コーヒーはインスタントをお湯で溶かして、氷を入れたコップに注いでいる。そろそろ豆を買いたい。Apeでコーヒーを飲むので飲み過ぎになる。

 

今日は月と日を逆にすると私の誕生日になる。
いらんことかもと思いながら、台所の開きから缶詰の黄桃を出して、SPUMの缶が2つもあることを知っているが確認する。SPUMおにぎりにしてみたい、と思っていたがスマホで検索してみるとカロリーがかなり高いことを知って、躊躇している。別に時々ならいいのに、もじもじしている。
メグミルクの写真の男の方は城島茂さんだ。
あとは愛媛にいて柑橘にそれほどの興味がなかった私だが、最近は色々な料理に使用してみたい、と思うようになっている。夏蜜柑とかだったら、砂糖につけて夏蜜柑スカッシュにとか、サラダにとか。フレンチ的な柑橘を使用した料理とか。まだ、妄想の段階に留まっている。薄皮を剥くのが面倒なのよね。手にべちゃべちゃつくし。さっと水で洗って手を拭けばいいことなのだけど。何か、あの、柑橘独特の香りというか、味酸味とか、活かしてみたいと思うようになっている。思うだけになるかもだな、これは。
今日の夕飯はたこ焼きの予定だ。たこはなるべくなら、地元のものがあれば、それを買うつもりだ。少なくとも日本で獲れたものを。一人でつつきながら丸める。
英語はよく使われる単語を使った会話なら、教科書的な発音であるなら、単語単語を区別して聞き取れるようになり始めている。ネイティブの若者のようなしゃらしゃら、とした会話になると、難しいな。2017年の秋くらいからだっけか、30分の英語の勉強を始めたのは。今年の秋で4年になるか。その間、まったくやっていない期間もあったが、何とか続けて、今、少しの変化を自分としては感じている。基本とろいが遅れて力が付いて来る。これは他のことでも感じたことがあって、それらのことはやめてしまって、もったいないけれど終わりか、と思っていた。もう大人だから違うかもだが、一人でいることは続ける要因にもなっているのかも。
ちなみに私にとっての聞く、と聴くの使い分けは本当の昔は、聞くは普段耳にしていたことなど、日常のこと。聴くは音楽を聴く時。そして、クリスチャンになってからは、クリスチャン冊子を見て、神様の言葉を聴く時の表現として聴くを使っているのを見て、何か敬意を持った時に聴くを使用をし始めていたが。最近はわざとらしくもあるかな、と聞く、と聴くを感覚的にその場で使用を決めている。聞く、が敬意を持っていたりする時もある。その場その場。見る、観るもそういう方向で行こうとしている。本当のプロになったとしたら、どうなるんだろう。今、もじもじしてるアマの時代も結構好きだが。このままでは嫌だ。2,3年はもつだろうけど。

一年程経って、冷蔵庫の中に保存していたレモンシロップを使い切る。
喉の調子が悪いときに、
はちみつとしょうがが効いているような気がして、そして、十分に美味しかった。
一年間、使い道に迷っていたのだが、
炭酸で割り、氷を入れると、それだけで、
喉だけではなく、気持ちも満たされて。
それだけで良かったのだ。
何を思いとどまっていたのだろうと。
よくあるのだ。
立派に作ったものや、貰ったものを、恐れ多いのか、
使うことを躊躇してしまう。使えばいいのだ。
恐れ敬ってとどまることなどない。
使えば満たされ、本来のよろこびを得ることができる。
そして、次のよろこびがまたやってくるのだ。
そういう時代、場所に生きている限り。楽しむのだ。

(詩とは言えないかもしれない。自分の癖というか、もったいない、といいものを使用せず結局だめにもしてしまうことがそれなりにあるので、そういうことを書いてみた。レモンシロップはみんなの今日の料理にレシピがあります。私は今日の料理をオンタイムで観てメモをしていました。あとは買った物を使い切るを意識するようにし始めています。沢山のお茶パック、とか。マスキングテープとか。いいものも、どんどん使えばよいのですね。買ったとか、貰ったなら。)
私はコウ 静子さんのレモンシロップを作りました。

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前向きにいきたいね。