海鮮北斗に行きたい。
気持がのらになり始めている。生活自体ものらなのだが、それだけではなく、自分のやりたいことにまでのらが侵食し始めている。ほんの僅かだが。しかし、それは過去の自分のだめ人間だったことが今は幸いしていて、ここで折れたらすべてくらいに過去の自分に成り下がる、あの自分になる、と思っている。それは本当にくだらなく、私にとっては悲しいことだ。自分の思いをまた裏切ることになる。過去はそれを何度もやっていた。 書いてみると大袈裟だな、と思うが。私は大袈裟な人間だ。少し、その空気を思い出すと、大切なことだと思い返す。良かったな、まだ大丈夫そうだ。でも、大変なこともあるんだよね。自分なりの経験からすると、だけれど。 よく思われたい、とか、自分の思いを主張しやすい、とか、いちいち頭を抱えるが、いちいち悩む人間なんだなあ、といちいち思う。ええじゃないか、と深夜の海で叫んでみようか。ええんだよ、と。 いいサイクルで生活ができていないから、こうなるのだろうな。 詩を書いてみようか、と思ったがそんな気分でもないか。いや、書いてみよう。 こうして日々は過ぎる。 十分に生活を送っていて、 あの人の子どもはまた成長している。 私は木に留まっていて、谷を見ている。 便りは嬉しくて、そういう年なのだな。 幸せを分けてくれる、手紙に触れて、 命を抱えていることを感じる。 そう言ってくれた言葉が、いつでも思い起こされて、 だから、そうやって、火をくべるのだ。くべるぞ。