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6月, 2020の投稿を表示しています

海鮮北斗に行きたい。

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気持がのらになり始めている。生活自体ものらなのだが、それだけではなく、自分のやりたいことにまでのらが侵食し始めている。ほんの僅かだが。しかし、それは過去の自分のだめ人間だったことが今は幸いしていて、ここで折れたらすべてくらいに過去の自分に成り下がる、あの自分になる、と思っている。それは本当にくだらなく、私にとっては悲しいことだ。自分の思いをまた裏切ることになる。過去はそれを何度もやっていた。 書いてみると大袈裟だな、と思うが。私は大袈裟な人間だ。少し、その空気を思い出すと、大切なことだと思い返す。良かったな、まだ大丈夫そうだ。でも、大変なこともあるんだよね。自分なりの経験からすると、だけれど。 よく思われたい、とか、自分の思いを主張しやすい、とか、いちいち頭を抱えるが、いちいち悩む人間なんだなあ、といちいち思う。ええじゃないか、と深夜の海で叫んでみようか。ええんだよ、と。 いいサイクルで生活ができていないから、こうなるのだろうな。 詩を書いてみようか、と思ったがそんな気分でもないか。いや、書いてみよう。 こうして日々は過ぎる。 十分に生活を送っていて、 あの人の子どもはまた成長している。 私は木に留まっていて、谷を見ている。 便りは嬉しくて、そういう年なのだな。 幸せを分けてくれる、手紙に触れて、 命を抱えていることを感じる。 そう言ってくれた言葉が、いつでも思い起こされて、 だから、そうやって、火をくべるのだ。くべるぞ。

言い訳も多いけれど。

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雨の日で、写真を取りに行かず以前撮った写真。白黒じゃないバージョン。 いつまで、ブログを続けるのかな、と思いもするが。いつまでするんだろうな。パソコンの記録からまた始めた大きな理由は、写真を撮りたい、撮っておきたいなのだよな。素人なりにだんだん上手くなってきて、中断してまたたいしたことなくなってきたら、つまらないな、と思ってまた始めた。そうすると、私は写真だけでは物足りなくて、何か書きたくなる。写真だけでは私くらいの写真では私自身満足できない。 人に何か訴えたいか、というと今考えてみるとそうでもない。しかし、ブログを書いた後は何か反応がないか確かめているな。SNSということになるな。それが現状で駄目なことか、というと心の助けになっていて、ほどほどで済んでいるし今はまだ問題な程ではない。でもしかし、私がいらんことをして、うっ、となる危険もある。 人柄に助けられた~。 日々の自分のことをたまに書いておけばいいのかな、と寝っ転がりながら思った。自分のためにかなーと。 話変わって、昨日横になったが眠れなくて、テレビを付けると、吉岡秀人さんというお医者さんの対談が放送されていた。発展途上国で無償で医療活動をされている方だ。 Twitterを見てみるとその時の対談がアーカイブとして残されていた。 吉岡さん~いつも思うのは、人間なんて自分が幸せかどうかなんて分からないんですよ。僕らは外の世界に当てて自分を理解するしか、方法がないんですね。鏡を見て自分の顔を理解するように。 僕が誰かを助けますね。「ありがとう」とか笑顔を向けてくれる。感謝したり笑顔を向けてくれる、自分はそういう人間だと理解するんです。誰かを悲しませたら、その苦しい表情や悲しんでいる姿を見て、自分はそういう人間なんだと自分の中で追い込まれていくんですね。自分の人生というか、自己イメージを作っていくと思うんですね。 世の中に対して何かをすることは、実は自分の人生に対してやっている。世の中を喜ばせることって、自分のイメージを上げている作業でしかないんですよ。そのことが分かったんで。~ ~他人のための苦労って、自分の子供でも親のためでも長くは続かないんですよ。でも自分のための苦労だけは続くんですよね、人間って。どんな大変なことも、どんなしんどいことも、どんな嬉しいことも含めて、全部自分のため

元気。

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調子に乗って出しゃばりました。ごめんなさい。 思い込みや感情で失敗することが多いことに、やっと気づく最近です。 それでも快活な文章好きです。元気にらしく楽しく仕事してください。

嫌われませんように。我慢が出来なかった。

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マタマタデンレイ。ヒカルモノアリ。ブンショウノウツクシサノジュンブンガク。ブンショウノオモシロサデヒキコムタイシュウブンガク。ドチラカトイウトタイシュウブンガクヲメザシギミカトオモウ。 ジュンブンガクケイカナトイワレタモノカラ。ブンショウノシゼンサヲミニツケルコト。モリコンデモリコンデアットウスルサクヒンモアルガテキドナヒョウゲン。テキドナトコロデヒョウゲンヲカマス。 タイシュウブンガクナラトクニゲンダイノユウメイサッカノダイヒョウサクヲヨミマクル。ジュンブンガクニモテヲダシテモイイ。タイシュウブンガクモヒョウゲンヲブンセキ。ゲンダイサッカガマズハヨミヤスイ。ソレトダイヒョウサク。 ケッキョクテキドナジカンデヨンダライイ。シュウチュウデキルクライノジカン。 アトシトショウセツハチガウブブンモアル。ショウセツハトクニサイショハヨミテニワカリヤスク。フンイキヲカンジサセテナントナクワカラセルモアルガ。ソレハヨクカンガエテ。ドクシャヲコンランサセテイルカトカキヲツケテ。ジブンノシテンカラキャッカンテキナシテンニナルニハ。ヤハリブンショウヲネカセテジカンヲオイテドクシャニナッタツモリデジブンノブンショウヲヨム。タイシュウブンガクハトクニ。 ジブンノブンショウダカラアエテワカルネ。トイウヒョウゲンダッタトオモウ。ソレハヨカッタ。コンゴヲカンガエテ。ドクシャヲコンランサセナイ。モアタマノドコカニオイテオイテ。コンゴノタメ。デモブンゴウモアエテワカルネ。トイウヒョウゲンモシテイルケレド。 オモシロカッタ。ドウイウトコロヲメザシテイルノカ。コンゴノコトハワカラナイケレド。ネットセカイノカキテニナルノダロウカ。モットオモッテイタコトガアッタハズダケレド。ワスレタ。ハッソウトカモオモシロソウネ。 ナニヨリワガミチヲイクノ。ヒトダカラ。ソレガタイセツナノダロネ。 カイタコトハワタシモ。デキテイナイコトガアル。キヲツケナガラ。ダンダンススム。 ソレニコノカギリデハナイヨ。

