コーシー

また夕食前にコーヒーとスイーツだ。小さい頃だとお腹いっぱいになるから、やめなさい、と言われていると思う。多分。
以前ほど気になってはいないが、ごまかしモードになっている気がする。ここもまた、不安になる、が関係している。一つ思うことはそりゃそうだ、と思っている。おうりゃあ、と溜まっていることを、にくにくとブログに書いたら、すっきりして、その後不安になって生活に支障をきたすだろうと思う。内部的、外部的ともに。そんな気にもならないし。
時々、ふっと静かな気が現れて大切なことなのだろうけれど、そのまま気持ちを時間に流している。詰めてみると、めんどくさい、なのだろうと思う。そこを掘るというか、それに集中するというか、それをするのが。何度も書くが時間があるから、静かな気は現れる、か気付くか、ということなのだろう。
いいね、と言われたことがあって、その子はすごくいい子だったのだけれど、私は私のそれまでの出来事から俺、やってみるか、という気持ちになって。でも、今のことを考えると、うん、やってみる、という人たちが沢山いるだろうな、と思います。まったく、どうなるんだろうな。

私は父親を慕っている。これを書くと父親が見ていたら、やめい、と思うだろうが。父親の昔はかなり気が難しい方で、よく怒られて小さい頃は泣かされていた。だが、母親もそうだが言っていることが大人になってよく分かるようになった。それと、中学までだが、物理的な法則や動きのことを口頭で説明させられて、それじゃ分らん、と何度かやり直させられて、上手くいくと、今のは分かり易かったとOKが貰えたり。小学生の時はまだ習っていない数学の問題をさせられて、出来なかったら拳骨を大体頭に受けてた。そして、泣く。テレビの前でお酒を飲みながら、色々と説明してくれたり。今の結果から言えるが、先生が目の前にいた、とよく頭に浮かんでいる。挫折して、何年かは教育が悪かった、とずっと思っていて、甘えていた。仕事をして、何年かしてやっと自分のやっていることに誇りみたいな物が出来て、目的も出来た。ケアマネを取って、事業を起こそうとも考えていた。何年かを経験しての考えだったが、甘い考えで転がって、今に至る。書いて思うが、あれから随分と穏やかな時間を過ごしている。人と話すことも少ないが、段々と慣れもある。むしろ、それも楽か、とも思うこともある。嫌味に笑ってしまうのも嫌だし、若い子に本能的に反応するのも嫌だ。照れてしまったり、恥ずかしくなったり。
父親のことは自慢している、と思う人もいるかもしれないが、今は本当に父親に感謝をしている。それはそうだという人もいるだろう。うん、そうだよな。経験にも感謝だな。これも今があるから。その先はどうだろうな、でも信じている。

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