秋を過ごす。
日々を哀しみを、
それはその哀しみは、
どちらかというと、慈しみに近く。
なぜ哀しみと思うのか、思うに行きつくか。
生きていくこと。
思春期を迎えて、過ぎて、
そうか人生を多分、だいたい半分ほどは生きて、
余裕があるのだ。
それを思うことに、思い返すことに、
懐かしくて、少し苦しくなって、
父親が浜辺に子どもを連れて、母親がそれを迎えに。
それを見て、わたしは銀鮭の弁当を食べて、
箸が二つとも折れる。半分になったそれで食べ続ける。
忘れていたのだが、わたしはもともとズッコケなのだ。
ならば、痛みを愛していつか抱きしめようと思っているぜ。
なんだが、振り切れない感じもするが。
変わったのは、変わったのだ、私は。
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