生活の詩第三 生活をとりもどすために。料理篇
タイムを効かせすぎた、と思ったソースでも、
時間が経てば落ち着くようだ。
もじもじしている今の私は、心の中のわたしは納得がいかないようで、でも、
時間が経ったので、考え方にも納得がいく。のだろうか。
世の中の人には、好きにやって子どものように、
と楽しくやっている。とある世界もあるが、
それも結局、香辛料は馴染んで落ち着いている。とそうだろうと思う。
例外の例外はあるかもと、思ってみたが、
なるべく関わりたくない。
カレーの基本のスパイスにイメージして、思うスパイスを足してみると、
悪くもないことに最近気付いた。
基本があっても、カレーの中には混とんとした世界が広がっている、のだろう。
今の私は人生の混沌に潜ることを嫌う。
別に完成されたカレー粉はいくつかあるから、
それを利用して、利用するけれど、
ときどき、イメージするくらいはその味わいは忘れないでおこうと、
カルダモンがさわやかだから、パウダーをささっと暑いうちは入れてみよう、
と思っている。
昨日はカレーで、今日は冷蔵庫にあるラザニアのソースを使ってラザニアを焼いた。中々便利だな、と思った。作り置きしていれば、時間をかけないでもいいなと。買ってあるラザニアの皮(麺)は茹でないタイプのもので、20分ミルフィーユ状にソースを重ねた間に皮も挟んで水分を馴染ませるわけだが、冷蔵庫で固まり気味なソースなので皮をさっと水にくぐらせて、40分以上常温で置きましたね。焼いた後はそれでも端の方は皮がぱりっとした所もありました。それも美味しかったと思っていますが。
生活をする自分のために詩を書いて気持ちに決着というか確認を落とし込んでいます。見て貰っていることも意識してはいます。さすがに。詩は自由、ということでいいですね。
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