよく小説を読んでいて、そして今に至って思いつく綺麗だったり美しいと感じた書き手は誰か、と思い浮かべてみると小説家ではないのだが、星野道夫さんの文章は私は好きだし、そうだよな、と思っている。ただ、その初めに読んでいた小説を今読んでみるとどう思うのだろうなー、と思う。1か月に1冊は小説を読む、と考えていたこともすぐに中断していて。 この時間を、そこを過ごすのは無理をしない、ともかく継続できるように生活をするであり。1か月ちょっと前のそれなりにやっていた時を思い出すと休みながらやってはいたが、それでもうんざりしかけていたこともあるな、と思い。今から思うともっとやることを増やしたいと考えるのだが、無理だなと感じる。ともかくに続けることなのだ。 手書きの日記をつけていこうかしら、と考えたのだが字も汚いしと思ってやらないなー。 人のことをなにや、とか発信するのだが自分も書かないと感覚が分からなくなる、と思い年に4回は掌編小説を書こうと最近頭に浮かんでいる。これから何が自分の身に起きるのか、ほんとに分からんなと思いなのだが、できることをしていくしかないのだ。 寿司が食いたい、カメラのよっしゃなレンズが欲しい、旅がしたい、帝国ホテルのカレーが食べたい、デパ地下で色んなものを買いたい。

時間経つ。

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  詩を書こうと思ったが、出てこなかった。 お世話になった仕事場。 時間が経ったな。 夜にあまり眠れなかったので、今うつらうつらしている。また、夜に眠れなかったらいかんので、昼寝はがまんしよう。 すりおろしにんにくを、少量使った明太子パスタを作ってみたいと思っている。いずれ作ろう。 今日の昼食予定、ZENB ヌードルを使ったキャベツとしらすのボンゴレパスタ。 夕食、鶏肉の皮の間に、にんにくとバジルを入れ込んだ鶏肉のカリカリ焼き。 チェコ共和国のチェスネチュカというスープ。簡単そうなので作る。世界のスープの           ような本より。 活動量にしては、食べ過ぎかなと思いつつ今日の食事予定はこれに決まり。 生乳たっぷりソフトクリームが食べたいねー。牛さんによる脂肪率が高いやつを。 ネットで宝くじを買った。当たってくれー。 頑張って読む本は、旅に出る新幹線の中で読む予定だったが、恐ろしきアクシデントにより中止になった。普段にそれらを読む気力が今のところない。新幹線の中なら結構頑張れるのであって。今は鬱屈していないので旅などでリフレッシュすることでもないであるが。残念である。贅沢しすぎだったかもしれないがね。自分でちゃんとそれなりに稼いでからであったら、よしであったかな。でも、鬱屈した時は近場の日帰りくらいはするつもりだ。 どうなるんだろうな。どういう変化が起こるんだろうな。その始まりがあるとしたら、どんな始まりか想像がつかない。 良いことがあることを、希望する。 ぷぷぷ。 嬉しいことを想像した笑いです。放屁ではありません。 昼食を作ります。

当たれ。

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  コーヒーが好きだ。 特に、深く眠っていたのか。 起きてもぼさっと頭の中がしている時に、 豆を挽き、お湯を注ぎ、 淹れる。 口にする。 香りと、口当たり、 染みゆく。 今日もまた、と思い、 始めいく。 仕事をしていた時に、朝コーヒーを飲んだら大きいのが出る習慣ができている。と言った人がいて、いつからか、私もそれを意識するように念じるというかそうしていたら、その人ほど特に今は規則正しい生活ではないので、そうではないこともあるのだが、結構起きて一番のコーヒーを飲むと出ることが多い。特に最近そうだな、空きっ腹に入れているからかな、どうであろうか。 ちゃんとしたレシピ本、陳健一さんのレシピでとかで作ると十分美味しいのだな、と認識をする。デパートの中華料理屋さんでいつかに作った青椒肉絲を頼んでみて先日食べたのだが、そう思った。デパートの中華料理屋さんはさすがに本格的で、食材の切り方口当たりなどはそっちに軍配が上がるのだが、それでも結構レシピに忠実にするといけている、と感じた。しかし、デパートの清潔感、開けたガラスからの松山の景色、心に明るみが差してきていつかにまた行こう、と思っている。落ち込んだ時に。 近くにうどん屋さん、瓢月という店がある。支店なのだが、これも先日久しぶりに行ってみた。人気店でお昼時は混み込みなのだが、時間をずらして行くとスムーズに入れた。野菜天ざるうどんを頼み食す。その際、つゆに浸けるのにうどんが長く、ああ、そうだった、瓢月のうどんって、この長さだったと思った。そうとうに久しぶりだった。食して、瓢月美味いな、と思った。美味い。うどんを最初から茹でるので、注文してから時間がかかることも思い出した。そして、瓢月美味い。 お金を失ったのに、なんかお金を使う、と思うが敢えて使いたいという欲求がむらむらしている。とんでもないことは、しないが。 宝くじよ、当たれ。 評価を通じて、来たれ。

