北海道グラタンコロッケ

眠りすぎて、少しのことで落ち込むのだな、と。
ファミマで北海道グラタンコロッケをソースを垂らして食べていると、
視界が新たに開けたように幸せがやってきて、
お手軽だが、確かに幸せなのだと思っている。
あの、人が混み合った世界を抜けて、怒りや憎しみが癒えて、
また、時々、波立って、
それがまた私に生活を取り戻して、与えている。
道通りに私を見る小さな女の子に、
マスクを外して笑いかけて、すこし、びっくりした顔が好きで、
今日そんなことがあった。
日々が結局幸せなのだろうか、と。
そして、また日々が過ぎ行き、
大切なことを置き去りにしている。
未だにどんな人だったかだけ、心に残っていて、
もう終わっていることなのだろうか。

文章家や詩人としては渇いていたい、という気持ちがある。力があって、飛び始めている人を見ていたら、いいな、と思う。嫉妬までとはいかずとも、羨ましい気持ちはある。
そうだな、結局そうやって私も見てみたいのだ、世界をな。自由は好きだけれどな。
Googleカレンダーに英語とギター、ウォーキングをしたら、印をつけるようにしている。英語もギターも未だ30分ずつだし、練習していない日も結構あるが、どこか身に付いている。ギターにそれを感じる。自分なりにだが。英語もやめない。続けることの大切さを感じてる。

コメント

このブログの人気の投稿

こころの呼吸。

深夜のゲームセンター、昼間なら行けるか。

前向きにいきたいね。