夕ご飯のきもち。


本当は自分だって、と思う自尊心。

分相応が悔しかった。

気分を自由にして、そういう気になって。

それもいい思い出。自分は自分だったし。

そういう自分を認めてくれたのは何か。

何だろう。

何なのだろうか。

経験や。

温かい気持ち。

命のこと。

キリストの血潮、と描いて、

血潮の匂いを感じる。本当に頭の中にその血潮と匂いの感じ。

そうだな、確かに認められた先が、絶対的。思う限り、生き物万物に絶対的な、

存在とするなら。飛び抜けて超えている。そして、命の性質を有する愛の性質を持っているなら。

その性質に認められて生きているなら。ないがしろにはもうできない。

ねえ、あなた。

あ、はい。

このよでもみとめられたい。

それは、もちろん。

だいぶ、みたされているかんじよ。

ありがたい。そうかんじています。

みたされてみて、どう?

このよのこともすごくすきで。それはあたたかいことなら、なのですが。ただ、わたしはふあんにおちいりやすくて。あい、というそんざい、とかいていて、わくちん2かいめのふわふわかんがきだしました。しゅうちゅうしてしまったからでしょうか。あい、というしかも、うごかない、あい、というそんざいにしんらいしたい、とおもうようになりました。

そう。そろそろ、むりしてはいけないね。さいごにひとについてはどう?

おとこのひとはきほん、にがて。おんなのひともにがてなひとはにがて。ただ、いろいろあるからこそ、かかわったひとたちが、きほんてきにあたたかいひとなら、どこかできをつかったり、する。まともなおとなのはいりょをする。そして、そこにはすこしはきもちがはいっている。それと、がくせいじだいにせきをゆずったりしていたきもちをわすれたくはないね。かっこつけなくていい。いや、いいです、といわれるのをおそれない。ゆうきがやっぱりいるか。そして、そんなにいやなひとばかりでもない。ひんい、をかんじたことがあるように、そういうひとになりたいし、そういうひととはなしたり、ときどきわらったり、わらいあったりしてみたい。やさしいせかいって、あるようなきがしています。

そう。じゃあ、わたしはこどもとゆうごはんにいってきます。

わたしもきょうはクックチャムのお弁当にしようかな。唐揚げつけて。

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