今日もコロッケ明日もコロッケ。

 

嬉しく春を纏って(まとって)。

風を迎える。

花たちの、

いくつかは、

そう思っている。と想像している。

花たちのお出かけの季節です。

(岩合光昭さんの猫のコメントにちょっと、感じが似ていると気付いた)

昨日は辻仁成さんの白ワインを使ったコロッケのレシピで夕食を過ごした。決定的なミスをしたのは、玉ねぎを入れるのを忘れたことだ。作り方をざっと見て、うんうん、こういう感じ、と思っていてしっかり確認をしなかったのが、玉ねぎを入れ忘れるというミスを誘った。でも、十分美味しかった。やっぱり、自分で素材から組み合わせて行って、作ると美味しいね。今日も、作り置いたコロッケのネタの残りがあるので食する。野菜をスーパーで買おう。冷蔵庫に野菜がない。
ちょっと、調子を崩したときにお腹の肌を触ると、がざがざになっていて、今大分調子を取り戻した状態になると、酷くはがざがざではない。精神的な物にも結構、肌の調子は私に関しては影響を受けているのだな、とぼんやりと思っている。確信的な気持ちではないが、多分そうなんだなーという感じ。本当は神経質なところがあるし、心が少し弱いのもあるかな。そういうのが、肌の調子と結びついている。
贅沢な気持ちで行くと、神戸に美術館を見に行きたいなー、とちらっと思っているのだが、そういうことは贅沢が過ぎる、といい子ちゃんのつもりでなくとも、思っていて。でも、行けないのをいつか行ってみるか、と思えているのは自分なりに幸せである。こういう感じが今は幸せだな、と思っていて、多分自分はもの凄い金持ちだったとしたら、普通に育てられていて、良かったなあー、と思うのだ。日々の小さな神様からの良い知らせ、幸せを受け取ることのできる、生活。人から見られる目を気にせずいられたことも。知っていたら、傷付いていたと思うぞ。あほみたいでいることができた。普通くらいのお金持ちだったら、結構それなりにしても良かったかもだが、あほみたいな金持ちだとしたら、生活の幸せを知っておいた方が良いなーと。責任とかありそうだし。そして、その幸せを、恵みと言って良くて。そういうことを感じることができる、暮らしがあること。もちろん、オープンキッチンとか、いいなーとか思うこともあるのだが。ここでいる幸せを今は味わっている。
小説はうーん、ゆっくり、そして、ブログに逃げる。アイデアが出てこないかな。ちょっと進みだしてはいるのだけど。
将来やりたいことは、今の生活形態もあるのだろうけど、焦がれているのだよな。そういう成長とか人に関わることに。それを見せてもらえることって、すごく貴重で幸せなことなのではないかと。現場の人は甘いねー、と思っていると思うが。
3時におにぎりと、ねばねばのサラダ食べているのにお腹が空き始めている。子どものことも考えを出した方がいいかな。現実と夢物語が線で両端に引かれていたら、夢物語に偏った考えなのだな。ときどき、ぼちぼち記録してみようか、どうか。

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