ラザニア


掃除をする時、まず耳にかけるタイプのウォークマンを使用して、音楽を聴きながら皿洗いやなんやをしている。そうやって音楽を聴きながらしていると、ストレスが少なくがっつり掃除が出来たりする。やる気がなくてもウォークマンを使用して音楽を聴いていると、よっしゃあ、と動けたりする。せっかく詩人と言ってもらったことがあるのに詩人ぽくない、表現がよく頭に浮かぶのだが、そうやってウォークマンを使用することを私はドーピング、とほぼ名付けている。昔の日本兵が名付けそうだな、と思うことがある。
そうやって、掃除をしていると手に持つ物がなくて部屋を移動する時、気分が乗って、上記の絵の様な踊りをすることが多くなってきている。もっと上手く絵で感じを出せたらよかったが出来なかった。また、失礼だがゲイの人っぽい動きの踊り。イメージとして出てくるのは、映画の「羊たちの沈黙」の猟奇的犯人が、殺害した女性達の皮を縫ってそれを着て、ふんふんふーん、と機嫌よく踊る場面。踊りは違うがイメージとしてはあんな感じの気持ちが出ている。うけを狙っている訳ではなくて本当の気持ちの感じ。こういう感じも嫌われることに作用することがある。
それで、いかんな、と思ったのは実家でもそれが出てしまったことなのだな。圧をかけられた時に、緊張をごまかすためにふんふんふーん、と踊りながら歩いてしまった。あ、癖になっている、と思った。実家ならいいが、赤の他人の前で出た場合、まずい、と最近思っている。踊りも最近の物なのだよな。
大阪文学学校に1年通信を受けていた時、私は純文学がどういう物なのかも分かっていなかった。作品に先生がコメントを付けてくれるのだが、純文学の説明を少ししてくれて、(私の書く物は)純文学の物だと思いますよ、と書いてくれていた。文に切れがあるとか、美しいとかの純文学。うれしかったなあ。
ネットを見ていると(観る、と見るの使い方で最近混乱している。どっちでもいいが、鑑賞するようなのは観る、か。ネットとかは眺める感じだから、見る、か。)本を読む人は本当によく読む。私も少しは読めるようになったが、まだまだ。読めた方がいいな、情報を吸収できるから。無意識に落として栄養になる筈だから。
最近は特にずっとは同じ本を読めなくて、何冊かある本を少しずつそれぞれ読み進めている。本当に少しずつだな。
やる気がない時は本当にやる気がない。最近はやる気がまた出てきているな。
ラザニアが作りたい、と前から思っていて、でも皮から作るのは面倒だと思っていたらA-PRICEにラザニアの皮が置いてあったので、箱に書いてある通りの作り方で作ったら美味しかったな。

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