ネットのむこうで、色々見せてもらっている。バーチャルだが精神的距離が近いので普通よりは、中の強で見ることができているのではないか。

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  夕食何にするかな、と考えながら時間を余らせているのでブログを書くことにする。書くことがないかな、と思いつつでも書く。再読だな、と思い始めている。それにやるぞ、と思ってやっていないこと、やるぞ(写真の情報の見直し)。子供についての本、再読。そして、なるべく新しく本を買わない。読んでいない本も多い。 浪人時代に、すごく頭のいい人に数学の教科書を指さされて、教科書をちゃんと読んだら結構できるんだよ、と言われた。今、時々頭にあるのは良書は読むことに適した教科書、とそう考えていて。自分がそれで成長することができたからそう思うのだが、でも文章で勝負するなら本は読まないとな、とそれはそうだ。良かった、と恩師に読むことを勧められて自分もそこに反応して。 悪く言ってしまうことも多々、だが教会に通いキリストを信仰するようになって、神様を信じたことは文を書くことや聖書を読むこと、前向きな考え方をするようになり、何かに取り組むモチベーションになっていて。今でもそうだな。神様のことを悪く言うことはないが、悪く言ってしまうこと、そろそろやめた方がいいなと思っている。日曜日の礼拝で牧師さんのメッセージを聞くことは、習慣になっていてやめられない。やめるつもりもない。心が洗われて綺麗になる気持ち。そういう考え方があるのだ、と思ったり。ただ、ネットでの礼拝で、パソコンの前で思ったことをべらべら話しかけるのは、良くないかもな、と思い。やめてね、だったらやめようと思う。話を聞いて思ったことをべらべらと話しかけている。どういう風に伝わっているのだろうか。 ちょっと前になったように、精神的にやばめになることも時にあるが、この暮らしそんなに悪くないなと思っている。変わらなければいけないこともあるのだが、目標がありそれがさしせまって、リアルなものではないから適度に力を抜いてそれに取り組むことができている。それは、ぴりぴりせずマイペースで、できたらいいなー、の思いで生きているからではないか。お金をだまし取られたことは、かなり心に身体に堪えたがまだマイペースで生きられている。心も身体も調子のいい時は、悪くないなー、と思っている。もちろん、いけるんだよとちらちら、幸せの金が(違う鐘が!)鳴ったら、いきまっす、といくのですけど。 ゴールデンウイーク中はだらだらしようかな、ゴールデンウィークが明けたら少しずつが...

執着

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  美味しいものを食べたい。 この世の執着の一つで、 必要なことだと感じる。 生きること、と言っている。 どういう理由かは、まだ私には分からないが、 人は生きなさいと。 生命のどこかに、種が蒔かれている。 命を育むこと。 綺麗な夜だ、と歩いていたことを思い出し。 (生き物は生きなさい、だよな。) にゃんにゃんにゃん。 あ、ねこの。 にゃんにゃんー。 かいわにならない。どうしたの?(まじょのたっきゅうびん、のじじ、がふつうのねこの、なきごえだけになったとき、をおもって。) にゃんー。 ああ、どうしよう、わかりました、あとはふつうにわたしが、さいきん、おもっていることをつらね、ます。 にゃんにゃんにゃんー。 (僕なんて、という私だった。それが今も残っているのだけれど、できないよ、ではなく、できる、と心に込めると力が入ったのを昨日感じた。そのまま相変わらずのしょぼしょぼな、私だったのだが、その力が入った経験を大切にしよう、と思った。「できる」そこから、変わることもあるはずだ。 人に嫌われることが多い。問題は自分の中にある、と思う。変えないといけないこともあるのだが、集団の中にいなかったらそういう摩擦も少ない。 スマホが近く急に思ったことを書いてしまう。近すぎる。 しかし、スマホはライフラインで人との関係をバーチャルで感じさせてくれる。でも、失礼な感想はもう書かない方がいいだろう。まじめに。 残り一年と半年、どうやってこの生活をするか、と考える。 何ができるだろうか。 言っているだけのことが多い、子供についてのことを月に何回か、文献を通して自分はこうしたらいいんじゃないか、と思うことをまとめてブログに載せる。難しいな、しかし、だからやるべきかも知れない。言っているだけから、具体的に調べ考えそれを文字にする。出す。まじでとりくんだら、たいへんそー。やってみるか。できる。やってみる。まじのきもちで。精神的不安定さも落ち着いてきたし。もうちょっとだらだらしていたいが、やる。できる。続きますように。これはまじ。最初は月1くらいで。