夜が明けている。


限られる、私の鈍い心が、後になって

そうか、どうなのかと思い。

いつまでも心は鈍い。

繊細に動く心を、機会に感じないらしい。

感じない。

後でどうなのか、と思うくらいで、時に身を任せ、

その水が流れる行くことを、

流れる、と見届けている。



そうかなあ、ということを目に入って、あとでそうかなあ、と思うことがありますね。
いつも大体あとからそれに気付くか思い浮かんでそうかなあ、と思い煩うほどではないにしても、思いますね。色んなことがあって、当たり前のように忘れて行って、日々を暮らして、私の考えていることをどうやって、知っているの? と思って。寝ている間に何やらして、聞いている。か、一番恐ろしいのがテレパシー的なこと。びんびんに放っている。若しくは自分で気付かず思っていることを、口で話している。2重人格。
そして、過去を思い返す。馬鹿だったなあ、と思う。抜けていた穴を埋めて行って馬鹿がましになっているが、色々な機会が少ないから、埋められていない馬鹿なところが気付かずにいられるのかもと思う。多分、人と話すと鈍い私の頭の回転がまず、目立って次に知識の抜けが目立つのだろうな。特に一般常識。しかして、時間がずっとあったことが幸いして、インターネットもあることから、埋められていると感じる。ヒマなのだよな。そんなことを思い返して、常識人としてましになっている。人としては短所があったり、長所があったり。想像力が欠如していたり。そんなところだな。

































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