ボンジョヴィのかつてのベーシストが亡くなった、とラジオで流れていた。
詩を読む、短い時間が好きだった。
今は生きていることを確かめるときが来ると、
それも好きで、
だから、生きる。
見つけるのだ楽しみを、
随分と、贅沢な時間を過ごしているのだから。
ー写真、詩、文章、小説、ブログー
ギターが入っていないな。
楽しんで練習していないからだ。
楽しもう。
おじいさんになって弾けている人に。
小説を書いていて、生活の質が良くなり始めていたのだが、分かっていることだが、相変わらずそれが受け入れられないことを感じて。腐っていた。しかし、また始めようと思っている。生活や小説も。それがやりがい、大袈裟に言うと生きがい。ブログも世界と繋がるので生きていられる場所となる。写真もこれからで、とにかく楽しい。詰めていないからだと思う。そして、それでいい。買った本は写真でかなり説明されていて、まだぱっとしか見ていないが、分かりやすそう。幡野さんが勧めていた本。詩は時どき感情に深く繋がるときは、気持ちが身体に孕んでいる。気持ちが良いときだ。多かれ少なかれ、理性を含んだ気持ち、感情がそこにある。その表現の場所として詩があることはありがたい。感情を表現する技術もあることを。技術だけでないことは確かだと自分を思っている。小説は根気がいる。詩よりまだ、確かではなく拙いところもある。構成とか苦手だ。ネコガワクリステル、というファンタジーの長いのをいつか書いてみたい、と思っている。もうちょっと年を取ってからでもいい。ギターは運動神経が悪いのかな、と思っている。音の中に埋もれて、その音を出せばいい、といういい加減さのつけが今来ている。かっこよく弾けたら、かっこいいんだけどな。
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