苦しい時はだいたいドライブ

車で出かけて、海沿いを走らせて、
風があるなら受け止めて、
色々思って、部屋に戻ると、生活がまた積み重ねられている。
ため息を吐いて、またやり直す。
洗濯機を廻して、生きていると確かめる。
これが生活だったのか。
別に悪くはないけれど。何度もそうやり直して、美味いもの食っとけばいいか、
と思えば腹が出て。
こうして何かを書いて、自分を助けている。
聖霊が心の内を震わせている。と感じるときもある。
理屈ではない。感じている。
深い場所でまるではっきり掴むことの出来ないこと。
眠っているのかな、と。自分は苦しんでいて、すべて手放して、忘れている。
苦しみの中でその時、気付かないのだが、語っているのか。
そうだとしたら、信じて良い。なぜ、はっきり信じていないのだろう。
いや、どこかで信じている。塗り重ねられていたのだ。経験を。

(コカ・コーラゼロはまねではないです。自分の身体の流れに任したら、だいたい影響されているのですよね。ジュブナイル小説っぽいのを書いた時も、自分の思っていた事と、世の中で起きていたことがリンクされていて、でもまあいいか、とそのまま書いたりして、どこかでやはり影響されている、と考えた方がいい。)

聖霊は特別な自分のものではなくて、ある人が一人一人に聖霊を感じる。と言っていて、静かな気持ちになった時に私も感じた。命にくっついているような、そこから何かがいい意味で漂っているような。
ダメだったことをまたすることは、一応常識的に昔は生きていたので、ダメだろうってどうしても思う。常識と組織が働く非常識。そうやって生きて、いい加減にして欲しい。まあ、そこまでは今は少ししか思っていない。よーし、明日はアイビーのゴールデンカレー食べよー、猫を見てこよー。今日も見たけれど。

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