貧むす リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 3月 01, 2021 夜廻り猫の貧むすを作ってみた。めんつゆの量が少ないかな、と思ったけれど揚げ玉のところに舌があたると味がしてやさしい味で、かなり好き。炊き立てのご飯なのがまたいい。三つ葉の香りもいいね。揚げ玉に先にめんつゆをかけておくのがいいのだろな。ご飯にべっちょりめんつゆではなくて。上品にできた。美味しい。めんつゆはヤマキね。α6300のレンズカバーをどこかで落としたのか見当たらない。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
ひな祭りの日。 - 3月 03, 2025 ビールを1杯飲んでいる。教会の方が亡くなった。面白い人で、私が以前の教会から変わって通い始めた時に、この教会には結婚できるような人はもういないで、ふぇふぇふぇ、と食事の時に言ってくれたおばあさんで、私のその人のイメージはそれが殆どと言っていい。遺影もピースサインの笑顔の写真で、私もピースサインで鏡に向かってテンションを上げることが特に最近多い。ピースサインって、平和のサインだよ。スマホで調べると、ラブアンドピースの意味もあったり。葬儀を終えて帰ってから、着替えをして車でドライブする中で、キリスト者は世の中には酷いことやなぜだろうか、と思うことも沢山あるけれど、それでもラブ、愛を信じることを手離さない人だ、と考えだして。現実世界は人として対処しないといけないことが多くあるけれど、何処かに善意は持っているのがキリスト者、最後の善意、愛を持っているのだ、と私も自信はないけれどそう車の中で思った。 葬儀の帰りにある方を車で自宅まで送ったが、今私は教会を休会中だがそれまでに、今年亡くなったおじいさんとその方と一緒に教会の帰りによく食事をしていて、今日の帰りその方と同じように食事をした。私が遠慮して少なめの品数だったからだろう、固くて食べれん、と言って全然固くない天ぷらが乗った皿を下さった。多分、だが気を使わせたなと思ったので、もしまた機会があったら、多めに皿を取ろう、と思った。 教会のことは、インターネットから向き合え、とか戻れ、というメッセージをもらう。まあ、何が自分を今思い留めているかというと、情けないが恐いのだよな。傷付くとか、やっていく精神的体力がないとか。自分は今までが示しているように、そのつもりはないが、しかし人に失礼な態度を取ることがある。失礼なことだな、と思いながらどこか馬鹿にしたような態度を取ってしまったり。そんなに器用ではない。そして問題をクリアする体力がない。どうなるんだろうな、と自分のことながら思う。大袈裟だが生きていかんとな、と思うな。自分とは関係なくとも、皆幸せになるのがいい、というのは本当だな。 続きを読む
ほんまに、よいお年を。 - 12月 30, 2024 さて、のらりくらりしている。明日ものらりしてブログを書く時間がないかもと思う。今、時間もあることだし書いておこう、と。自分の振り返りをしておこう。今年はどうだったか。基本、のらだったがそんなに悪くはなかった、という今の思い。よく眠った。半年教会に通って、半年教会に通うのをやめた。24歳にバプテスマ、洗礼を受けて教会に通わない、という日はなかった。どうなることか、と思ったがネットで礼拝を守っていることもあり、おかしな方向には行かなかった。苦しくなったり、何か変な癖が出たり。そういうことはなかった。25歳におかしな体験をして、変な癖とかが出て。変な自分と共にあった。という部分がある。40歳をこえて、子供にびくっと意識してしまう恐ろしい体験をし、もちろん最終の変、にまではありがたくいかなかったが、傷付き。若い頃は変な自分が好きだったが、本物の変な人になると結構傷付く。不思議な体験をある頃からよくしていて、そうすると変な癖が出る。自分は弱い人間だな、と感じる。そして、私は変な人なのだな、と今を感じる。もうすでに変な人になってしまっているのだ。抗い様のない経験により。多分、もとの私自身変な人の素質を持っていた。 今年の私は、それなりにやり過ごしたかな、という私であったな。今書いていて何があったかあんまり思い出せないな。そんなんでも一年を過ごせるんだな。頑張れる気持ちはまだある。英語はさぼっていて、単語や文脈や分らなくなるが、何を発音したか以前より聞き取れている。しかし、聞き取れた言葉の意味がなんだったっけとなって、そこからなし崩しに意味が分からなくなる。ギターは12月は随分さぼっている。暖かい日に浜辺でギターを習慣的につまりなるべくよく弾きに行こうと考えている。 自分のことだけ良ければ、と言われるのだが、でもまず自分を大切にと考える。何でここにいるんやろ、とか考えていた時期もあるし、結構嫌な思いをしている。その一方で楽しい気持ちに触れさせてももらったが。立場とか集団向きではないのかな、とかも考える。しかし、そういうことを諦めたら生きて行けんぞ、と思ったが、生きて行けるな、と思った。 今年前半は、聖書のことを引き続き学んだな。色々知った。世の中にある色々な出来事から、酷い出来事はなぜそのままなのか、とか神様はなぜ、とか思うが。聖書の時代からそういうことがあって。なぜ... 続きを読む
ライフ - 6月 01, 2025 わたしの命の力は本当は強いことを、ほのかに感じる。 生活をする力は、弱まることもあるが、 なんというか、馬鹿なところがあって。 深刻な闇の底に陥ることを、言うなれば天然の気付かなさで、 繊細な揺れている穂先が見えずに、 眼を瞑り、眠くなり。 気分は悪くなっていても、陥らない。 そして、本当に寝入るのだ。 草々。 陥る、を、落ち入ると最初思っていて、パソコンで打つと変換で陥ると一択で出て。落ち入るでもいいのだと、スマホで確認しました。微妙なニュアンスの違いはあるのでしょうが、突っ込んで調べていません。もともと、世間の常識的なことを知らず生きていた人間なので、ならば今、大分ましになったなと思っています。言葉の意味やニュアンスは文章を書く人間だと思っているので、突っ込まないとなと自分の脳内に声を掛けています。沢山良い情報があるのに、拒否反応のように避ける癖がつき始めています。休んだり楽しんだりしながら、まだまだ伸ばせることは伸ばして行きたい。文章のことを人に伝える技術を蓄える、ということで自分の方角、自分の個性を持ってそれができるようにゆっくりと準備をしたい。様々なことがおじゃんになっても、その技術はちゃんと用意できていれば私に備わっているわけなので、やって、準備しておいて損はない。基本に帰って、ある程度のことが自分が食べて行くことができれば、それでもいい。時に文章のことを伝え輝くのを見れば、それは何ともうれしい。綺麗ごとはなしにしても、たまに旅行やそれくらいに食べていくことができれば、自分で、やっぱり文章でだな、文章で稼いでまあまあの暮らしができればそれでもいい。文章のことを伝えながら。という今の心境である。それで幸せであろうし。しかし、世界を見た時に欲望が開花するかもしれない。変な欲望はもうめんどいので、それはそれ。世界の旅行に目覚めちゃったりして。旅が好きである。しかしはて、優しき子供に指のけがを純粋に心配されたことがある。何という純真さか、と感動した。その気持ちを絶対に離したくない。どんなに形を変えようとも、何処かで触れていたい。きらきらしてもらいたい。ああ、その優しさたるや、あの時の子供。ずっと優しくいてほしい。世は厳しかれど。 日々を生きている。生活をして、色々して。 続きを読む
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