猫格

 

きみはじんせいのはかなさについて、かんがえている。

さいきんのねこのかいわ、しりあすなかいわがおおくなっています。

そういうときなのだとねこはおもっている。

そういうとき。そうですね、じんせいのはかなさについては、いまはとくにかんじないのですが。がくせいじだい、それにひきよせられる、というか。どこかでそれにきょうめいする、というか。

し、となづけられている、そのじじつ。そのじじつになまえがつけられて、みながそこにむかうことをなまえによって、だいたいはっきりといめーじすることができる。そのほうこうにかんがえがむかうことをしやすくさせる。

あ、ええ。

きみの、し、のいめーじは。

死、のほうですね。そうですね。このよにかんしては、しんでしまったら、すべておわり。もとのじんかくではやりなおしも、きかない。れいが、のこるとしたら、すべてがおわりではないけれど、いまのところ、れいにのこるほどこのよにみれんはない。こどものころほど、しはこわくない。ただ、そのかていはこわい。そして、いきているのならこのよにまだみれんがある。し、はがくせいじだいひきよせられもしたが、いまはどちらかというと、しにむかうとまけだ、というくやしさ。いまのところ、みょうなみりょくはあせている。

このよのみりょくは。

まず、おもうことは、てきどなしげきがひつよう。いきていくために、まいにちのごはんのように。じっさいおいしいごはんもいい。ときどき、ひとにうけいれられていることをしる、かいわ。もっといくと、ひとのせいじつなちえ。ふとらないていどに、あまいものをたべる。たかくても、じぶんがひつようだと、じっさいにしようするためのものを買えるおかね。いいものをかったら、じっさいいそれをつかいたおしたい、とおもうやるき。ひとがいっていたことに、じっさいにいきていてきづくこと。じぶんというからだに、つづけていることがみにつくこと。おかねはあらゆることをするためにひつようで。それはきほんてきにじぶんをらくにさせるために、ひつよう。よくぼうにいきても、とそうぞうしたが、もう、わたしはちがう。じゃっかんのみりょくをしってしまった。ひつようないいものはかう。たびもするか。たびさきでじもとのおいしいものもたべる。ああ、かんがえると、よくぼうのふかみにははまっていないが、じぶんをみたしている。そして、それができるのなら、それでいい。

うん。きみはいろいろかんがえることもすきだね。ただ、ねこのふかんでのぞくとおなじようなことをくりかえしている。でも、きみにとってそれはわるいことばかりではないようだ。

だめなやつだな、できないやつだな、なにぼーとしているんだ。とか悪い言葉ばかり、あびせられたとしたら、そのなかにあるよいこと、よいぶぶんをみつけることは、それをみとめることはできないとおもっています。

よのなかのにんげんは、あるきていでみられることがおおい。たとえば、だいがくにゅうしなら、そのだいがくにうかるじつりょくがあったのだけれど、おちてちがうだいがくへいったとかもある。かしこさはじゅうぶんにかねそなえているのに、そういうめでみられる。

ねこのかいわではないみたいです。

わたしのかお、賢人のようだろ。だから。

ああ、そうか。

きみはだめなやつだった。たしかにそうだ。でも、だめだったからそれをかえようと、おもった。なににきぼうをみいだした。

かくことです。はじめてしょうせつをかいたとき、じぶんにかのうせいがあることをかんじました。そして、はじまりました。

うん。そのあいだのみちにいろいろなたすけがあったね。そしてきみはつづけた。なにをするとかでなくていい。ただ、かんしゃをするんだ。こころでかんしゃを。

きょう、あなたにであえてよかった。

ねこもくびすじもみもみしてもらって、きもちよかった。

また、あえますよね。

ねこかく(じんかく)がかわっているかもしれにゃいけど。

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