足元のできることをしていくのが、今の気持ちの基本。少しずつこなしていく。

 


詩を書こうと思ったが、書けなかった。詩情を灯すまでに行き着かず、そうではない日でも良い、と思った。23歳に初めて恩師に出会って。一番最初に会ったときに言ってくれたことが、殆どのヒントだった。そして、初めて小説を書いたのは何歳だったか。大阪文学学校に通信で通ったのが、28歳位だったか。ブログを始めたのが31歳くらいだったかな。22歳のときに夜中に苦しくて目が覚めて、吐き出すようにパソコンに書いたのが、歌詞で。いつだったか、ネットで襲われるように書かれた中で、友達が褒めていたよ、でも、歌詞としては短いなあ、とあったのを憶えていて。発狂したぜ、あのときは。今なら、どういうことか、分かるけれど。福祉の仕事に就いたのが、28歳のときで、できないことが多くて。かっこいいな、と思っていた人の真似をして前向きに仕事をしたのが、31歳の介護の仕事に転職をしたときで。しんどいなー、と思っていたら、グループ内で移動があって、病院に行って、同年代くらいも、おばちゃんたちも時どきいざこざがあっても、あっさりしていて。アトピーが酷かったなー。お酒もあほみたいに飲んでいた。ケアマネに1回落ちて、2回目で受かって。また、転職をしてケアマネの仕事に就いて。それくらいから、色々始まって。この頃が、ためにもなったけど苦しい頃で。でも、柑橘が美味しい種類があることを知ったのもこの頃で、貰った柑橘の美味しいことよ。たけのこも美味しかったなー。山ウドとか、きゅうりも美味いし。しかし、たまらず1年と4か月で転職。次の職場でも追い詰められて、無職に。無職になって、教会も変わって。ネットで色々あって。電子関係は殆ど流出するのだと、どういう風に伝わっているか知らないが分かって。小説を書いたが、何にもならなくて。ケアマネのときに詩の世界とネットで出会っていて。詩は書くことはあったが、本気ではないというか。小説がメインだと思っていたが、ネットの出会いにより、詩をよく書くようになって。詩人とゲームチェンジャーと聞こえてきたのが今は嬉しくて。認められたような感覚で。早く変わればいいのに、と思っているけれど、経済の問題があるから。というのは確かに世の中が歪んでしまうから、ゆっくり様子を見て対処しながら変えるのが現実的で。10兆円税金なしでくれたら、高層マンションを各県にバリアフリーのを幾つか建てて、オール電化でもよくて、年金が少ない老人、シングルマザー、シングルファザーの大変な人を住居費、光熱費などただで、住んでもらって。食堂があってもいいな、安くて栄養があって、美味しい食堂。あとは、子どものことを考えないとな。どこに行き着くのだろうな。理想通りにいかないのが現実だから、ちょっと恐い。別世界のように感じていて、でももし、時が来たら、ちゃんと一歩踏み出そうと思っている。現場の声を聞いていないな。活動的な人はもう出来ることを始めているかも、と思うが自分はしていない。自分の人生がどうなるのか、分からないけれど、と急に冷静になり始めて今を今のところ生きる。楽しんで行こー。

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