1枚目の写真、背後が墨で綺麗ではなく滲んだようなのを解消するには、どうしたらいいのだろう。撮る時に気をつけた方がいいのか。

 

何もしないより。

何かはしていて、準備をしていた方が、

そういう時って、そういうタイミングがある。

時が来る。

そういう話を聞いて、希望を感じる。

何かを求める若者をテレビで観て、

私も求めていた。

私が変わるきっかけ。

それは、はぐらかさないで、

自分を生きる。それを恐がらないことだった。
(多分、他にもいろいろある。ごまかしてばかりだと、自分の芽が出ている大切なところが伸びて行かない。これは、結構人によるかも。年齢で変わって行くことも多い。自分で勝負しないと太刀打ちできない、とか。)

今日は写真を撮りに外に出ると、小学生の女の子が挨拶をしてくれて、ときめいた1日になった。小説も進まず、ブログをするか、という、出かける前に少ない白飯のベーコンエッグ丼を食べるだけの、それだけの楽しみの1日が、うれしい♡ 1日に変わった。怪しいおじさんにはなりたくない、とやはり思っていて、カメラのレンズカバーは写真を撮り終わったら、必ず取り付けている。なので、ここ、という良い時の瞬間の写真は撮れない。幡野さんはレンズカバーはしない方が良い、と言っている。良い時の写真が撮れるから。私は今までに2度警察のお世話になっていて、1度目はゆっくりバイクで曲がって道路に出たら、そこにいた人が私がわざと変な運転を自分にした、と警察に通報をしたみたいで、まだ実家にいたときだけど、私服の警察の人が来て、今後、変な運転をしません、みたいなことを書かされた。ここは、少し組織が関わっていそうな気がしている。じゃらじゃら、アクセサリーを付けていたときで、格好も年のわりに変な格好だったから、変な格好すな、というメッセージかなー、と今は思い返している。2度目は夜によく写真を撮っていたときがあって、電灯の当たり具合とかそれで色が映えるとか、好きで撮っていたら、私服警察官の人が、ばっ、ってやってきて、職務質問されて、無職になっていたときだけど。カメラに映っていた写真を見せて、変な写真は映っていなくて、自分にとっても危ないから夜は写真を撮らない方がいい、と言われてから、夜には写真を撮らなくなった。時どきやってしまうけど、住宅街も気をつけた方がいいだろうな、と思っている。無邪気に写真は撮れなくなっている。
なので、小学生の女の子が挨拶をしてくれて、嬉しかった、とか書かない方がいいのだが、私の性格上書くのだ。
昨日はハートネットTV でろう学校の中学校の子たちが出ていて、男の子年齢なりにシャイだなー、と思っていたけど、開けて行く感じを楽しんでいるのが男の子っぽい。女の子二人はすごい前向きで、女の子の方が心が早熟かなーと思うのだけど、空手十年やっているとか、まっすぐさとか。前をしっかり向いているその姿はいやすごいな。未来は明るいぜ、って思った。獣医になりたい、という子と、未来を模索する子。ちゃんと自分と向き合っている。こんな子たちがいるんだ、って思ったな。私は中学生くらいから、自分の出来なさを自分はごまかしているからできないだけだ、という妙なプライドで生き始めていたな。あとは、未だにサッカー部に入ったのは失敗だと思っている。ルールも知らなかったし。坊主になるのが嫌で野球部は避けたんだ。情けない奴の始まりだな。野球部でも大したことはなかっただろうが、ましだったと思う。という卑下から、今はもう43歳。疲れない位に自分と向き合って生きている。そして、人生変えたろ、と全然取り組んでいないが、思っているのだ。


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