さごし(さわらの幼魚)が売っていて、買いたかったが、工夫して料理をする気力がなかったので買わなかった。買えば良かったか、と何時もの情けない感じで思っている。

何々をやっている、と継続していることを口に出した後、突然それについて継続することが出来なくなる、ということが私のセオリーとしてあるようだ、と前々から思っている。口に出すことによって、一旦達成して満足してしまうからだろうか。今は持ち直してやり直すひつこいが余裕がある。本にさえも書いてあるのを見付けたことがあるが、最初に声を掛けて来た人とは仲良くなれない、というもっと酷いことを本では理由に書いていた気がするが、セオリーがあって、私は結構最初に声を掛けるタイプだったが、そういう風なことも思っていたのだが、私がそうなのでこれは自分に愛想を振りまくばかりではいけない、と思うようになった。が、しかしこれは私には根深いところがありそうで、色々と経験した今の所、自分の本能に任せながら、親切に出来そうなら出来る限りやりましょう、と、ある程度の覚悟を持って判断しながら、・・・と書こうと思ったが無理は出来ないな。心を通わすことが出来て、結構気持ちが合う、とかいい、とか感じて、今はそれを貰う、という感覚だな。感じて、気持ちがいいだけでもいいな。すべて、今は貰うだけにしておこう。それだけでもそれなりに幸せになる。
まだまだだが、大人になったなと思うこともある。そうじゃない時が酷すぎた。馬鹿なんだな、と当時を思う。母親にあなたは私に似ているから、苦労すると思う、と言われたことがあって。本当だな、と思っていた時期がある。しかし、これも若者にありうることなのだな、と今思う。大人は大人で形式ばっていなかったら、いいこともある。それも好きだ。とにかくやっぱり、貰うものが多かったから、良いことがしたいと思っている。出来るなら。出来る。どんな風になんのやろな。大切なそれについてはおねげえします、の私のパターンしか出てこない。

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