現実は眠りに甘んじて(甘えている)。しっかりしろ、自分。

 

知った世界で旅に出ている。
知らないことが転がっていて、
他人を傷つけていて、私も自身 傷つきもしている。
昔、小さい頃、お前本当か、と言われたように、
忘れていたことだが、私が傷つけば、他人の痛みが
分かる、と。記憶の限り。
果たしてこれ以上そうだろうか。良かったこともあった、のだが。
優しいという人が、見渡すと
いるように見えて、幻覚だろうか。
どうやら、優しい人が生きているようだ。
これは本当のことか。
ただ、鐘が。
祝福の鐘が鳴っている。
優しさの海に浮かぶと、そう、人々が鳴らしている。
人々が互いに祝福を鳴らしている。
おのおのを優しくそっと抱きしめていることをいつの間にか見渡して、
懐かしい風が吹いている。他人を気遣っているようなのだ。
わたしは多分、幻想の中に浮かんで目を瞑って聴いている。
知らせだとも知って。幻想でいたいのだ。


愛するという大ごとのような、自分でそれを言うなら偉そうに聞こえるような、ことですが。私はいつも貰っているのですが、小鳥がいつまでも貰いたがるように、口を開けていると、いつまでも乾いているのですが、奥にある本能の様なことが愛するということを、と書こうとしてまだ分からないですね。普通に卑怯なこともして生きていた人間だからだろうか。ただ、感情的にならずとも、優しさに触れると、思い出すのですよね。誰が何を言うとしても、自分に不備があるとしても、愛することをしてみたいのですよね。普段からべたべた、とかいうのではなくて。ただ、優しく抱きしめてみたいのですよね。実際に抱きしめなくても。今の感情では。感情的には。

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