日々あれば、幸せは足るにあるから。自然に時々それを見て、幸せにやはりなる。

 

コーヒー豆を挽いて、お湯を沸かしてそれに注ぐ。

液体となってコーヒーができて、口にする。

薬を飲み、よく眠って、起きている。

詩を書いて心のぶれを落ち着けて。

穏やかな日々を見ている。

笑っているその笑顔はとても楽しそうで。

優しさがその理由にあるのだと。

日々を暮らして。

風を受け、

抱きしめるべき人が、抱きしめて。

だから、とても楽しいのだと、

健やかな顔のその日常を想像している。

(久しぶりに人が多くいる場所に行くと、頭がしんどくなっていた。随分とやわになったものだな、と思うな。さて、どう生きていくか。日々を信頼できる存在に知恵や力を求めて、自然にそれがあって。そして、やはり生きていく。生きているから、自分の目線で。よく見る。そして、考えたら、少しでいいから、祈ろう。そういう習慣が自分に身に付いたら、書いている今はそれがいい、ととても思っている。20代の頃は子供のことは、好きだとか、そういうことは分からなかったけれど、自分の手のかさぶたを純粋に心配してくれる男の子がいて、その純粋さが新鮮に心に残ったことがある。子供がんばれ、若者頑張れ、大人もがんばりましょう。)

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