今度は全巻ちゃんと読もう。

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父親に坂の上の雲全巻を貸してもらっている。坂の上の雲は恩師に出会って、勧められて漫画を貸してもらってから、実家にあった小説を読み始めた記憶がある。確か、3巻くらいで読まなくなったはずだ。今になって読み始めると、その情報量の多さにまあ、びびる。相変わらず、2巻の途中で頓挫していたが、今回は読むぞう、と思っている。正岡子規について、記述されているところがまだ初めだが面白い。弟子の高浜虚子をすでに弟子にしていた初めも、子規が亡くなって虚子が年を経てから、添削されたところを見ると、子規が書いた物は幼稚だったという情報。それから、子規はめきめきと力を付けるのだろうが。 それと、子規が私個人としては、おたくだったのだな、と感じる箇所があった。俳句おたく、という現代の感じ方。 松尾芭蕉の句。 五月雨をあつめて早し最上川(もがみがわ) 私個人としては流麗で美しさを伴う句だと感じる。 ここで子規はいわば巧み過ぎておもしろくない、と感じている。巧み過ぎて臭味と感じるまでに子規の句境は熟し始めている、と著者。 与謝野蕪村(与謝蕪村ですね)の句。 五月雨や大河を前に家二軒 というほうがはるかに絵画的実感があるうえに、刻々増水してゆく大河という自然の威力をことさらに威力めかしくうたうことをせず、ほんのひと筆のあわい墨絵の情景にしてしまい、しかもその家二軒の心もとなさをそこはかとなく出している、と子規。 この二句を並べるなら蕪村がまさる、と。子規。 言われたらそうか、とも思うが、私は芭蕉の句が洗練されている、と感じている。そこはやはり、おたくの世界、と感じていて、蕪村の句は何というか、もってりしているというか。そのまま、をぽん、と差し出した、と私は感じている。あえて、ということか。そこを感じ取る子規。 最近で見知ったことを感じたことを言うなら。結局、糸井重里さんになるのだよな。あ、下手でもいいんだ、と思った。失礼になるかもしれないけれど。ここも、あえて、ということだろうな。酔っているから何処をどう、と調べるのが面倒だけれど、小学生高学年の子供が結構いい文章を書く子が表現しそうな、子供っぽい表現をすることがよくあるのだよな。絶対にあえて、なのは分かっているけれど。それは、何時かに本当に感じたことだな。 ただ、私は今は松尾芭蕉のような句が綺麗に感じるな。子規はお

伝命使(ⅲ)

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あの子の質はこれからだが、憐れむ者にしたくない。ネイルズの影響を感じる。質に響いたのが始まりだが、あの子は変われる。生きた心を唄う人にしたい。あの女の子はどうしている。 高校受験に失敗して、僕は私立の高校に進学していた。ギターはそれでも買ってもらえて、よく練習をした。コードのことが分からなくて、よく暗い音を鳴らしていた。それは気持ち良くて、そんな時僕はつまらない大人を蔑んで(さげすんで)歌詞を唄い始めていた。 高校では音楽の時間があって、僕はクラシックギターを選んでその時間を過ごした。暗い音を鳴らしていると、音楽の先生が、 「ここと、ここ」 と教えてくれて、綺麗な音が響いた。 何でも出来そうな気がして、音楽の先生は、 「どっちもあるんだよ」 と教えてくれた。 何を教えてくれたか、心が止まった様に分からなかったが、先生は、 「あたしはね」 と言った。 大きな存在が動いていたことを知る。私の名前は魂、今は全てがそろいの名前。あの子を持ち去りたい。光のような小さな幼子。私に教えてくれた。でも、私はもう魂。忘れて行く。 どうか唄って、思い出すことが出来るから。少しの時間抱きしめた私の子。 いい加減に引き受けた、この役目を終えたい。 悪魔は相変わらず喜んでいて、それでも姿は現さない。 悪魔そのものかも知れない、と思っても、 命が消えてあの子を求める。 オレにはそれ位しか唄えない。 さあ、行ってくれ。                         「ゴースト」 僕は大学生になっていて、自分が何者なのかなどと思う様になってしまっていた。それを確かめるために議論することもなく、そんなことは恥ずかしいことだと当たり前に思っていた。哲学のことも少し興味はあったが、それに手を出すことも恥ずかしかった。そんな風にふらふらと学生の時間をさまよっていた。命が弱いぞ、と父親に言われて、鏡を見ると中学生の時の様に顔が青白かった。 この授業を受けた方がいい、と教授が講義で言っていて、それは哲学の講義だった。 私は途中から、その講義に無断で出席していて、講師は老人だった。癌(がん)を患ったそうで、頭髪がなくなっていた。その声が震えていて、私は涙を流していた。それは震えていた私の魂だった。 伝えたい、と私は思った。 その場で頭に