言い訳も多いけれど。

雨の日で、写真を取りに行かず以前撮った写真。白黒じゃないバージョン。
いつまで、ブログを続けるのかな、と思いもするが。いつまでするんだろうな。パソコンの記録からまた始めた大きな理由は、写真を撮りたい、撮っておきたいなのだよな。素人なりにだんだん上手くなってきて、中断してまたたいしたことなくなってきたら、つまらないな、と思ってまた始めた。そうすると、私は写真だけでは物足りなくて、何か書きたくなる。写真だけでは私くらいの写真では私自身満足できない。
人に何か訴えたいか、というと今考えてみるとそうでもない。しかし、ブログを書いた後は何か反応がないか確かめているな。SNSということになるな。それが現状で駄目なことか、というと心の助けになっていて、ほどほどで済んでいるし今はまだ問題な程ではない。でもしかし、私がいらんことをして、うっ、となる危険もある。
人柄に助けられた~。
日々の自分のことをたまに書いておけばいいのかな、と寝っ転がりながら思った。自分のためにかなーと。
話変わって、昨日横になったが眠れなくて、テレビを付けると、吉岡秀人さんというお医者さんの対談が放送されていた。発展途上国で無償で医療活動をされている方だ。
Twitterを見てみるとその時の対談がアーカイブとして残されていた。

吉岡さん~いつも思うのは、人間なんて自分が幸せかどうかなんて分からないんですよ。僕らは外の世界に当てて自分を理解するしか、方法がないんですね。鏡を見て自分の顔を理解するように。

僕が誰かを助けますね。「ありがとう」とか笑顔を向けてくれる。感謝したり笑顔を向けてくれる、自分はそういう人間だと理解するんです。誰かを悲しませたら、その苦しい表情や悲しんでいる姿を見て、自分はそういう人間なんだと自分の中で追い込まれていくんですね。自分の人生というか、自己イメージを作っていくと思うんですね。

世の中に対して何かをすることは、実は自分の人生に対してやっている。世の中を喜ばせることって、自分のイメージを上げている作業でしかないんですよ。そのことが分かったんで。~

~他人のための苦労って、自分の子供でも親のためでも長くは続かないんですよ。でも自分のための苦労だけは続くんですよね、人間って。どんな大変なことも、どんなしんどいことも、どんな嬉しいことも含めて、全部自分のためにやっているということを理解した時に、人生というものが劇的に変わっていくんだと思うんですよ。



一部を抜いた物なので吉岡さんが他人のために尽くしていることはその行動で明らかなのだが、究極的に考えると、ということなのだろうな。
私は一つの答えを貰った、と思った。私は偽善者、といつか陰で言われていた、と思うことがあるのだが。年を重ねていく過程で、確かにな、と思うことが幾つも自分からこぼれ落ちてきた経験がある。しかし、経験でまた年をそうして取って行くことで、ああ、そうなんだ、と理解して。気をつけよ、と思うことくらいは出来るようになったかなー。
自分のためにやっている、と思うことで良い所に落ち着きそうだな、と思えるかな。
あとは現実の世界であせって判断してしまうことや、緊張からそれが出ることを、すっと、イエスキリストの御名で祈って落ち着いて判断ができるようになりたいな。祈っていなかったのだよな、そういう風に今まで。

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